アマテラスノカゲ

DITinoue(上楽竜文)

第一の夕

 瀬良せらはいつも通り帰宅の道を歩いていた。

 カー、カーとカラスの鳴き声が響き、稲穂は夕日が反射して黄金色に輝いている。空には、不気味なほど真っ赤な大きな太陽が今まさに沈んでしまおうとしていた。

「……明日か」

 銀行との会議だ。最近、経営が行き詰ってきたかつら運送の経理として、瀬良は明日、支援を求める会議へと臨む。今はそれが頭の中でいっぱいだった。

「……影の伸びが大きいなぁ」

 田んぼの真ん中に通る細い道路には、影が自分の二倍くらいの身長となり、付いてきている。


「……ん?」


 ――影が、動いている?

 確かに、だんだんと影がコチラに傾いてきている気がする。

 太陽の位置は変わっているようには見えない。

「……おかしいな」

 疲れているのか、連日ボンボン社長に怒鳴り散らされ、萎えているのだろう。

 影はじわじわ、自分の身体に重なってこようとしている。

「……」

 どこか、不気味だ……。

「……っ」

 と、急に喉の奥を突き刺すような痛みが瀬尾を襲った。

「痛っ、ウ、グッ、アッ、グアァッ!」

 思わず瀬尾はその場に倒れこんだ。パッと見ると、影が完全に自分に重なっている。さらに、そこには何かピンク色の物体が落ちていた。

 口から大量の血液が止まることを知らずに溢れてくる。

 ――俺のベロが、千切れてる……。

 痛みは体中を駆け巡り、脳みその奥までを刺激するようになった。

「ウ、グ、グアッ、ア、アァァァァッ……」

 意識が一気に混濁してきた。

 気づけばあの影は、押し寄せてきた夜の闇の中に溶け込んでいた。



 ◆◇◆



「おはようございます、社長」

「おはようございます!!」

 秘書の佐古さこを皮切りに、社員が一斉にコチラに頭を下げてくる。

「おはよう、諸君。今日もしっかり頼むぞ」

 桂範介かつらのりすけは上機嫌で社長室へと入る。

「それでは社長。本日は十一時より、みやこ銀行福知山支店との会議があります。今日はそのくらいです。比較的早く、お子様とお会いになることができるかと思います」

 佐古が今日の予定を説明する。

「分かったわ。ほな、判押し手伝ってくれ。いつも通りにな」

「了解いたしました」

 と言っても、範介が押すのは重要な書類だけで、それ以外は佐古に任せている。まあ、どうせ大した書類はないのだし。

「社長、社長」

 と、ドアを少し開けて、男の声が聞こえる。

「どうした、入ってこい」

 ペコリと礼をして入ってきたのは、経理部の副部長、はらだった。


「あの、瀬良部長が出社されていません」


「……瀬良が?」

 あいつは父親の元雄もとおの代からいる古参の経理だった。何やら範介のことを煙たく思っていたようだが、優秀な社員なので切ろうにも切れないというのが現状だった。

「元伊勢近くの瀬良の自宅に連絡を入れてくれ、確か奥さんがいたはずや」

「了解いたしました」

 しかし、電話は繋がることは無かった。


 瀬良の妻はちょうど警察に届け出を提出したところだったが、警察は重い腰を上げようとしない。

「……早く調べてくれ、と警察に連絡入れといてくれ」

「了解いたしました」

 佐古が電話をかける。

「……ったく、あいつめ、今日は重要な会議があるってのに何やっとんねん……!」

 イライラしかしない。

「原、お前は何も知らなかったんか? おい」

「は、自分は何も……」

「ホンマやろうな」

「本当です!」

「……お前、どうにかできるんか? 今日の銀行との会議」

「あ、いや……」

「どうなんや」

「……分かりません」

「アホかお前は!! 経理部の副部長がこんなこともできひんようじゃあ、せっかくおとんと俺で積み上げてきた桂運送の財産が一気に崩れてまうやないか! しっかりしろよ!」

「も、申し訳ございません」

「うるさい! もうええわ、お前はもう引っ込んどけ!!」

「は……」

 原はすごすごと社長室を退出していった。




 結局、銀行との会議には範介と新米の経理で出かけたのだが、うまいこと言いくるめられ、融資を引き出すことができなかった。

 ――けど。

 一つだけ見た奇妙なものがあった。

 みやこ銀行の福知山支店があるところの近くにある、元伊勢神宮と呼ばれる場所。そこには、あの岩戸隠れの伝説が残る地でもある。


 ――そこを通る際、瀬良けいと書かれた札が、生えている木に貼ってあった気がしたのだ。




「でなぁ、今日はさんざんやったわけやねん。銀行も銀行やで。ホンマに……しかも瀬良は何をしとんねんっていう話や。分かるか?」

「よくわかります」

 範介は、散々だった今日の気晴らしに、まだ四時だが佐古を連れて居酒屋に来ていた。

「瀬良は元々、元雄ばっかりでオレには不満しかなかったらしいけどな。やからって一番重要な時にこれはあってええと思うか? あ、姉ちゃん焼酎おかわり」

「しかし、瀬良さんはとても社のことを思いやるお方でしたが……」

「オレが凄腕過ぎてもうやることなくなって嫉妬してたんやろ、どうせ。そらそうやんか。というか、今日もあの新米社員が変な交渉せずに、オレがしっかりやってたら行けてたねん。な? そうやろ?」

 焼酎をグビッと一気に飲み干しながら、範介は佐古に同意を求める。

「は、はぁ。そ、そうですね、社長の力があれば……」

「ホンマに。そういうことやねん。ったくどいつもこいつもなぁ。オレの周りでマジメで忠実なやつは波瑠はるちゃんしかおらん」

「はい……」

 範介はさらに焼酎を注がせ、それをまたグイッと飲み干した。




「あれ、波瑠ちゃんどこ行ったんや?」

「それが、出社されていないようなんです」

 ――またか。今度は佐古まで。ったくどいつもこいつも……。

「捜せ、しっかり」

「は……。あ、それと、何やら警察から連絡がありまして」

「なんや」


「佐古さんの家の近隣住民が、『助けて! 影が襲ってくる!』っていう悲鳴を聞いたと……」

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