第8話 復仇の一矢
ズーンに向け、先頭を切って
おかげで、ズーンを相手取る間にバローンで王位継承争いを炎上させ、こちらへの介入を防ぐという目論見はご破算になった。それに、側近中の側近を失ってしまったことも痛手だし、彼が殺害されるに至った経緯も気にかかる。
(いや、今はそのようなことに囚われている場合ではない。とにかくズーンを速攻で
不安を振り払うように、ボルドゥは乗騎に鞭を打ち込んだ。
話が違う――。
シャルモールが違和感を
最初は良かったのだ。
勇猛というより粗暴、という評判も耳にしていたオストハーン王子は、思いの外優しかった。側室の子として生まれ、二十二歳になるまでしかるべき家柄の女性を正室に迎えることが出来なかった彼としては、シャルモールを
シャルモールも母親の実家の後ろ盾が弱いせいで苦労してきた身であり、その境遇を脱するべく野心を
この人にバローンの王位を
王太子アーセマーンを追い落とすのは一朝一夕に
にもかかわらず、彼女に随伴してきたフレルノムたちとオストハーンとの間で、蜂起の具体的な計画が密かに、しかし着実に進められている。
フレルノムが言うには、オストハーンが
「兄上……。最初からそのつもりで!」
ボルドゥにとっては、オストハーンがバローン王位を
「姫様のご
アリマという名の侍女が、痛ましげな表情で言う。
彼女は、今回シャルモールがバローンに嫁ぐにあたり、側に仕えるようになった者たちの一人だ。
ヒュンナグの有力氏族の一つ、オクトルゴイ氏族の一員とのことで、族長のシドゥルグから嫁入りの
ヒュンナグ内でも特に影響力の大きいオクトルゴイ氏族が後見に付いてくれたことの意味は大きく、シャルモールとしては嬉しい限りだったし、その上このアリマという娘は、聡明で気も
「ねえ、アリマ」
ずいと身を乗り出し、侍女の顔を真っ直ぐに見つめながら、シャルモールは言った。
「はい。何でしょうか、姫様」
「あなた、人を射たことがあるわね?」
心の奥底まで見通すような眼差し。アリマの心臓がどくりと跳ねる。シャルモールはアリマの詳しい経歴までは知らない。しかし、理屈抜きで確信めいたものがあった。
「包丁や刺繍針と同様に弓矢に慣れ親しむ草原の女でも、実際に人に矢を向けたことのある者はそう多くない……。ねえ、お願い、アリマ。フレルノムを始末して。お膳立てはあたしが整えるわ」
それを聞いて、アリマはさっと顔を伏せた。事の重大さに困惑しているのだろうと解釈したシャルモールは、居住まいを正し、穏やかな声で語り掛ける。
「あなたが処罰されることのないよう、あたしの名誉に掛けて守るからその点は安心して。それに、お礼もあたしにできる範囲で、望みのものを取らせるわ。だから……」
「いえ、申し訳ございません。少々驚いてしまいまして。承知いたしました。姫様の
アリマはそう答えた。内心の喜悦を
月明かりの下、青白い光に照らされた草原で、二人の男女が密会していた。話している内容は、恋人同士の甘い逢瀬などとは程遠かったが。
「なるほど。シャルモール妃のほうから話を持ち掛けてきましたか。意外……、いや、これもサラーナの想定の範囲内なのかな」
呟くようにそう言った男は、ドルジ。竜神の里の若者で、今回志願して、アーセマーン王子との連絡役としてバローンに来ている。
「そうだな。ボルドゥとその配下どもと、シャルモール妃とでは、思惑が微妙に異なるはず、というのはサラーナ殿も推測しておられたようだしな。まあ、この展開まではさすがに予想しておられなかったかもしれぬが、我が手で一族の仇を討てるのは嬉しい限り」
そう言って、アリマ、いやオルツィイは
サラーナがシドゥルグを説き伏せ、オクトルゴイ氏族の一員という名目で偽名を名乗りシャルモールの側に潜り込んでいた彼女。元々、バローンで事を起こすであろうボルドゥ配下の排除は、彼女の主任務ではあった。シャルモールがフレルノム暗殺のお膳立てをしてくれるというのなら、願ってもない話だ。
「オルツィイ殿、くれぐれもお気を付けて」
心配げな表情でこちらを見るドルジに、オルツィイは力強く頷いて見せた。
その二日後。
シャルモールは、余人を交えず話がしたいという口実で、フレルノムを遠乗りに誘った。
アリマことオルツィイは草むらに潜み、一族の仇が近付いて来るのをじっと待っていた。
あと数歩で必殺の間合いに入る――と思ったその時、
オルツィイ以外にもう一人、少し離れた位置に、シャルモールの侍女の中でも一番の弓の名手だという女が配されていたのだが、その女が矢を放ったのだ。
(早いわ、馬鹿者!)
心の内で
しかし、一番の弓の名手というだけのことはあり、矢はフレルノムに向けて狙い過たず飛び、確実に的を射抜く――かと思われたのだが。
フレルノムは動じることなく右手をかざし、矢は彼に命中する直前で弾き飛ばされた。
そして、そのまま右手を刺客の方に向けると、爆発的な突風が起こり、女を吹き飛ばす。
「これは何の真似ですかな、シャルモール様?」
穏やかな口調の中に怒りを込めて、フレルノムがシャルモールに詰め寄る。
彼がボルドゥ配下随一の魔道士だということは知っていたが、不意打ちで矢を射掛ければ仕留めることは可能だろう、などと甘く見たのが間違いだった。
シャルモールは顔を蒼ざめさせながらも、懸命に虚勢を張る。
「あなたの軽挙妄動はヒュンナグとバローンの関係を損ねると判断したが
「両国の関係?」
フレルノムが鼻で
「中々面白いご冗談ですな。しかし、あなたがそのようなおつもりなら、こちらもしかるべく対処する他ありません。ご心配なさらずとも、オストハーン殿が仇を討ってくださるでしょう。
シャルモールが歯噛みしながら思わず目を
「仇討ちならこちらが先だ、フレルノム!」
矢を構えるオルツィイを、フレルノムが嘲笑する。
「無駄ですよ。魔道士を射倒すなら、多人数で周りを囲んで一斉に矢を射掛けでもしない限りは……あ?」
自信満々の講釈が途切れる。フレルノムの眉間には、オルツィイが放った矢が突き立っていた。
当のフレルノムも、シャルモールも呆然とした表情だ。そして、フレルノムの体がどぅっと地面に転げ落ちる。
「やれやれ、本当に竜神様には、いくら感謝してもし切れぬな」
里を
一族の直接の仇を討ち果たし、オルツィイの目に涙が滲んだ。
ズーンが「
ズーン軍はその兵力のかなりの部分を「
もちろん、「
――と、思わせておいて、それが陽動である可能性も、ボルドゥは考慮していた。
これ見よがしに手薄にされたズーンの本拠地。そこへ誘い込んでおいて、取って返してきた本隊で背後を
(俺がズーンの王ならば、そうするだろうな)
それを承知の上で、ボルドゥはあえて誘いに乗った。すでに対策は打ってある。
まあ、大軍で威嚇するだけで腰砕けになるだろう、というくらいに甘く見られている可能性も十分にある。むしろそちらの可能性の方が高いと思ってはいるのだが。
「
ズーンの王宮である
ズーン領の東の端、草原から森林、山岳地帯に
草原の
シュシェンの一団を代表して、
「ヒュンナグの
「せ、
王を
「父王を
それに、
「ふん、堅っ苦しい言い方はこの辺で
「ジムスだと!? 何を馬鹿な……」
何故ここで、死んだはずのジムスの名前が出てくるのか。さすがのボルドゥも混乱するばかりだ。
「それに、ズーンの王太子エルデニ殿は、美人のお妃ともども直々に我らの
シュシェンの将はそこで一度言葉を切り、侮蔑の笑みを浮かべ、
「ああ、それと最後にもう一つ。我らシュシェンは勇者を
と言いたい放題言い捨てると、シュシェンの一団はくるりと馬首をめぐらせ、一斉に逃走を開始した。
怒りにかられたヒュンナグ軍の一部が、ボルドゥの制止も聞かず後を追う。
しかし、短時間の脚の速さでは、
ボルドゥはチャンを通じて、ズーン内の他の少数民族にもいくつか声を掛けていたが、最大にして最強の勢力であるシュシェンがこの有様では、とうてい内応は期待できないだろう。
何かがおかしい。一体どこで狂い始めたのか――。
ボルドゥの胸中に、不安が湧き上がる。
いや、それでも、ズーンを滅ぼしてしまえば十分にお釣りが来るはずだ。少数の留守部隊を
ボルドゥは彼の
そして、ボルドゥ率いるヒュンナグ軍と、ズーンの王宮を守る留守部隊との交戦の幕が上がる。
留守部隊を率いる将は、若き王太子エルデニ。そしてその
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます