じのものをお好きにトッピング
ようやく暑い暑い夏も終わりかと信じてもいいかな、と思い始めた深夜。羽菜はおもむろに財布を鷲掴みにすると、サンダルを履いて外に出た。行先はといえば、アイス屋だ。
夜道の脇では、コオロギ達が涼し気な曲の練習をしている。まだなんとなくぎこちないのはご愛敬。そこに「まだ夏は終わってないんだが?」と確認するように蛙のボーカルが飛び入りしてくる。少し前までは聞きたくもない声だったが、この時期になるとちょっと心地いい。人というのは現金なものだ。
目的のアイス屋は坂の上にポツンと佇んでいた。まばらにな街灯が頼りない深夜の田舎道に突然現れる赤提灯の屋台。いつ見ても不振だ。が、慣れとは恐ろしい。羽菜はなんの躊躇いもなくのれんを押し上げた。
「こんばんはー」
「ワン!」
「犬しかおらぬ」
店の中には麻呂眉の黒柴が畏まっていた。
「なんだ……。お前か」
黒柴は羽菜の顔を見るとプイッと横を向いて尻尾を振るのを辞めて呟いた。おのれ。犬にあるまじき塩対応。
「なんだはないでしょ。てかなんでファーリーしかいないの? クリスは?」
「クリス様は屋敷だ」
「え? 体調悪いとか? 大丈夫?」
「あまりに客が来ないので落ち込んで一旦帰宅した」
「メンタル弱すぎでは?」
「客が来たら知らせる手はずになっている」
「諦めてはいないんだ」
「だから、まあ待て。今飲み物を作る」
「え、ありがとう」
羽菜が屋台のスツール……というか箱というか椅子に腰かけると、黒柴が器用にグラスにお茶を入れて差し出してきた。ずんぐりとした円筒状のガラスのグラスの中には、爽やかな緑の飲み物が注がれ、底にはころんと赤茶けた丸い物が沈んでいる。
「うわー綺麗。これ、お茶?」
「ああ。水出しの緑茶だ。梅干しを入れておいた」
口に入れると、さわやかな緑茶の香り。遅れてほんの少しの酸っぱさ。酸味。夏の夜風に気持ちいい。香りと酸味が去った後には、ほんのりとした甘みが。
「美味しい! あー、生き返るねー。
「そうか」
犬はプイと横を向いたが、その尻尾はブンブンと揺れていた。
「そういえばさ、クリスとファーリーってどういう関係?
「ほう、知ったような口を」
「あ、ごめんごめん。2人は仲いいよねって思って不思議でね」
「それはそうだ。吸血鬼だの狼男だの言う前に、クリス様は俺の兄だからな」
「え。兄って。お兄さん?」
「それ以外に何がある」
「血のつながった実の兄って事?」
「そうだ。母は違うがな。俺もクリス様も元々はお前らと同じ人間だ。タマモ様のような存在とは違ってな」
「ええ~!」
クリスとファーリーの2人が兄弟とは。あまり似ていないのはともかく、人の姿の時のファーリーは壮年、ガタイのいいおじさんと言ってもいいくらいだ。それに比べてクリスは、華奢な青年紳士だ。どう見てもファーリーの方がクリスよりもかなり年上に見える。それなのにクリスが兄でファーリーが弟とは。
「兄と弟の順番間違ってない?」
「クリス様の方が7つ上だ」
「7! めちゃめちゃ上じゃない! ええ!? ファーリーどんだけ老け顔なの」
「はあ……。これだから人間は」
柴犬は溜息を吐いて後ろ足でカリカリと首筋を掻いた。
「いいか。そもそも吸血鬼は不死者だが、狼男は不死の存在じゃあない。人間に比べれば遥かに寿命は永いがな。ゆっくりだが年は取るし寿命はある。だから、俺はいつか死ぬ。クリス様は死なんがな」
「そ、そうなんだ」
「クリス様は俺がガキの頃、身代わりになって吸血鬼に堕とされた。その時の姿のままだ。その後、俺はクリス様の身の回りのあれやこれやを世話してきたんだ。知ってるか? 吸血鬼というのは不便なものでな。家に入るにも、誰かに招かれないと入れない。川も自分では渡れない。ひとりではひっそり生きる事すら難しいんだ」
「吸血鬼のあの手の伝承って本当だったんだ」
「おまけにクリス様は、その……、度を越えてだらしない。適当すぎてひとりで隠れて生活するのはもちろん、普通の生活も無理だ」
「それはわかる気がする」
「最初の数年は俺は人間のままクリス様のお世話をしていたんだ。弟という立場でな。だが、吸血鬼がひとところにとどまるのは危険だ。いつまでも変わらない姿は、簡単に疑われる。疑われれば、何かあった時のはけ口にされる。天変地異や犯罪は全てクリス様のせいにされてしまう」
異質であること。皆と違う事。当たり前な事なのに、特別にされてしまう。能天気に見えるクリスも、いろいろと苦労をしてきたのかもしれない。黒柴は遠くを見るように鼻を上げたが、羽菜の視線に気づいてすぐに頭を振った。
「だから何年かごとに引っ越してきたんだ。最初は兄と弟、そのうち住処をシェアする友人、叔父と甥、見た目に合わせて適当な嘘をついてな。――だが、そのままだと俺は早く死にすぎる。人間のままだと、クリス様をひとりにしてしまう。それはな、駄目だろ」
「ファーリー……」
「クリス様がいなければ、俺はあの時死んでた。クリス様は一人になっても大丈夫と笑っていたが、普通に考えて無理だろ。だから俺はいろいろな資料を漁って、狼男になる呪いを受けたってわけだ」
「そうだったんだ。でもなんで柴犬?」
「さあ? 日本で呪われたせいかな。想定外だったが、これならあと何百年かはクリス様を世話できるってわけだ。メチャクチャ怒られたけどな」
「忠犬だねえ」
「まあ、否定はしない。お、来たみたいだぞ」
柴犬の視線を追うと、黒ずくめのスーツに身を包んだ紳士が坂を上がって来た。上機嫌なようで、何やらタッパーを手にしている。
「やあ、いらっしゃいませ。羽菜さん。おまたせ。今夜のアイスだよ」
夜の主は嬉しそうに足付きのガラスの器にタッパーの中身を並べる。
「これは……りんご? や、つぶつぶっぽいから梨?」
「正解。梨のコンポートだよ。まだちょっと時期的に早いんだけど、見かけて買っちゃった」
「へえ。なんかお洒落」
「だよね。それで、ここにバニラアイスを盛って……」
クリスはカチカチとディッシャー(アイスを丸く掬うあれ)を鳴らすと、2掬い分を扇のように並べた梨の中心に盛り付けた。
「うわあ、おいしそう」
「フフフ、腕を上げただろう? この前タマモさんに教えてもらって、いろいろと研究したんだよ。たまごと生クリームのバニラさ。バニラエッセンスじゃなくて、バニラビーンズを使ってみたんだ」
「ええ? 良くわかんないけど凄そう」
我ながらアホっぽい答えにちょっと笑える。というか、目の前のアイスを食べた過ぎて知能が低下しているまである。ぐっと身を前に乗り出す私に、クリスがちょっと待ってー、というように手の平を見せる。
「仕上げがあるんだよ。レディ。今夜は君に吸血鬼と友人になった証にスペシャルな体験をして欲しくてね」
クリスの目が悪戯っぽく紅く輝く。そして、真っ白なミルクポットをことり、と羽菜の目の前に置いた。ポットの中は、赤い、とても紅いとろりとした液体が入っている。陶器の白さに抗うように、毒々しく美しく輝く吸血鬼のシロップ。これは――。
「まさか、これって血……」
「紫蘇のシロップだよ」
「おばあちゃんが作る奴では?」
「まあ、年齢は負けてはいないかな。さ、召し上がれ」
「ありがとう。いただきます」
グラスの上には、砂糖で甘く煮られた梨が、羽菜を歓迎するように手を広げて迎え、その上には黄身の色をほんのり纏ったバニラ・アイスがこんもりと盛り付けられている。その上に紫蘇のシロップの糸を引く。
紅い糸が、きらきらと光を反射しながらバニラの表面を撫でていく。紅と、バニラ色。そしてグラスの下の方では、紫蘇の赤が梨の白をほんのりと染め、艶やかな紅が、初々しさを感じるような透き通った赤が滲んでくる。綺麗だ。
バニラを掬い、紫蘇のシロップを纏わせ口に運ぶ。まず鮮烈に口中に広がるのは酸っぱさ。先ほど飲んだ冷茶の梅よりも強烈な、耳の下がくっと抑えられるような酸味だ。そして、それを追いかけるようにアイスの甘み。優しさ。酸っぱさと甘さが混じった、そう、甘酸っぱさ。キューっと来て甘くて、ほわっと舌の上から抜けていく。おいしい。
「んんー! おいしい! クリス、凄いね。なんかちゃんとした売り物みたい」
「はは。売り物だよ?」
「この梨もおいしいー。シャリっていうか、ほよんとしてて。甘いし香りが凄いね」
「そうだろうそうだろう。白ワインも入れたからね。煮るのは面倒でレンチンしたけどなかなかだろう」
「うん。おいしいね。それにやっぱりこの紫蘇シロップ! おいしいし、それに、普通のアイスにシロップかけただけで、ちょっと特別感出るよね」
「だろう? 紫蘇は季節のモノだしね。やはりこの時期に食べるのが似合うと思ってね。畑から摘んで作ってみたんだ」
「畑なんてあるんだ」
「ああ。ちょっとした家庭菜園程度だけどね」
「クリス様、作っているのは私で……」
クリスは隣の柴犬の口をきゅっと押えてにっこりと笑った。
「旬のモノってわけさ! 畑からとった
まあ、いいだろう。楽しそうで何よりだ。羽菜は夜の主従のアイスクリームを存分に堪能した。
「ごちそうさまです! はい、これ代金」
「毎度ありがとうございます」
吸血鬼は嬉しそうに50円を簡易レジ(買ったようだ)に仕舞い、柴犬はそれを冷めた目で見ている(尻尾は振られているが)。楽しそうで何よりだ。
それにしても、アイスクリームにも季節のモノがあるとは。元々アイス自体が夏のものというイメージだが、それにシロップや、くだものを添えるだけでさらに季節もの感がアップする。そして、特別感も。面白いものだ。
ひょっとして、この紳士が季節のモノを面白がるのは、変わりゆくものを愛でるのは、自らが変わらないものだからなのかもしれない。羽菜はそんな事を考えた。と同時に、
――この2人は、いつまでこの町にいるのかな
そんな思いが頭によぎった。いつまでもこの場にはいないのだろう。きっと。でも、もうしばらくは。
見上げた空には、朧な月が夜空に光を滲ませていた。
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今回の氷菓(?):紫蘇シロップ
材料
・赤紫蘇
・クエン酸
・グラニュー糖
作り方
1:紫蘇の葉のみを取り、良く洗う
2:たっぷりの水で茹で、沸騰したら弱火にして10~15分ほど煮る
3:紫蘇の葉をざるなどで濃し、煮汁のみを鍋に戻す
3:砂糖とクエン酸を加え、砂糖が溶けたら冷やして完成
※クエン酸はお酢でもOK。くだもの酢がまろやかになっておすすめ
※砂糖は引くほど入れた方が「安全」です。水1リットルに対して250g以上が目安です
アイスやサラダにかけるシロップとして使う他にも、炭酸水で割って紫蘇サワーとして飲んでもおいしいのです。
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