あああ、あああ、あああ。

 私は街中をさまよっていた。特に誰の目に留まることもなく、どれくらいか、さまよっていた。時間の経過なんて思考、もう擦りきれてしまっていた。

 ごちゃごちゃと変わりゆく街並み。人間の語る咲々の伝説やら、花の有り様やらが、伝えられるたびに少しずつ、持つ意味合いがずれて伝わっていく。ああ、咲々が咲々でなくなっていく。花が花でなくなっていく。二人共、私の知る二人ではなく、それぞれ「風鳴さん」「手押し車のおばあさん」という都市伝説になってしまった。

 橋を見に行くと、咲々は虚ろな目をして笑っていた。口元だけ微笑んでいた。あんなの、咲々じゃない。咲々はあんな風に笑わない。もっと人を慈しむような憂いを帯びた目をしているのだ。……都市伝説になったことで、彼女は変わってしまった。私の知る咲々はもうそこにはいない。

 交差点に行くと、小学生らしき男児が手押し車のおばあさん──花を見つけて、追いかけて、助けようと手を伸ばす。花が手押し車を押して向かう先には大型の自動車──「トラック」というのだったか──が走っていた。

 それを後ろから見ていた同じ年頃の子どもが止める。無理矢理友達だろうかその子を白線の内側に引き戻す。あと一瞬でも遅かったなら、一つの命が失われていた。そんな中、助かった二人が言葉を交わす。

「今の、『手押し車のおばあさん』か」

「そうだよ。危なかったんだからね」

 あああ、あああ、なんということだろうか。花も人間に害をもたらす存在になってしまった。都市伝説として、橋の咲々のように、人間への害悪を目論む存在となってしまった。

 私が大好きだった二人が、二人が、あああ、あああ、あああ。

 土地神である私は、祈られたら、あの二人を食べる。祈りは私のごはんである。私は食べる神であるから、ごはんが欲しい。祈りごはんがないと、私はもうすぐ、清い神様ではないものになってしまう。

 祟り神になってしまう。


 誰も祈ってくれない。

 お社は少し前、工事のために壊されてしまった。私の居場所がなくなった。

 人間の勝手な都合に振り回されて、結局お社を失って、見える人もいなくて……全てが始めに戻ってしまった。私が生まれたばかりのときのように。

 どうすればいいのだろう? 一度神としての形式を執っていたがために、眺めるだけの神様ではいられなくなった。祀られなければ、私は神様として存在を維持できない。このままでは、今まで食べてきたものがぐるぐるぐるぐる私の中を駆け巡って、私を悪いもので満たして、私を祟り神にしてしまう。この理性だって、いつまで保つかわからない。

 誰かごはんごはんごはん、もしくはお賽銭……お金をお金を。お金も私にゃごはんなんだ。誰か恵んでください、恵んでください。


 狂いながら叫びながら街を歩いていると、ちゃりん、と音がした。聞いたことはある。知ってはいるのだ。……それはお金の音だった。

 私は反応してそちらを見る。すると、そこには飲み物を売る機械「自動販売機」なるものがあった。

 若者が話に夢中になりながら、買った飲み物を開ける。談笑に耽って、そのまま離れていってしまった。

 私はその瞬間を狙っていた。

 出来心とも言えるだろう。私はそっとその機械を覗き込んだ。「おつり」と白字で書かれた出口のようなところを見ると、そこには先程の人間が忘れていったのか、小銭がいくつか入っていた。

 私はとても自制できなかった。お金がそこにある。そう思ったら、その出口に口を伸ばしていた。

 お金、お金、お金だ! ──そう思って口でぱくぱくお金を食べていた。衝撃的なことにそこにあったお金は形こそ変わっているが、十円だ。十円だぞ? それが三枚、三枚だぞ? あの愚か者はなんて大金を忘れていったんだ……まあ、ありがたくいただいたが。

 おかげで理性が幾分か戻ってきた。今の私は「いただきます」も言わずに食べた。なんてはしたない。仮にも神様なのだから、そういうはしたない真似は控えた方がいいだろう。誰にも聞こえはしないだろうが、ごちそうさまでした、と言った。

 ふう、久しぶりにお腹──あるかどうかはわからない──を満たせた。少しは理性が戻ったということは、私はまだ、お賽銭──お金さえあれば、祟り神にならずに済むらしい。

 なんとかしてお金を集める手段を得なければ……と思い、つい、自販機を見つめる。……人間がお釣を忘れることなど、今となってはざらなのだろうか……

 それならば、私も自販機になれないだろうか。突拍子もないが、そんなことが思い浮かんだ。

 私は神様である。御神体はないし、お社も潰された。だが、力はついた。祟り神になりかけた力だから良い力とは言い切れないが、神様として、長年咲々や花の祈りを叶えてきた分もあるのだろう。その力を使えば、姿を変えることができるのではないか? 昔は力がなかったため、自然のままの姿だ。この黒いどろどろした姿を今なら変えられるかもしれない。

 うーん、と念じてみる。

 すると私の体は自然に動いた。何故にと思ったが、そのまま流れに任せていた方がいい気がしたため、流される。神様の勘だ。これほど確かなものはこの世に存在しないだろう。

 流されていくと、そこは元々私のお社があった坂だった。一応お社だった影響で、私の力の残滓が残っているようだった。……変身というのは私の全精力でもってかからないと無理ということか。私がどれほど力のない神かというのを思い知らされている気分だ。

 そんな微妙な気分になりながらも、今では住宅の建ち並ぶ場所となった私の元お社の場所に引っ付く。そこはコンクリートの塀が立っていた。感覚としては、そのコンクリート塀に寄りかかる感じ……

 寄りかかる?

 私は神様で霊に近いものがある。それは不可視というのもそうだが、実体を持たないということにもなる。つまり、実体を持つものに触れても普通はすり抜けるのだ。

 そんな私が実体のあるコンクリート塀に「寄りかかる」となると……つまりこれは、神様としての力で私が実体化したということか。

 自分の姿は自分では見られないというが、少し余っていた力で体から意識を浮遊させ、もう一つの体、分体を作る。どうやら、体の一部を使うだけの分体の方が変身より力を使わないらしい。

 それから、分体でコンクリート塀に引っ付いた私の姿を見ると、これは我ながら何とも素敵な出来映えだった。一度見ただけだが、完璧なまでに先程の自販機と同じ姿だった。

 一人、達成感に浮かれていると、人間がやってきた。さてはて、どうなるか。

「あれ? こんなとこに自販機なんてあったっけ……ま、いいや。ちょうど喉渇いてたし、何か買おうっと。……って、この自販機どっかで見たような」

 それはそうだろう。今の自販機わたしは先程の自販機のそっくりそのままだ。街中にいれば見たことがあるかもしれない。

 人間が自販機ってそんなもんか、と一人で結論づけ、お金を投入する。……って、百円!? 百円といえば、十円より大金だぞ!?

 そう思っているうちに人間は飲み物を買い……平然とお釣を取って去っていった。

「あっ」

 人間を引き留めようにも、意識は小さな分体にある。無理だった。とりあえず、自販機に投入された百円で補給するか……

 私は学んだ。意識は自販機の方に持っておくべきだ、と。


 その後、百円で余裕のできた私は、他にも様々なことを学んだ。最近ではコンビニというものができ、飲み物はコンビニでお手軽に買えてしまう。物珍しくなければ、人間は足を止めてくれない。というわけで、私は私なりに人間の飲食物を研究し、「変わった」飲み物に分類されるものを生み出した。味はよくわからない。私は悪いものは美味しく食べられるが、それ以外の味覚はからっきしなのだ。

 そうこう試行錯誤を繰り返しているうちに自分を変身させすぎて、変身が解けてしまった。

 そのために度々通る人間が「あれ? ここに自販機なかったっけ」と疑問に思うような現象が多発している。

 変身したり、解いたり。自由意志でないところも大きいが、私はそうして「神出鬼没の自販機」として、有名になったらしい。

 そこで出会ったのだ。私の運命を変える一人の少年に。


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