ミッシングリンク

山岸マロニィ

ミッシングリンク

 ――ミッシングリンク。

 とある事象と事象との関係性を証明するために必要な、ふたつを繋げているはずのものが見つからない、そんな隙間。

 「失われた環」とも呼ばれます。

 生物学や交通網、あるいはミステリーの謎を示す用語として使われる言葉です。


 それらは、いずれも理論上の事柄を意味していますが……。

 もし現実世界で、時空と時空の隙間にミッシングリンクがあったら。


 そんな妄想を想起させるような、とある不思議な出来事のお話です。



 これは二十年ほど前、当時勤めていた会社の上司に聞いた話です。仮に「Mさん」としておきます。


 平成の半ば。

 新卒で県内の大手企業に就職したMさんは、通勤用に中古のセダンを購入しました。

 新卒で買えたのは、十年落ちのカローラ。

 とはいえ、初めてのマイカーにワクワクしたMさんは、ドライブをしてみたくなりました。

 どうせ行くなら、太平洋に昇る朝日を見に行きたい。そう思い立ち、ある夏の日、実行に移します。


 愛知県は海に面した地域ではありますが、尾張地方は伊勢湾、西三河は三河湾に接しており、太平洋を望めるのは、渥美半島の東側のみです。


 当時、名古屋に住んでいたMさんは、日が落ちた頃出発しました。

 渥美半島の突端、伊良湖岬までは、高速を使わず寄り道せずに行って三時間弱。夜明けに着けば良いので急ぐ必要はありません。

 国道沿いのラーメン屋で夕食をとり、コンビニで仮眠を取りながら、蒲郡、豊橋と抜け、渥美半島に入ったのは、日付が変わる頃でした。


 半島というのは、大抵どこでも似ていると思いますが、海に面した周囲の低地に人が集まり、内陸部は山になっているものです。

 渥美半島も例に漏れません。海沿いにぐるっと一周、一本道が走っており、内陸部に大きな道はありません。

 愛知県のもうひとつの半島である知多半島には、中央を有料道路が縦断していますが、渥美半島にはこれもありません。

 そのためMさんは、豊橋から三河湾沿いに伊良湖岬を目指したのです。


 しばらくは町中の風景が広がっていますが、田原に入ると間もなく、田園風景が広がる地域に入りました。

 今でこそ道の駅などもありますが、当時は本当に何の目印もない田舎道だったと、Mさんは言っていました。

 とはいえ、半島をぐるっと巡る一本道です。間違えようがありません。

 途中、自販機に寄って休憩しながら、ただひたすらカローラを走らせていました。


 ところが。

 一時間も走ったでしょうか。

 一向に伊良湖岬への看板が出てこないのです。

 当時の安中古車ですからカーナビなどなく地図が頼りとはいえ、いくらなんでもこんなに時間がかかるのはおかしいと、Mさんは思いました。

 とはいえ、道を間違えるはずはないし、道を訊ねられるようなお店もありません。しかも夜中の一時過ぎ。

 仕方なくMさんは、もう一度自販機に寄って飲み物を買いました。

 それから再びハンドルを握ったのですが、やはり岬の先端にあるはずの灯台の光すら一向に見えません。

 右手には真っ暗な海が広がり、左手には田んぼや緑地。

 街灯もなく、ハイビームがどこまでも、灰色の路面を照らしています。


 早く現地に着いて、夜明けまで仮眠するつもりでしたが、さすがに疲れてしまい、Mさんは車を路肩に停めました。

 時計は三時。

 先程の休憩から、二時間も運転していたようです。

 同じ姿勢を続けていては良くないと、先輩は少し近くを歩いてみる事にしました。


 海と反対側へ二、三分。

 港町らしい民家が並ぶ狭い通りを進みます。

 いくら田舎とはいえ、民家の門灯くらいはありそうなものですが、漆黒の闇だったとMさんは語ります。


 当時、スマホはなく携帯電話でしたが、懐中電灯の機能はありました。

 その心許ない明かりが照らす路地を抜けた先に、注連縄の下がる白い鳥居がありました。

 その先には、上へ続く石段があります。


 普通ならば、そこで引き返すところでしょう。

 しかしMさんはその時、その先へ行かなければならないような、そんな気がしたのです。


 真っ暗な中、携帯電話の光を頼りに石段を上がると、狭い境内に、燈籠が煌々と灯っていました。

 そして、その光の中。

 本殿の前に、白髪の老人が座っていたのです。


 どう考えてもおかしな状況です。

 深夜の神社に灯る燈籠、そして、Mさんを待ち構えていたかのような老人。


 ところがMさんは、お祭りか何かだろうと軽く考えました。そして、唐突に顔を合わせる事になったこの老人に、何か話し掛けなければと思いました。


「あの、道に迷ったようで」


 すると老人は、真っ直ぐに左手を伸ばしました。

「そのまま進め」


 それだけの会話でした。

 Mさんは老人にお礼を言って、車に戻りました。


 車内の時計は既に四時過ぎ。夜明けまでもうすぐです。

 急がなければとエンジンをかけ、Mさんは再び車を発進させました。


 ――そして、朝日を見たのは、鳥羽の海岸ででした。


「…………??」


 眩しく照らされた道路標識を見上げても、Mさんは理解できませんでした。

 鳥羽市は三重県。愛知県から車で行くには、伊勢湾沿いに紀伊半島を走らなければなりません。

 Mさんの向かった渥美半島とは真逆の方角です。


 首を傾げながら、図らず身を投じる事になってしまった初めての遠距離ドライブに、文字通り手に汗を握りながら名古屋に戻ったMさんでしたが……。



「ミッシングリンク」

 上司であったMさんは、部下である私を乗せて社用車で走る途中、思い出話として笑いながらそう言いました。

「地図を見ると、伊良湖と鳥羽とは、直線で繋がってるように見えるだろ?」

 カーナビを示しながら、Mさんの指が海の中を指しました。


「……で、その直線上にあるのが、神島」


 神島は、三島由紀夫の名作「潮騒」の舞台となった神秘の島。ちょうど伊勢湾と外洋の境界に位置します。


 伊良湖岬と鳥羽は、異なる時空の世界線で繋がっており、神島が、この世とその世界線とを繋ぐ「ミッシングリンク」である――。


 Mさんはそう仮説を立て、あの夜見た港町の風景、そして白い鳥居の神社を調べたそうです。

 するとまさしく、神島に存在する「八代神社」が、その光景にピッタリだった、と。

 ただこれまで、神島まで足を運ぶ機会には恵まれておらず、神社にいた老人が何者なのかは分からないそうです。


 もしかしたら、うっかり異世界に足を踏み入れてしまったMさんを、現実世界へと導いてくれた、時空の番人のような存在だったのかもしれません。



 それから間もなく私は退社し、遠くに引っ越してしまったため、真相はどうだったのか、その後Mさんがどうなったのかは知りません。


 ただ。

 真面目で信頼できる上司だったMさんが、部下をからかうためにでっち上げた作り話とは、今でも、どうしても思えないのです。

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