第三の夕

「社長、先ほど電話があったのですが」

 うたた寝をしてしまいそうになっていたところに、馬場が声をかけてきた。

「おう」

「洲本市の件ですが」

「おう」

「あちらにある、岩戸神社という神社の方から社に連絡がありまして」

「……岩戸神社? 福知山にもあるじゃないか」

 馬場はそんなことを全く無視して言った。

「うちに、お母さまの名が書かれたの藁人形があったと。何かその由来を知っているということなのですが、そこの神主さんが、福知山の岩戸神社の住職に聞けば色々とわかることがある、と話されていまして」

「……藁人形? なんやそのオカルトチックな」

 範介はオカルトが嫌いだった。

 誰だ、幽霊だのお化けだの魂など言って、そんなものに振り回されていたら何もできなくなるし、何も信じれなくなる。はっきり言って馬鹿馬鹿しかった。

「ひとまず、岩戸神社に行ってみてはいかがでしょう。私もオカルトは信じる人間ではありませんが、話を聞く価値はあります」

「あるかぁ、そんなもん。ええやんええやん、別にそんなもん。オレは無宗教主義やねん」

「ですが……」

「この話は終わりや。もうじき退社するからな。馬場もいつでも帰れ」

「……了解いたしました」

 オカルトを信じないといったくせに、不服そうな顔をして馬場は下がっていった。




「ただいま」

「あ、お帰りなさい」

 妻の望美のぞみが範介を迎える。

「父ちゃんお帰りー!」

 さらに、廊下の奥から息子の喜助きすけがドタバタと走ってきて、範介の胸に飛び込んできた。

「おう、喜助。ただいまっ」

「ねーねー、今日なぁ、学校で柿取ったねん」

「柿か。またすごいことを。いくつぐらいあるんや?」

「えーっと……百個!」

 喜助は今小学二年生だ。二年生だが、他の子に比べるとまだまだ幼さが残る。範介にはそれが愛くるしくてたまらない。

「百個か! そりゃあ腹が破裂してまうな」

「いひひひひー」

 また嬉しそうに喜助はリビングに柿を取りに帰っていく。

「今日の夜は何や」

 残った妻に聞く。

「今日はハンバーグにしようかなぁと」

「そうか。今日こそは、初めて作った時みたいな肉汁がジュワーって溢れてくるとびきり美味いやつ頼むぞ。オレも喜助も楽しみにしとるんやからな」

「ありがとうございます。ちょっと、花壇に水をやりに行ってきます」

「はいよ」

 範介はネクタイをほどき、スーツをバサッと脱ぎ捨てた。


「でねー、ケンタ君が柿を丸呑みしてねぇー」

「そりゃすげぇな。どんだけ口でかいねん」

「これくらーい」

 ウリャ、と口の両端に手を突っ込み、思いっきり伸ばす。

「そりゃヤバいなぁ」

「でね、でね」

 喜助が喜々として続きを話そうとした時だった。


「ギャーッ!!!!」


 外から金切り声が鼓膜に突き刺さってきた。

「……?」

「何やろうな」

「グッ、アァァ、影が……」

 ――影?

「ダメ、アァ、グゥッ……」

 苦悶する女性の声。

「ママやろうか」

 喜助が怯えた表情でこちらを見る。

「ママの声や。どうしたんやろう」

「ゴキブリでもおったんやろか」

「それでもこんな声出さんやろ」


「アァァァァァ……」

 その声は、やがてだんだんとかすれ、聞こえなくなった。


 父子は様子見に外に出てみた。

「……おい、待て。喜助はあっちを探しといてくれ」

「なんで?」

「ええから」

 有無を言わせぬ範介の口調に喜助はどうとも言えず、花壇と逆方向を見に行った。

「……これは」

 望美がいたわけではない。だが。


 無造作に転がっているじょうろ、黒いシミがある地面、そして血に包まれた舌――。




 一応、警察への捜査届は出した。

 だが、もうあれを見れば明白だ。舌が切れている時点でもう、愛する妻はすでに……。

 オカルトは信じない範介だが、これにはビクッとするものがあった。ここで、範介は決めた。

 一生使わないと思っていた馬場の電話番号をコールする。

「ママ、どこ行ってもうたんやろ……」

 それは、この世で一番愛している息子の喜助のためでもある。


『もしもし、社長、いかがいたしましたか?』

「馬場、明日、元伊勢神宮の岩戸神社の住職……違う、神主と面会したい」

『急にどうしましたか。考えをコロッと変えられて』

 クスッと笑われた気がしてイラっとしたが、気を落ち着かせる。

「聞いてくれ。オレの妻が行方不明になった」

『……本当ですか』

「けど、厳密には行方不明ちゃう。夕方、花に水をやりに外へ出たんやが、その時に悲鳴が聞こえた。影が……、とかそんなやつや。外に出てみたら、無造作に落ちているじょうろと血の付いた地面、そして血まみれのベロが落ちとった。どうや、これはもうヤバいやろ。まあ、まさかオカルトチックなやつじゃないやろうと思うけど、取り合えずその神主に話を聞こうと思ってな」

『……分かりました。連絡しておきます』

「頼む」

 電話を切る。

 ふと振り向くと、さっきまで何もなかった机に何かが置いてある。喜助はさっき布団へと向かっていった。


「……な、なんでさっきのベロが机のど真ん中に置いてあるんや……」


 範介は、その血まみれの舌がじっとコチラの喉元を見据えているような気がしてならなかった。

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