第四の夕

「おはよう」

「おはようございます」

 馬場と簡単な挨拶を交わし、範介は社長室の椅子に座った。

「本日の予定は、この後九時から元伊勢神宮・天岩戸神社での神主・幸田遵渓こうだじゅんけい様との面談。恐らく一時間ほどになるでしょう。十二時からは塩のオキシオ・新社長の隂山様と新営業部長の岸梅きしうめ様との、当社営業部長・龍造寺を交えて昼食、その後に会談です」

「分かった。今が八時やな……あと一時間か」

「そうですね」

 と、ふと思い出した。

「……ところで、他の行方不明者の捜索はどうなんや?」

「まだ何の足取りもつかめていない、ということです」

 もし痕跡が見つかっていた人がいれば……と思ったが、何の痕跡も無いらしい。何の痕跡も残さない疾走が一番不気味だというのに。

「ところで社長、昨日はよく眠れましたか?」

「ん? どうした」

「目元にクマが出来ていますよ」

 気遣ってくれているのに、馬場の目は笑っていない。

 血まみれの舌がコチラをにらんでくるので眠れなかった、とはもちろん言えなかった。言ったところで、相手はそれを信じてくれる人物じゃない。




「よくぞ来られました。さあさあ中へ」

 元伊勢神宮の社務所に案内する、梅干しのような顔のおじいさんは、しゃがれ声だが目を細くして目尻を落とし、親切そうな感じだった。

「ありがとうございます」

 社務所の中は思っていたよりも殺風景だった。

「……さて、座って座って」

 座布団に座り、範介は幸田という神主と向き合った。

「……さて、本日は何かお話があるということですが」

「そうなんですよ。少し相談がありましてね」

「……桂様は確か、そこの桂運送の社長さんですよね」

 幸田は眉間に皺を寄せた。

「その通りです」

「何のご相談でしょうか?」

「……実は、ここ最近私の身辺で行方不明者が続出しておりまして」

「……あまりいい話ではなさそうですな」

 さらに険しい顔をして、幸田は言う。

「そうですね」

「……続けてください」

「失踪者は現在五名。まず、四日前の夕方に、瀬良という我が社の経理が失踪。時間は日が沈む直前で、家はここ、元伊勢神宮の近くでした」

「ほぉ」

「二人目は、置塩という、取引先の社長で夕方、帰宅中のことでした。塩のオキシオという会社がどこにあるかご存じですよね」

「……うちが関係ある、ということでしょうか」

「それを伺いたくて来たのですよ」

 幸田は梅干しのような顔を限界までしかめた。

「……続けてください」

「三人目は我が社の当時の秘書、佐古です。夕方に、また元伊勢神宮の近くで失踪。そこでは、近隣住民が『影が襲ってくる!』と言う叫び声を聞いたということです」

「……影か……」

 何か思い当たることがあったのだろうか、細い目がかすかに開いた。

「四人目は私の母。彼女は、淡路島にある洲本市で失踪。そこで、近くにある岩戸神社の神主さんから、『天岩戸神社の神主さんに相談するといい』という連絡があったのです」

「……岩戸神社か」

「そして五人目は、昨日の夕方でした。花壇に水をやりに出て行った妻が失踪。私と息子が、妻の叫び声を聞いています。『影が……』とかね。現場には、無造作に置かれたじょうろと血だまり、そして切られた舌が落ちていました」

「……なるほど」

「これは、どういうことなのでしょうか」


「……恐らく、スサノオノミコトを恨むアマテラスオオミカミの仕業でしょうな」


「……は?」

 天照大御神と言えば、天皇の祖先。スサノオノミコトというのも、どこかで聞いた覚えがある。

「この神社が天岩戸の舞台で、アマテラスオオミカミが隠れた『岩戸隠れ』の舞台であることはご存じでしょう」

「はい。須佐之男命が暴れに暴れ、それを恐れた天照大御神が岩戸に隠れてしまった、そこで日ノ本は暗闇の世界と化した、という日本書紀の話ですよね」

 馬場が応える。その話をよく知らない範介からすれば助かった。

「最終的に、アマテラスオオミカミは岩戸から出るわけですが、アマテラスオオミカミはここら辺にある岩戸から出ても、追放されたスサノオノミコトを恨んでいたのです。ですが、もうスサノオは遠い場所にいる。そこで、アマテラスオオミカミは地上にいる人々の、スサノオに似た性格――つまり、横暴で、偉い人の親戚で、怒りっぽく、身勝手な人物を呪うことにしたのです」

 ――横暴で、偉い人の親戚で、怒りっぽく、身勝手な人物。まさか、オレのことを言っているんじゃあるまいな?

「アマテラスオオミカミはその強い光で夕方、アマテラスの分身となる影を作り、近しい人間を飲み込んで行き、最後にはその本人を消す、ということをするようになりました。それは、天岩戸に関係の深い場所で頻繁に行われていると言います」

 だんだん、しゃがれ声がさらにしゃがれていく。そして、目つきは段々と厳しくなってゆく。

「……桂さん、あなたはアマテラスの呪いを受けているのではないでしょうか」

「……つまり、オレは横暴で、怒りっぽく身勝手な人物であると? ふざけるな!!」

「社長、落ち着いてください」

「お前は黙っておけ! 社内の誰がオレをそんな目で見る? オレは偉大な社長なんや。それは間違いない。神も認める社長なんじゃ! もうええ、馬場、行くぞ。こんなジジイじゃ話にならん」

「社長……」

 幸田は、目を閉じ、静かに首を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る