記憶の熱

@yoshiyanosyora

記憶の熱

  記憶の熱


 「あなたはそれで本当にいいの?

~~に行くことがあなたを救うかもしれないけど、解決にはならないのよ・・・」

 目が覚めると見慣れた天井が見える。

 毎朝見る自分の部屋の天井だ。

これで何度目だろう。最近の僕はよくわからない夢を見る。それも何度も。

週に一回程度の頻度で、内容は毎回違う。唯一共通していることとしては、どの夢も全く身に覚えがないことである。全然知らない人が出てきて、知らない世界で訳の分からないことを話している。もちろん言語としては理解できるが、内容が理解できないのだ。

「カンーーー!!早くしないと遅刻するわよーーー!!」

そこまで思考を巡らせていたところで現実に戻される。

母の声だ。

「今行く――!」

僕が答える。返事をしないと何度も呼ばれるので、とりあえず返事をする。まあ、ここから布団を出るまでは十分くらいかかるんだけど。

身支度を整え学校に行く準備を始める。今日から僕も高校二年生だ。

準備を終え、リビングに行くと、母が一人で朝ご飯を食べていた。

「返事したなら早く起きてよね。ご飯覚めちゃうじゃない。」

「起きてはいるよ。僕だって準備があるんだ。」

「それならもっと早く起きてよね」

「・・・わかったよ」

こんなやり取りをほぼ毎日している。母の言うことは毎日同じで時々イラっとするが、慣れてしまえばどうってことない。僕も同じように返答するだけだ。


「おっす!昨日のテレビみたか?」

学校につき、下駄箱で靴を履き替えていると、ヨウに声をかけられた。

「見てないよ。うちにテレビがないの知ってるだろ」

「今時テレビなんてスマホで見れるじゃん」

「なら、番組を見たか聞けよ。毎日同じことききやがって」

「まあいいじゃねえか。固いこと言うなよ」

ヨウも母と同じで毎朝同じように話しかけてくる。もはや僕にとってこの一連のやり取りが、ヨウとの挨拶のようになっている。

「おはよう、カン」

教室に入ると、幼馴染のメイが毎朝同じように声をかけてくれる。クラス内で地味な立ち位置にいる僕にとって、気軽に話が出来る女子はメイだけだ。

正直ありがたい。

「おはよう、メイ」

まあ特に用がなければこの一ターンで終わるんだけど。

「うわっ、今日朝会じゃん、早く体育館行こうぜ」

ヨウが僕に声をかけてくる。これも朝会がある日のお決まりの文句だ。

毎日、毎週、毎月、同じような会話で同じような生活を続けている僕にとって、この日常は退屈であり、幸せなのだ。


「一生続けることはできないんだ。いつか必ず終わりが来る。その時お前がどうなってしまうか・・・俺はお前にそんなことをさせるために協力したんじゃないぞ!」

 今日も違う夢だ。まったく意味が分からない。こんな夢を見るようになってもう半年近くが経つ。原因はわからないが特段大きな問題にはなっていないので、とりあえずスルーしよう。

「カンーーー!!早くしないと遅刻するわよーーー!!」

今日もいつもと同じ母の声で思考を現実に戻す。

「今行く――!」

リビングに行き、いつも通りのやり取りを交わす。

「返事したなら早く起きてよね。ご飯覚めちゃうじゃない。」

「起きてはいるよ。僕だって準備があるんだ。いつも言ってるだろ。」

「それならもっと早く起きてよね」

「・・・わかったよ」

学校についてからも同じである。

「おっす!昨日のテレビみたか?」

「見てないよ。うちにテレビがなって毎朝言ってるだろ」

「今時テレビなんてスマホで見れるじゃん」

「そんなの知ってるよ。毎日同じことききやがって」

「まあいいじゃねえか。固いこと言うなよ」

たまに不安になることがある。僕は毎日同じ日を繰り返しているのではないかと。母やヨウ、メイが僕にかける言葉は、いつも同じものだからだ。でもそんなことはなく、日付は進んでいるし、毎日天気も違う。まるで世界が僕を説得して、そんな考えはしてはいけないのだといわんばかりに動いているのだと感じる。後から考えればこの時もそうだった。

転校生が来たのだ。

「本日より転校してきました、よろしくお願いします」

その転校生はクイナといい、どこからどう見ても美人であった。長い髪が揺れ、教室に入り、笑顔で挨拶を終えたとき、クラスの男子の大半は恋に落ちたと確信できるほどに美人であった。目線だけヨウの席の方に向けると、完全に見とれていた。それだけでなく、ヨウの方を見たときに視界に入る男子のほとんども見とれていた。

正直僕もこの後のことがなければクイナに対して恋心を持っていたかもしれない・・。

その日の帰り道、いつも通りヨウと帰ろうとしていると、珍しくメイも一緒に帰ろうと言ってきた。昔は方向が一緒だったからよく一緒に帰っていたが、最近ではほとんどなかったので、驚いた。

まあ、要件はだいたい想像がつく。

「カンってクイナさんと知り合いだったの?」

やはりそれか・・。

「いや、初対面のはずだけど」

「ほんとかよー、向こうは絶対お前のこと知ってるぜ」

ヨウの言葉にメイも反応する。

「だよね~、てか、絶対クラスのみんなが思ったことだよ」

クイナが転校生として紹介されたとき、僕の隣の席が空いていたので担任は僕の隣の席に座るよう促した。

しかしクイナは明らかに困った顔をした後、僕の席の隣に座った。その時僕が軽く挨拶をしたところクラスの空気が凍る事件が起きたのだ。

「僕はよろしくって言っただけだよ」

「まあそうなんだけどな」

「びっくりしたよねー」

僕がよろしくといった時、クイナは驚いた顔をし、その後こう言ったのだ。

「私のこと馬鹿にしてるの?いい加減にしてよ!」

その瞬間教室の時が止まったかと錯覚するほどに、クラス中が静止した。

クイナの声は隣の教室にも聞こえるのではないかと思えるほどに大きく、もちろんクラス全員がそれを聞いた。傍目には僕がクイナに何か気に障ることを言ったように見えただろう。

だが全くそんなことはない。僕はよろしくといっただけなのだから。

そんなことがあり、僕のクイナに対しての印象は美人な人から恐怖の対象へと数秒で変化したのだった。


転校生のクイナ。

彼女は初日の僕に対する発言で若干の疑問を周りに与えたものの、そのほかは完ぺきといっていいほどの人間であった。勉強はでき、テストではどの教科でもほぼ満点。運動では一番とまではいかないもののかなり出来るほうでありまさに運動神経がいいという人間の典型であった。おまけに美人で性格がいい。男子には当然のように人気である。ここまでくると同性に嫌われるタイプではないかと思ったがそうではない。同性にもしっかり好かれている。地味で冴えない僕からすれば、不思議なほどみんなに好かれているのだ。

僕の彼女に対する印象もあってか、彼女が完璧すぎて恐怖すら感じてしまうほどである。

まるで高校生ではないかのように。

そんな風に嫌われている僕だが、たまにクイナと目が合うことだってある。なんてったって席が隣だから。その時には決まって目をそらされるし、たまに憎まれ口を言われることだってある。

「ひどい人・・」

そんなことを言われたこともある。彼女は本当に僕が気に入らないようだ。他の人に対してはあんなにも優しく話すのに・・。


ある日ヨウと廊下を歩いていると窓の向こうに渡り廊下を歩くクイナを見つけた。

「お、クイナじゃん」

「ああ」

クイナに並々ならぬ感情を持っているヨウは、明らかにテンションが上がっているが僕はそうではない。

「あれ、反対から来てんの生徒会長じゃね?」

「ああ」

この学校の生徒会長のシン。僕らよりも一つ年上の三年生で教師、生徒どちらからも信頼されている聖人のような人らしい。

「生徒会長ってめっちゃいい人らしいけど、顔は普通だよな」

「まあそうだな」

人の顔について僕もヨウもとやかく言えるほどえらくはないし整った顔をしていない。

まあ、僕もヨウも高校生だし人の粗探しをしたくなる年頃なのかもしれない。

僕はまるで風景でも見ているような気分で二人を眺めていた。しかし次の瞬間僕はとんでもないものを目にしてしまう。

「いてっ、急に止まるなよな」

前を歩いていた僕の背中にヨウがぶつかるが、僕はそんなこと気にも留めず、無言で二人を見てしまっていた。

その時僕は気づいてしまったのだ。

クイナがシンに向ける目が、僕に対して向ける目と同じであることに・・・。


あれからというもの僕は二人のことが気になって仕方ない。むろん生徒会長とクイナのことだ。

二人はもともと知り合いだったのだろうか。

しかしそれでは僕に対しても同じ目を向ける理由が分からない。思い切ってクイナに聞いてみようか。いや、また何か言われて終わりだ。どうしたものか。気になってしょうがない。

 「・・ン」

 「カン!」

 そこで担任の声が聞こえ、思考の渦から現実に引き戻された。

 そうだ、今は授業中だった。

 「はい」

 とりあえず返事をするが、なぜ呼ばれたのかわからない。

 「はい、じゃない」

 「この英文を訳してみろ、わかるか?」

 やばい、まったくわからない。

 授業を聞いてなかったのもあるが、聞いていたとしてわかるかどうか。

 「あー・・・」

 そこで隣の席から何か飛んできたことに気づいた。紙切れである。開くとそこには今まさに聞かれている英文の日本語訳が書かれていた。

「・・彼女は以前そこを訪れたことがある、です」

「・・正解だ、もうぼーっとするなよ」

助かった。

隣を見るとクイナは黒板に目を向け、何事もなかったかのように授業に集中していた。

なぜだ。なぜ嫌っている相手を助けたのだろうか。授業が止まるのが嫌だから?いや僕が答えられなかっただけでそこまで授業は遅れない。ますますわからないことだらけだ。

「さっきはありがとう」

僕は休み時間になるとクイナに声をかけていた。授業の時のお礼を言うためと疑問を解消するためである。

「別に・・・」

クイナは僕の目を見ないで淡々と答える。

僕は構わず続ける。

「どうして助けてくれたの?君は僕のことが嫌いなんだと思ってたけど」

「嫌いなわけないでしょ!・・・」

ますます訳が分からない。

「昔を再現しただけよ」

それだけ言ってクイナはいってしまった。

「またなんか言ったのか?」

ヨウとメイが声をかけてきた。遠くから見てたのか。

「お礼を言っただけだよ」

「お礼?」

「先生に指されたとき、答えを教えてくれたんだ」

「クイナはなんて?」

「昔を再現しただけだって」

「お前やっぱりクイナと面識あったのか」

「いや、心当たりがないんだ」

「カンは記憶喪失ってわけでもないしね」

小さいころから一緒のメイが言うのだから、僕が知らない間に記憶喪失になっていたなんてオチはないのだろう。

「なあ、わかんねぇならもう気にしなくていいんじゃね?」

「え?」

ヨウの言葉に思わず聞き返してしまう。

「だってよ、いくら考えてもわかんないんだろ?おまけにクイナもお前に話そうとしないんだから」

「確かに、カンがこんなに興味を持つなんて珍しいよ」

メイも同意する。

確かにそうだ。僕はもともと何かに執着するようなタイプじゃない。これまで何事も自分の出来る範囲で生きてきて、何かを強く望んだことなんてほとんどない。

それなのに今回はなぜこんなにもクイナに執着しているのだろう。

「わからないけど・・・、ちゃんとしなくちゃいけない気がしてるんだ、クイナのことと自分のことを知りたいんだ」

「え、もしかしてカン、クイナのことが好きなの?」

メイがすこし焦ったように聞いてきた。

「・・え?」

僕はクイナのことが好きなのか?初対面であんな対応をされ、今でさえほとんど会話してもらえないのに。

「いや、たぶんそうではないと思う、単純な興味というか、義務感のような感じだよ」

「そう・・・」

なぜかメイが安心したような子をしている。

僕にとっては大きなことなのに・・。

 「・・じゃあ、頑張らねぇとな、何か手掛かりはあるのか?」

 何かを察したようなヨウが声をかける。手がかりか・・、ないこともないんだけど・・・。

 「手がかりかはわからないけどとりあえず動いてみるよ」

 まだ手がかりと確定したわけじゃない。成果が出てから話しても問題ないだろう。

 「そうか、何か俺たちに手伝えることはあるか?」

 「いや大丈夫だよ、手伝ってほしい時は僕から声をかけるから、その時はお願いしてもいいかな」

 ヨウとメイの二人に手伝ってもらえばそれなりにはかどるだろうし、解決も早くなるだろう。しかし今回は僕自身が一人で解決しなくてはいけないような気がした。

 「「もちろん」」

 二人の声がそろう。

 さて、まずは僕と同じ視線を向けられていた生徒会長に話を聞きに行こう。


 「生徒会室は初めてか?」

 生徒会室は僕の想像していた煌びやかなものではなく、空いている教室を使いやすく改造した程度の空間だった。

 「もっと華やかなものを想像していたが、そうでもなくて拍子抜けした、という顔をしているな」

 「いえ、そんなことは」

 こいつ、エスパーかよ。的確に僕の心を読んでいる。幼馴染のメイですらここまで僕の心を読んだことはないのに。

 「さてカン、君は俺に何を聞きたいんだい?」

 「クイナのことです、僕はクイナに嫌われていますが、なぜ嫌われているかわかりません。シン会長なら何か知っているのではないかと思って」

 「そうか・・、なぜ俺が何か知っていると思ったんだい?」

 意味深な間があった。やはり会長は何かを知っている。

 「クイナの会長を見る目が、僕に向ける視線と同じだったからです」

 「・・・そうか」

 何か知っていることは間違いない。しかし僕に話してくれるかどうか。

 「りょ・・カン、俺からいえることは二つだ、クイナが向ける視線は俺と君とでは違うということ、それと・・思い出してくれ」

 意味が分からない。こいつは視線の意味を知っているのになぜ教えてくれなんだ。思い出せとは何のことだ。

 「君が何を聞いても俺から答えられるのはここまでだ」

 問い詰めようと言葉が喉から出かかったところで会長に止められた。

 

 くそっ。

 あの後仕事があるからと、会長に追い出されてしまった。手がかりは一つも得られなかった。いや、会長も何か知っているということに関して収穫はあったか。

 そしてクイナと何かしら関係があるということも。


 それからというもの、特にこれといった手がかりをつかむことが出来ないまま月日が流れた。何とか手がかりをつかもうと、隣の席のクイナにコンタクトをとってみるものの、結果はいつも同じ。

 「今のあなたと話すことはないわ」

 この調子である。

その間僕はずっとクイナのことを考え続けていた。いや、正確には僕とクイナとシン生徒会長のことだ。僕ら三人には何かしらの関係があった。いや、今もあるのかもしれないが僕は知らない。

今となっては、クイナとの初対面の時のやり取りを覚えているものは、クラスにはほぼいない。それでも、僕はずっと考え続けていた。頭から離れなかったというべきかもしれない。寝ても覚めても、ご飯を食べていても、クソをしていても頭の隅にこびりついて離れない。一度考えてしまえば瞬く間に脳のリソースを持っていく。誰かと話している時でさえ。


「カンは何かやりたいことないのか?」

ヨウの問いかけに現実に戻される。

「何かって?」

「だから、文化祭だよ、文化祭。クラスでの出し物の案はないのかって聞いてんの」

そういえば四時間目はその話し合いだった。弁当を食べながら思考を文化祭のことに切り替えるがどうもうまくいかない。

「特にないなあ」

「なんだよ、つまんねえなあ」

「最近のカン、ぼーっとしてること多くない?」

一緒に昼ご飯を食べているメイに聞かれる。僕とクイナのことがあってから、メイはよく僕とヨウと一緒にいることが増えた。理由はよくわからないが、昔のように話せるので僕としてはうれしい。

「そんなことないと思うけど」

「もしかしてクイナさんのこと考えてたとか?」

さすが幼馴染だな。

「まだ引きずってんのかよ、相手にされてないの自覚しろよなー」

「相手にされてないのは自覚してるよ」

僕だってできるなら考えずに今まで通りにのんびり生活したい。でもクイナと出会った日から何かが変わり、シンと話したことでその変化が大きくなった。そんな気がする。

「クイナさんはいいなー、カンにそこまで想ってもらえて」

「別にそんなんじゃないよ・・・」

それからも進展はなく、文化祭初日になった。

当日はあいにくの雨で、二日開催の予定の文化祭はどちらも雨のようだった。外部から一般のお客さんも入場できるようになってはいるが、これではそこまで期待できないだろう。

「あーあ、せっかくの文化祭なのにテンション下がるぜ」

隣でヨウが愚痴っている。僕らのクラスは喫茶店をやることになっており、主にドリンクやサンドイッチなどの軽食を提供するお店だ。まあ、ありきたりといえばありきたりだが、悪いチョイスではないのだと思う。

席の数が決まっているから、一度に入れるお客さんの数には上限があるしメニューもそこまで多くはないから混乱しない。休みも交代でとることが出来るからほかのクラスの出し物も見ることが出来る。

しかも今日は雨なのでお客さんが少ないと予想できる。そこまで忙しくはならなそうだ。

「なあカン、文化祭どこ回る?」

「どこでもいいよ、どうせどこも空いてるだろうし」

「そうじゃねぇよ、行きたい店はあるのかってことだよ、俺はミスコン見に行きてぇ」

「ああ、いいんじゃない」

「いいんじゃない、じゃねぇよ一緒に来てくれよ」

おそらく一人でミスコンを見に行くのは恥ずかしいんだろう。ガチだと思われるから。僕と行くことで「ミスコンはついででたまたま通りかかっただけですよ」みたいな雰囲気を出そうとしているのだろう。

「休憩がかぶったらいいよ」

「心配するな、かぶってる」

準備は万全ってわけか。おそらく目当ては大本命と言われている三年生のユイ先輩だろう。僕も見かけたことはあるが、かなり可愛い人だった。小動物系とでも言うべきか。ヨウの好きそうな顔をしている。

「ミスコン行くならあたしも行きたい」

突然の声に驚いて、後ろを振り向くとメイがいた。

「カン、ミスコンに興味があるの?」

「いやヨウの付き添い」

「・・じゃあ興味ないの?」

「まあ、誘われなきゃいかないくらいには」

「・・でも行くんだ」

「誘われたからね」

「じゃあ、あたしも行く、いいよね?」

「僕はいいけど・・」

ちらっとヨウの方を見る。

「もちろん、三人で行こうぜ」

ここで僕がヨウとのやり取りを思い出し、休憩はかぶっているのか尋ねようとしたところ、

「休憩はかぶってるから心配無用です」

やはり幼馴染だなと改めて感じた。

「それじゃあ休憩まで頑張って働きますか」

ヨウがその場を占めて教室に向かう。僕とメイはその後をついていく。

ミスコンか・・。

クイナが出れば優勝間違いなしなんだろうけど、出ないだろうな。クイナはともかくメイが出てもいいところまでは行けそうだが。

「メイはミスコンでないの?」

僕はメイに尋ねてみる。

「え、出ないよ・・なんで?」

「いや、女子がミスコン見たいっていうくらいだし、興味があるのかと思って」

「それにメイならいいとこまで行けそうだし」

「うーん、出るの方は興味ないかな、ただ可愛い女子を見たいだけ」

そういうものか。メイからすると芸能人を見るようなものなのだろうか。

「それならわざわざ僕たちと行かなくても女子同士で行った方が盛り上がるんじゃないの?」

「まーそうなんだけどね・・休憩かぶってる人いなくてさ」

「そっか、じゃあまた休憩の時に」

「うん、また」

教室についたのでメイと別れる。

メイは主に受付を任されているが、僕とヨウはキッチンやホールを任されている。力仕事だ。他のクラスがメリーゴーランドとか作っていたが、うちのクラスは喫茶店で本当に良かったと思う。あんなところで働かせられたら、筋肉痛では済まないだろう。

忙しいお昼の時間帯が過ぎるとお客さんの数も減ってきた。完全に舐めていた。お昼の時間帯は想像以上に忙しかった。いくら客の数に上限があるといってもお昼となれば、一人当たりの注文の量が増える。途中から受付をしていたメイとその友達も加勢に来てくれたが、それでもいっぱいいっぱいだった。

ヨウなんて途中で焦ったのか、転んで注文の品をぶちまけてしまっていた。それで余計忙しくなったのは言うまでもないが。

だから今の状態はとても楽に感じる。二時を回ったところでお客さんは上限の半分くらいだ。これなら雑談しながらでも回せる。

だが本当に雑談することになるとは思わなかった。

シンが来たのだ。

「いらっしゃいま・・」

思わず言葉に詰まってしまったが、平静を装って言い直す。

「いらっしゃいませー」

シンは僕の方を一瞥しただけで席に座り、メニューを見始めた。魔の悪いことにホールは今僕しかいない。僕が注文をシンに聞きに行くしかないのだ。ぶっちゃけ、生徒会室で話をしてから気まずい。廊下ですれ違っても目をそらしてしまう。シンも僕に話しかけてこない。シンが僕を呼んだ。

「ご注文は?」

「コーヒー一つ」

「かしこまりました、少々お待ちください」

店員とお客の関係を始めた僕に、シンは乗ってくれた。このまま何事もなく終わってほしかったが、そんな都合よくはいかなかった。

「この前の話だけどさ、思い出したかい?」

僕がコーヒーをシンにもっていったところで、向こうから話しかけられた。

「業務中ですので」

「客は今俺だけだ、問題ないだろう?ちゃんとほかの従業員にも許可はとったさ」

僕がコーヒーを入れている間にほかのクラスメイトに声をかけていたと思ったら、そんなことをしていたのか。

「まあ座りなよ」

こうなってしまっては仕方ない。ここで断れば、クラスメイトに何か言われるかもしれない。もっとも、すでにこの状況で何も言われないとは思えないが。

「思い出すも何も、僕は初めからなにも忘れてませんし、なぜ今のタイミングなんですか?」

「今のタイミングだからこそだよ・・」

「?」

「カンーー、そろそろいこー」

メイの声だ。助かった。

「それでは僕はこれから休憩なので」

僕は逃げるように廊下で待っていたメイとヨウのもとへ走り、その場を去った。

中庭に行くとすでにたくさんの人が集まっていた。雨は既に止んでいて、少し熱いくらいに太陽が中庭を照らしていた。まるでステージを照らすライトのように。むろんミスコンなので前の方に集まっているのは男子だ。女子も数人いるが、大方出場者の友達だろう。知り合いがいないのに男と見に来るような女子は、おそらくメイだけだろう。

「エントリーナンバー一番!三年一組のユイ先輩だー」

最初から大本命か。髪を巻いて化粧をしているためか、僕の記憶にあるユイ先輩よりかわいくなっている気がする。現に周りの男子の盛り上がりはすさまじいものがある。

この後に紹介される人は嫌だろうな、と思いつつ、やはりクイナが出れば優勝だろうなと思ってしまう。

ミスコンは結局、ユイ先輩が終始圧倒して優勝した。まあなんとなく結果は見えてたけど、改めて結果を目の当たりにすると本当にかわいい人なんだなと思った。

ヨウは気づいたら最前列にいて僕とメイをほったらかしで叫びづけていた。

これなら僕いらなかったんじゃと何度も思ったが、メイもいたので途中で抜けるわけにもいかず、端っこで座って眺めていた。

「カンはどんな子が好み?」

「なんだよ急に」

僕は男でメイは女だが、普段こんな会話はしない。少し驚いて聞き返すと、

「ミスコン、誰が良かったか聞いてるんだけど」

ああ、そういうことか。

「うーん、どの人も整った顔してると思うけど好みってなると難しいなあ」

「私はやっぱりユイ先輩かな、すっごい可愛いし」

「盛り上がりからしてあの人の優勝は堅いだろうね」

「ねー」

そんな気の抜けた会話をするほど、僕らは端っこにいたのだ。

そのせいか、ミスコン後にヨウは僕達を見失ったらしく、三メートルくらいの距離にいるのに電話をかけてきた。

これには僕もメイも面白くて、わざと電話に出なかったりと、少し意地悪をして楽しんだ。

「わかってたなら声かけろよな」

僕らを見つけた時のヨウのバツの悪そうな顔は、一ヶ月は覚えてられるほど面白かった。

僕らは結局その後も、休憩時間が終わるまで一緒に文化祭を回った。射的に迷路、お化け屋敷などの、いかにも文化祭らしいものを楽しんだ後、みんなで焼きそばを食べたりもした。

久しぶりに楽しかった。こんなに楽しかったのはここ最近で記憶にないほどだ。それはきっと文化祭だからではなく、ヨウとメイと一緒に文化祭を回っているからなのだと、僕は確信していた。

二日目も三人で回れたらと、そう思っていたが、それはかなわなかった。


文化祭も二日目になった。二日目といっても最終日なので、どの生徒も初日以上のテンションの高さだ。例にももれず、ヨウもその一人だった。わかりやすくテンションが高く、廊下ですれ違う人ほとんどにハイタッチを求めている。

一緒に歩くのが少し恥ずかしかったが、かくいう僕も多少なりともテンションが上がっていた。昨日があんなにも楽しかったのだ。きっと今日も楽しくなるに違いないと思っていた。

今日も昨日と変わらず、お昼時は忙しかった。いや、正確には昨日よりも忙しかった。朝から天気が良かったために、外部からのお客さんもたくさん来たからだ。僕とヨウは当然ながら、今日は受付のメイまでも忙しそうにしていた。次から次にお客さんが来るために、行列を作る必要があり、その案内に追われていた。廊下に行列ができるわけだから通行の邪魔にならないようにするのに奔走していたらしい。

「私がいなくなるとすぐに広がるんだから嫌になっちゃうわ、ほんと」

と愚痴っていた。

僕達三人の休憩まであと一時間となったころ、サンドイッチのメイン材料である食パンが、が足りなくなってしまった。

まさかなくなるとはクラスのだれも思っておらず、どうすればいいか焦っていた。中には営業を終えてしまえばいいのではと、いかにも遊びたそうな態度で提案する者もいたが、結局サンドイッチの販売のみ止めるということで落ち着いた。

しかしメイが

「それなら私パン買ってくるよ」

といった。

確かに客足が落ち着きつつあるため、中は忙しいが行列は減っている。受付が一人いなくなっても問題ないだろう。

みんなの賛成もあり、メイが一人で買い出しに行くことになった。学校の前の道路を渡ったところにスーパーがある。早ければ十分程度で帰ってこれるくらいだ。僕は自分の仕事に戻る。

しかしメイがパンをもって教室に戻ってくることはなかった。


「遅いな」

「うん、遅すぎる」

忙しい時間帯も終わり、客の数が減ってきたころ、僕とヨウで話していた。メイが買い出しに出てから三十分は経っている。

少し前から遅いとは思っていたが、店が忙しすぎて誰も様子を見に行くことが出来なかったのだ。

「誰かメイから連絡来てないか?」

ヨウがクラスのみんなに聞いてみるが、誰も連絡は来てないという。

僕も連絡してみたが反応はない。何かあったのではと様子を見に行こうとしたところで、担任が教室に入ってくる。

「みんな、ちょっと聞いてくれ。メイが事故にあった」

決して大きい声ではないその一言で騒がしかったクラスが静まり返る。

「学校前の道路を渡ろうとしたところで大型トラックにはねられた、今救急車で近くの病院に運ばれている」

誰も声を発しない。僕もヨウもそうだ。思考できない。事故という言葉を理解しているもののそれ以上考えることが出来ず、頭の中でひたすら事故という単語が流れている。

そこからはどうやって帰ったか、その後文化祭をどう過ごしたか覚えていない。すぐにでも病院に行きたかったが、面会できる状態ではないといわれ、その日は帰された。

メイは大丈夫だろうか、いや大丈夫なわけがない。面会もできないほどなのだ。もしかしたら意識がないのかもしれないし体が動かない状態なのかもしれない。

だめだ、悪い想像しかできなくなっている。僕はこれ以上悪い想像をしないように、現実から逃げるかのようにベッドに入り、眠りについた。


「カンーーー!!早くしないと遅刻するわよーーー!!」

今朝は母の声で目が覚める。いつのまにか寝てしまったようで、目覚ましもかけ忘れていた。いつもは鬱陶しいこの声も、今朝はありがたかった。この声がなければ寝坊していただろう。

「はーい」

いつもと違い感謝しながら返事をしたものの、やはり気分は最悪だ。メイは大丈夫だろうか。そのことばかりが頭の中をぐるぐる回っている。

「メイが今朝亡くなった」

「・・は?」

「昨日からずっと意識不明の状態だったんだが、今朝息を引き取った。医者が言うにはもった方らしい。」

先生は何を言ってるんだ?メイが死んだ?何かの間違いだろう。きっとドッキリか何かだ。どこかで僕らの様子を観察していて、ドッキリ大成功と書かれたプラカードをもってひょっこり出てくるに違いない。だってメイは僕の幼馴染だ。あの明るいメイが死ぬはずない。

そう思っていたところで、教室のあちこちから鼻をすする音が聞こえたり、涙を流している姿が見えたところで、本当にメイが死んでしまったのだと認識してしまう。

なぜあの時、買い出しに一人で行かせたのだろうか。なぜサンドイッチの販売を中止せず、続けようとしのだろうか。

今となって後悔が無限に出てくる。なぜもっとメイと一緒にいなかったのか。最近まで疎遠になっていたことさえ後悔としてあふれてくる。

一度あふれてしまった後悔と涙は止まらない。

結局その日の一時間目は授業にならず、クラス中が涙を流して悲しむだけだった。

それから数日後にメイの葬儀が行われ、僕らはクラス全員で出席した。メイはクラスの中心人物というほど目立つ方ではなかったが、みんなから愛されていた。そのため僕らクラスメイト以外にも、他のクラスや学年から出席者が多くいた。中にはシンの姿もあった。

なぜシンがメイの葬儀に出席しているのだろうか?僕の知る限りシンとメイに関係性はないはずだが。生徒会長だからだろうか。

葬儀の帰り道、シンと会った。正確にはシンを見かけた僕が声をかけたのだが。

「メイと交流があったのですか?」

僕はどうしても気になって訪ねた。

「いや、友達の友達といった程度の関係だよ」

「・・そうですか」

「・・・一つ聞いてもいいか、君にとってメイはどんな存在だった?」

シンから質問を返されたのでとても驚いた。しかも内容が内容だ。まるで人に興味がなさそうに見えるこの男からこんな質問が出たのだから。

「・・大切な幼馴染ですよ。」

「大切な・・・、そうか、ありがとう」

そういってシンは分かれ道を曲がり、帰っていった。

最後の質問は、どんななんだったんだろうか。

僕にとってメイは・・大切な幼馴染だ。

幼馴染の・・はずだ。


「カンーーー!!早くしないと遅刻するわよーーー!!」

今日もいつもと同じ朝を迎える。

いつも通りの時間に起き、いつも通りの朝食を食べ、いつも通りの時間に家を出る。いつもと違うことといえば、メイがいないこととクイナが僕の家の前で待っていたということだ。

「何か用かい?」

僕はクイナに尋ねた。

「一つ聞かせて、メイはあなたにとってどんな人だった?」

それを聞いて僕は、なぜか今まで抑えていたものが一気にあふれてくるのを感じた。

「お前らは一体何なんだ!その質問なら昨日会長にも聞かれたよ!俺にとってメイは幼馴染じゃダメなのか?!・・ああ、そうだよ、僕はメイが好きだった、昔から好きだったんだ!大切な幼馴染なんかじゃない、好きな人だったんだよ!」

自分でも驚いた。

涙を溢れさせながら、叫ぶように言ったことも、僕がメイを好きだといったことにも。

クイナは驚きと少しの悲しみを含んだような顔をしていた。その顔を見て僕は我に返る。

「ごめん、急に怒鳴って、・・でもこれで満足でしょ?」

僕はその場から逃げるように駆け足で学校に向かった。

涙を拭きながら駆けて、学校の前につくと、メイが事故にあった道路についた。学校の目の前にあるのだから、そこに着くのは当然なのだけれど、僕はなんだか不思議な気持ちになった。なぜか既視感を覚えたのだ。

学校からは始業のチャイムが聞こえ、授業が始まろうとしているが、僕は道路の前から動けずにいる。前を大きなトラックが通り過ぎて強風が僕を襲った時、僕の中で何かがはじけるような感覚がした。

「・・・あ・・・・・・」

僕は走り出していた。二人に謝るために。


教室に入るはと、みんなが僕に注目した。それもそうだ、授業中に遅刻してくるクラスメイトは注目を集めるにきまってる。

「カン、遅刻だぞー」

担任の気だるそうな注意を僕は無視し、まっすぐクイナのところに向かう。

「放課後話があるから、屋上に来て」

クイナは少し驚いた顔をしたが、すぐに答えた。

「ごめんなさい、予定があるの」

断られることも想定していた僕は、続けた。

「思い出したんだ、全部」

その言葉にクイナはまた驚いて少しうれしそうな顔をした後、

「わかった」

と了承してくれた。

クラス中がぽかんとしていたが、僕は用を終えたので教室を後にした。

もう一人のところへ向かうために。


次は三年生の教室だ。さっきは自分の教室だったから気にならなかったが、今回は少し緊張する。しかしやらなくてはいけないことなので、僕は心を決める。

勢いよく教室のドアを開けると、そこにはこちらを不思議そうに見ている三年生がいた。ほぼ全員がこちらを見ているだけでなく、数人は明らかに嫌悪感を向けてきている。

受験期間の授業中に教室を訪れてくる後輩にはそんな目も向けたくなるだろう。

僕は一瞬気圧されたが、シンを見つけるとシンのところまで行きクイナと同じように屋上に来るよう伝えた。

シンはクイナと違って一度で了承してくれた。僕の意図を察してくれたのかもしれない。

さて今やるべきことは終わった。後は放課後を待つだけだ。


屋上についたのは、僕が最後だった。ここに来るまでにヨウにしつこく付きまとわれたからだ。

「告白すんのか?」

「違う、大事な話をするだけだよ」

「告白じゃん」

そんなやり取りを繰り返していたが、僕がいつになく真剣な顔をしていたことと、少し鬱陶しく感じていたことを察して、最後には何も言わず、僕を送り出してくれた。

先に屋上にいたシンとクイナが何か話していたようだったが、僕が来ると話を止めて僕をまっすぐ見つめた。僕が話すのを待っているようだった。

「来てくれてありがとう」

「前置きはいい、思い出したんだろ?」

「うん、きっかけはメイの事故だったと思う、今朝事故があったところでぼーっとしていたら、トラックの強風にあてられて、その時にすべて思い出したんだ。」

「トラックの強風・・・・」

僕の話にシンが答え、クイナは静かに聞いている。

「迷惑かけたね、今までごめん、海人、笑美」


僕の名前は井上良太。大学生だ。大学はそこそこいいところに通っていて、脳の仕組みについて研究している。僕は一人っ子で両親と一緒に暮らしている普通の家族だと思う。いや、僕にはもったいないくらいの幸せな遺族だと思う。孤児として施設に入っていた僕を、両親は引き取ってくれてここまで育ててくれた。感謝してもしきれない。

父は有名な会社に勤めており、研究職らしい、詳しく聞いたことはないが、機械が人体に与える影響について研究しているらしい。

母は専業主婦で、最近は料理教室に通っている。日に日に料理のレパートリーが増えているので、順調なのだろう。

絵にかいたような、幸せな家庭。ぼくはとても幸せだった。

しかし、それはある日突然壊れてしまった。

両親が交通事故にあったのだ。横断歩道を渡ろうとしたところで、居眠り運転のトラックに突っ込まれた。

即死だった。

僕は大学で講義を受け、帰ろうとしていた。その時に携帯の着信が十件以上来ていることに気づいて、折り返すと警察からでああった。

「井上良太さんの携帯で間違いないですか?」

「はい」

「実はご両親が・・・」

僕はしばらく警察からの電話の内容を理解できずにいた。長いこと放心していた気がするが、実際は数秒だったかもしれない。

警察署につくと、両親に合わせてもらうことが出来た。会うといっても両親は僕を認識できない、僕が一方的に会うだけだ。

泣けなかった。

目の前で横になっている両親は、今にも起きて僕に声をかけてくれそうで、とても死んでいるようには見えなかった。警察署を出てからもぼーっとしていた。

これから両親のいる家に帰るのだと、無意識のうちに思ってしまう。

そして家につくと自分しかいないことをいやでも自覚する。いつも暮らしていた家が、まるで違う家のように広く感じて、その時初めて僕はあふれるほどに涙を流した。

そんな時に支えてくれたのが、恋人の田沢笑美だ。

彼女とは高校時代から付き合っており、両親と同じくらい大切な人だ。

彼女は僕が両親を亡くしたことを知って、ほぼ毎日のように僕の家に通ってくれた。僕が一人でいると両親の後を追ってしまうとでも思ったのかもしれない。事実そうなりかけたことも何度かあった。彼女がいなければ確実にそうなっていただろう。

彼女のおかげもあって僕は数ヶ月で両親の死を受け入れ、立ち直った・・。


「笑美―、早くしないと抗議遅れるよ」

「わかってるー」

友達の京子に呼ばれて小走りで教室に向かい、なるべく後ろの席に座る。大学の講義は席が決まってないから楽でいい。

「今日もこの後彼氏のとこ行くの?」

「うん」

「健気だねー、家族を事故で亡くし落ち込む彼氏につきそう彼女、なんて健気なんでしょう」

「ちょっと、馬鹿にしないでよ」

京子は基本的にはいい子なのだが、こういうところがある。ところどころデリカシーがないのだ。そこさえ直せば見た目はいいのだからもてそうなものなのに。

「・・ごめん、今の良くなかったね」

私が少し真面目に注意すると、すぐにこうして謝ってくれる。素直でいい子だが、思ったことをすぐに口に出してしまうのだろう。結局私は京子のこういう素直な部分が好きなのだ。もし素直に謝れない人であったなら、すでに距離を置いているはずだ。

それに京子の言っていることもあながち間違いではない。家族を亡くした恋人の家に入り浸り、中を深めているのだから傍から見れば健気なのだろう。

良太を支えたいという気持ちに嘘はない。しかしどこかで、良太が家族に使っていた時間を自分に使ってくれることに喜びを感じている自分もいる。

私は最低だ。

その日大学から直接良太の家に行くと、誰かの靴があった。見た目からして良太と同年代の男子のものだろう。

いつものように、お邪魔しますと声をかけて、良太の部屋に入ると、高校時代の同級生の小沢海人がいた。

「なんだ小沢君か」

「田沢さん、こんにちは、お邪魔してますで合ってる?」

「うーん・・任せるよ」

自分の家ではないので正解ではないが、自分は良太の彼女だし、最近は自分の家よりもここにいる時間の方が長い。まあどちらでもいいだろう。

「何してるの?」

私が二人に尋ねると、二人はそれぞれが大学で行っている研究を組み合わせられないか話していたらしい。良太は脳の仕組みについて学んでいて、以前にお父さんの影響と自分で言っていた。小沢君は機械の技術者でプログラミングなどについて研究しているらしい。

「二人でどんなものを作ろうとしてるの?」

「脳の働きを機械に学習させて、機会に脳の動きを再現させたりかな、もっと進めれば脳機能、つまり思考や感情を機械の中に再現することもできるかもしれない」

「それって機械の中の世界に意識を入れることが出来るってこと?」

「あくまで可能性だけど、まあそうだね」

私はぞっとした。

「ねぇ、二人は大学入ってからはそんなに会ってなかったよね?どうして一緒に研究しようなんてなったの?」

努めて平然と聞く。理由はないが動揺を悟らせてはいけないと思った。もしばれれば良太が強硬手段に出るかもしれない。

「あー、実は最近ばったり良太に会ってさ、良太が声かけてくれたんだよ」

「そうなんだ・・」

嘘だ。おそらく良太は小沢君が技術者になることを何らかの方法で知り、それを利用しようとしているに違いない。そして小沢君はそれを知らずに手伝っている。

現に今も私たちの会話に参加せずに、黙々と作業している。

機械に意識を入れるなんて馬鹿げてる。でも今の良太ならやりかねない。両親が死んでからというもの、良太の心はこの世界にはない。おそらく両親との思い出の記憶の中にあるのだろう。

この前良太が一人でいるときに、いないはずの両親に話しかけている姿を見てしまった。私の姿を見ると話しかけてきたので、心だけ思い出の中にあり、意識は現実に向いているのだろう。

今はそれでもいいと思っていた。これから少しずつ立ち直ってくれればいいと。

だがダメだった。今の良太は現実から逃げるために現実を全力で生きてる。


小沢君が帰った後、私は良太に聞いた。

「ねぇ良太、さっき言ったこと、本気じゃないよね?」

「さっき言ったこと?」

「意識を機械の中の世界に入れるってやつ」

「そんなことしないよ、心配性だな笑美は」

嘘だ。もう何年も付き合ってるのだ。良太の笑顔が嘘だってことぐらいはわかる。

おそらく、良太は機械の中の世界に自身の意識を移し、現実から逃げようとしているのだ。

「あなたはそれで本当にいいの?機械の中に作った世界に行くことが、あなたを救うかもしれないけど、解決にはならないのよ・・・」

良太は答えない。さっきまで普通に会話していたから聞こえていないわけではない。

「・・今日はもう遅いから帰りなよ」

良太の口から出てきたのは、その言葉だけだった。

次の日から良太は、私を避けるようになった。家に行っても留守のことが多かった。居留守の可能性もあるが、良太を見かけ声をかけようとすれば逃げられる。

小沢君を通じて会おうとしたのだが、

「今は会いたくないらしいよ」

とだけ言われてあってはもらえなかった。

まずい。こうしている間にも良太は機械を完成に近づけている。私は強硬手段に出ることにした。良太の家の前で見張り、小沢君が家に入るタイミングで押し入る。褒められたものではないがもう時間がない。

案の定そのチャンスはすぐに来た。私が張り込んでいると、すぐに小沢君が来た。インターホンを押し玄関喉が空いた瞬間駆け込んだ。

結論から言うと、作戦は成功した。小沢君は驚いた顔をしており、良太はあきらめたような顔をしていた。

私は小沢君に良太の思惑を話した。小沢君が止めてくれれば、機械そのものを作れなくなると考えたからだ。

「良太・・それ本当なのか?」

小沢君が良太に問いかける。

「・・・・ああ」

「わかってるのか?意識を機械の世界に入れる行為は、一生続けることはできないんだ。肉体が先に死んでしまうからな。いつか必ず終わりが来る。その時お前がどうなってしまうか・・・俺はお前にそんなことをさせるために協力したんじゃないぞ!」

良かった。小沢君が反対してくれれば良太は機械を完成させることはできない。怒りを抑えきれていない小沢君の横で、私は表に出さないようにほっとしていた。

しかし次の瞬間、その考えは甘かったのだと思い知る。

「ちょっと待て、良太お前、機械をどこにやった?」

遅かった。良太は既に完成させた機械をどこかへ移動させていた。

「あきらめてくれ。俺はもう耐えられないんだ。何もかも忘れたいんだよ。」

その言葉に私は希望を失いつつあったが、小沢君は隣で何かを思いついたようだ。

「そうか。仮想の世界に自分の意識を取り込む他に、自分の記憶を仮想世界の人格に移行せず参加する機能を付けたのはこのためか。お前がエンタメの要素として試したいというから機能に含んだのに」

「ああ、もう俺に井上良太という人間で生きていく力はないんだ。最愛の両親を失った井上良太という人間を・・」

私が立ち直ったように感じていた良太は、良太が演じていたものだった。決意は本物。機械のありかは良太しか知らない。もう良太を止めることはできないのか。

「まあ、安心してよ。今すぐ仮想の世界に行こうとしてるわけじゃない。僕にだってやるべきことはあるからね。最短でも一週間後だよ。」

「なんだよ、やるべきことって。」

小沢君が尋ねる。

「いろいろさ。僕にだってプライベートは必要だろ?」

「人生をあきらめた人間にプライベートが必要なのか?」

「だからこそさ・・」

私たちはそれ以上良太を問い詰めることはできず、その日は帰った。

しかし次の日、良太の意識は仮想世界に旅立っていた。

「くそっ、やられた。」

良太を問い詰めた翌日、私たちは良太の家に行くと、良太はいなかった。

嫌な予感がした私たちは、良太の行きそうなところをしらみつぶしに探した。

結果良太を見つけたのは、良太の家の両親の部屋だった。手詰まりになって良太の家に帰ってきたときに、機械音に気づき良太を見つけたというわけだ。

良太は頭にヘッドギアをつけて眠っているかのように横になっていた。私たちはそれを見て絶望した。

「ねえ小沢君、良太からこの機会を外したら良太戻ってくるんじゃないの?」

あきらめきることが出来ず、藁にも縋る思いで尋ねた。

「いやだめだ、今良太の脳と機械は意識を共有しているようなものなんだ、無理やりそれを引き離せば、良太の精神が壊れるかもしれない。あくまで良太自身の意思で戻ることを選択しないといけない。」

無理だ。私たち二人を騙して入った世界に自分から出てこようとは思わないだろう。もう何も手はない。と思った。

「・・・良太を説得できればいいんだよね?」

「・・?それが出来ないから困ってるんじゃないか」

小沢君があきらめたような声で返すが、私は気にせず続ける。

「だから、仮想の世界で良太を説得すればいんじゃない?」

「それだ!」

機械は三人分ある。良太が一つ使っているから残りの二つを私と小沢君で使えば、良太のいる世界に行くことが出来る。

「じゃあすぐに」

私がヘッドギアをつけようとしたところで小沢君が私を止める。

「待って。いくつか注意しなくちゃいけないことがある。」

「注意?」

「まず仮想の世界と現実では時間の流れが違う。仮想の世界の方がずっと早く時間が流れていること。次に一度に仮想の世界に入れるのは一人でインターバルが一日程度必要なこと。最後に良太はこっちの記憶をなくして仮想の世界で生活している可能性が高いということだ。」

「一つ目はわかった。二つ目に関しては私が先に行くけどいいよね?」

当然私が良太を説得するものと思っていたので、そもそも小沢君も仮想の世界に行くと考えていることに私は驚いた。

「いやまだこの機械は完璧であると断言はできない。まず俺が行って良太と同じ世界に入ることが可能かどうかテストして戻ってくる。その後二人で順番に行こう」

確かに焦って良太のいる世界に行けなければ、それこそ意味がない。私はしぶしぶ承諾した。

「わかった。それで良太の記憶がないっていうのは?」

「もし向こうの世界で良太が記憶をなくしていた場合、無理やり思い出させるのはよくないんだ。」

「どうして?良太を説得して記憶を思い出してもらえれば説得もしやすくなるじゃない?」

「良太は向こうの世界でも暮らしていてその記憶をもっている。そこに無理やり二十年近くの記憶が戻ると脳に大きな負担がかかって、最悪脳がショートするかもしれない。」

「ショートって?」

「わからないけど、最悪植物状態だね」

「じゃあどうすればいいのよ」

「良太に自発的に思い出してもらうしかいない。そのために僕らはきっかけを与える程度しかできないわけだ」

「そんな」

そんなことが出来るのだろうか。記憶を思い出すきっかけを与えるなんて、おそらく宝くじを当てるよりも難しいだろう。

それでもやるしかない。良太を取り戻すために。

「でもそれしか方法はないのよね。」

「そうだ。良太を救えるのはこの世界で僕達だけだ。」

そういって私たちは入念な準備の下、良太のいる仮想の世界に行ったのである。


「話の前に一つ聞いてもいい?」

僕は二人に尋ねる。

「二人はなんでこの世界に来たの?あとなんで仲悪そうにしてたの?」

「この世界に来たのはあなたのためよ」

それまで一言も発しなかったクイナ、笑美が食いつくように言った。

「僕のため?」

「あなたをこの世界から助け出すために来たのよ」

「・・・なるほど。で、仲が悪かったのは?」

「それは小沢君が私よりも先にこの世界に来ていたのに何もしていなかったからよ」

「それは・・」

シン、海人は何か言いたそうだが言えない様子だ。

「そうだったのか。改めてごめん二人とも。迷惑かけたね」

「じゃあ、一緒に現実世界に戻ってくれるのね」

笑美の顔が一気に明るくなった。やはりきれいな顔をしているなと、思ってしまった。

「いや、現実には戻らないよ」

「え?」

笑美は何を言われたのか理解できないかのように固まった。

一方海人は、なんとなく知っていたような感じだ。おそらく僕のここでの生活を見て、記憶が戻っても現実に戻らないことを悟っていたのかもしれない。

「どうして?ここは現実じゃないのよ?現実じゃない世界を生きていたって虚しいだけでしょ?」

「そんなことはないよ、笑美。僕にとってはこの世界こそが現実ですべてなんだ。何が現実かなんて人によって違うだろ?」

「僕はここで生きて死んでいきたいと思ってる」

「そんなの無理よ!現実世界で肉体が死んだらあなたも死ぬのよ?そんなに長い期間意識のない肉体が生き続けられるわけない」

「この世界は時間の流れが速いだろ?」

その言葉で笑美は、はっとしたように固まった。

「僕の身体が死ぬよりも先に、こっちでの寿命が尽きるはずだから」

笑美は既に泣いていた。当然だ、恋人が自分のいる世界よりも、いない世界で生きることを望んでいるのだから。

「笑美、今までありがとう。本当にごめん」

正直、記憶が戻ったといっても今の僕にとって現実世界の記憶は、体験した記憶ではなくただの情報に近い。笑美との楽しい記憶も、海人との高校生活も、両親が死んだことさえもが、僕にとってはただの情報になってしまった。

それよりもヨウとの思い出やメイに対する気持ちの方が、僕にとっては現実であり、体験した記憶のように感じている。

そして海人は僕の気持ちや感情について気づいていたのだろう。だから、僕から接触するまで、僕に対して何のアクションも起こさなかった。

「海人・・」

「良太、俺も初めはお前を現実の世界に連れ戻そうと考えていた。でもこの世界で生きるお前を見ていて気が変わったんだ。良太、悔いの残らないように生きろよ」

「・・ありがとう」

「いやよ!良太、お願い、一緒に帰って・・」

笑美はいつまでも泣いていた。声が枯れ、涙が枯れるまで。

僕と海人はそれを静かにみていることしかできなかった。


「じゃあ、元気でな」

「そっちもな」

翌日、海人は現実の世界に帰ることになった。笑美は昨日、日が暮れるまで泣いた後に決心がついたのか、自分もこの世界に残ると言い出した。僕も海人も驚いたが、二人とも止めることはしなかった。

「田沢さんも元気でね」

「ええ」

全員、長くは語らずお互いに声を掛け合ったところで、別れた。現実の世界には戻りたいと願うだけで戻ることが出来るので、一瞬で海人は消えたように、帰っていった。

「笑美、言っとかなきゃいけないことがあるんだ、僕らの関係のことなんだけど」

笑美、クイナには僕がメイのことを好きだということを言ってしまっている。メイはこの世界で死んでしまっているが、笑美とこの世界でも恋人でいることはできないだろう。

「わかってる。良太の気持ちはこの間聞いたもの、それでもあなたといたいからこの世界に残ったのよ」

驚いた。僕の気持ちを知っているのはわかっていたが、そこまで考えていたとは。

「・・ありがとう」

「お礼を言われる筋合いはないわ、私が好きで残ったんだから」

「うん、そうだね」

笑美のこういうところはさすがだと思う。僕に負い目を感じさせないためだろう。

「それにしても小沢君はこんな世界をつくっちゃうなんて、将来は優秀な技術者になるわね」

「まあ、そうだね、でも海人はきっと気づいてるから、幸せになれるかは海人の選択次第だね」

「?、どういう意味?」

「いや、何でもない」

これは笑美には言うべきではないな。言おうが言うまいが何も変わらないだろうし、変わらないなら伝えるべきではない。これはこの世界を作った僕と海人が知っていればいいんだ。

きっと僕は、僕らはこの世界で幸せになれる。辛いこともあるだろうが、きっと乗り越えていける。だってこの世界にはヨウも笑美もいる。メイだって僕らを見守っていてくれる。

だからこのことは、今の僕らが取り組む問題でも乗り越える問題でもないんだ。




現実の世界が仮想であった可能性については。


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記憶の熱 @yoshiyanosyora

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