第二の夕

「影……?」

「はい」

「どういうことや」

「さぁ、さっぱり分かりませんが……というか、そもそもそれが本当に佐古さんのものなのかも分かりませんし」

「まあ、せやな……。瀬良のことにしろ、ひとまず警察の知らせを待つしかないわな。いやぁ、死んだらまだ分かりやすいけど行方不明ってホンマ色々やりにくいからな……」

「死んだらって……」

「いや、せやろ? おぉ?」

「ま、まあそうですね……」

 ひとまず、経理部は当然の如く副部長の原、秘書には営業部で、以前元雄の秘書をしていたこともある馬場ばばを代打として立てることにした。


「それでは社長、今日の予定をお知らせします」

「おう」

「今日は……まあ特にそんな大した予定はありませんね。あ、そうそう。特別顧問のお母さまが今、洲本すもとに行かれていますね。商談で」

「“すもと”ってどこや」

「兵庫の淡路島にある市です」

 冷ややかに笑ってやがる。

 というか、母である加子かこはまだそんなバリバリ働いるのか。いい加減出しゃばるのはやめてほしいのだが。厄介なのが、元雄を支えてきた実績があるおかげで、依然として加子を支持する勢力が強いのが現状であるということだ。

「まあいい。ひとまず、判押しやっといてくれ」

「……はい?」

「判押しや」

「判押しは社長のお役目ですよ」

「この量の書類なんや。手伝ってくれ。波瑠ちゃんはずっとそうしていた」

「佐古さんがそうだからと言って、私はやりません。元々判押しは社長のお役目ですし、大した量でもありません。しかも、社員が優秀なので社長のお役目なんてほとんどないじゃないですか。なら、しっかり読んで判を押す時間くらいできるでしょう?」

 ……ふざけやがって。自分が次の社長だと勝手に誤解しているアホが上から目線かましてきやがって。

「秘書は社長がやれと言ったらやるもんなんやぞ!」

「そんなんだから、社長は社内で煙たがられてるんですよ」

「何バカげたこと言ってるんや、オレは極めて優秀な社長や。先代なんかよりずっとな」

「そういうところがダメなところだというところも分からないのですか? ボンボンだからと調子に乗っていいことは全くありませんよ」

 フッ、と鼻で笑われ、いよいよ範介は顔を真っ赤にした。




「社長! 社長!」

 日が傾いてきた四時半ごろ、営業部部長の龍造寺りゅうぞうじが息を切らしてノックもせずにドアをぶち開けてきた。

「オキシオさんが!」

 オキシオさん、とは塩のオキシオのことだろう。同じ福知山市大江町に本社を構え、舞鶴市と宮津市の支社から塩を取っている。社長は父、元雄の学校の同級生である、置塩丈二おきしおじょうじだ。

「オキシオさんがどうした」


「置塩社長が行方不明ということで……」


「行方不明?! またか?!」

 最近多すぎるだろう。しかも、不思議と範介に関係の深い人物ばかりが次々と姿を消している。

「あっちの営業部長の隂山かげやまさんによれば、昨日の夕方、元伊勢神宮に秘書の方と共に祈祷に訪れていた時に見失ってしまったということなんです」

「……どういうことやねん。秘書は何やっとったんや」

「警察が昨日の夜から捜査しましたが、見つからず……。そしてさらに痛いのが、これを好機と見たのか、あっちの社長代理……隂山が契約を切るとか言い出して……」

「……切るやと?! おい、どことや」

「うちと……」

「……ふざけんな!!」

 範介の限界を超えた。顔を真っ赤にし、額に血管を浮かび上がらせる。

「どいつもこいつもバカげてやがる!! 何が契約を切るや。うちとやってきて何年や、はっきり言うて、オキシオはうちがおったから発展したと言っても過言じゃないんやぞ?!」

「おっしゃる通りです」

「おい、営業! 営業部全員何やっとんのじゃ! ホンマに腰抜けしかおらんやないか。そこはしっかり引き留めんかボケぇ! 龍造寺、今すぐオキシオに行ってこい!」

 漆の机をバコンと叩き、蹴とばす。

「は、はい」

「はいって言うたらはよ行かんかアホ!!」

「は、はい!」


「ハァ、ハァ、ハァ」

 キレすぎたのか、頭に血が上っている。一度頭を休めなければ。

 ――全く、どいつもこいつも余計なことしやがって。全員こうして働けてるというのはオレのおかげなのに。


「社長、不思議だと思いませんか?」


「何がじゃ!」

 思わず唾を飛ばしてしまったが、馬場の顔は極めてシビアだった。

「……続けてくれ」

「これ、瀬良さんと佐古さんのご自宅はどちらも元伊勢神宮の近くにあります」

「おう」

「で、塩のオキシオの本社は元伊勢神宮のすぐ近く」

「……ほな、どういうことや」

「さらに、失踪した時間帯はみんな夕方付近です。どこか、規則性があるように思えてなりません。連続誘拐とか……」

「何バカげたこと言うとるんや!」

「申し訳ございません。ですが……」

「うるさいわ! 引っ込んでろ!」

 だが。

『元伊勢神宮』というワードと『夕方』というワードは、範介の脳裏にベットリと引っ付いて離れなかった。




「社長、お電話です」

「おう」

 ったく、やっと退社だというときに。今日は滅茶苦茶だ。

「……もしもし」

『社長、大変です』

「どうした」

『お母さまが行方不明です』

「……またか」

 もうキレる気力も無くなってきた。これ以上キレたら、脳の血管が破裂し、髪の毛が抜け、舌がはがれる。

「洲本やったな?」

『はい』

「地元の警察が色々分かるまで、お前はしばらくそこにおれ」

『りょ、了解しました』

 電話が切れる。

「馬場」

「はい」

 秘書は相変わらず冷たい目をして答える。

「元伊勢神宮ちゃうやないか。夕方ではあるが。お前の説はもろくも瓦解じゃ」

「……」

 馬場は表情を一切変えず、顎に手を当て、何かに考えを巡らせ始めた。

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