それは夏のこと。私はある程度の変身を終え、例によって、住宅地に鎮座していた。その日は茹だるような暑さの日だったと記憶している。最近は地球温暖化とやらで年々夏の気温上昇が問題となっている。それは人間の自業自得なので、私にはどうにもできない。祈られたら別だが。

 そんなことを考えていると少年がここにやってきた。……なんだか悪い気を纏っている少年だった。こんな暑い夏だというのに、血色は悪く、目の下には色濃い隈をこさえている。

 少年は私を目の前にし、不敵に笑った。

「ふふ……ようやく会えたね。神出鬼没の自販機さん」

 少年の声はこの暑い中で涼風をもたらすようなうら寒い声だった。同時に、何故少年が悪い気を放っているのか悟る。

 彼は私を「神出鬼没の自販機」と称した。神出鬼没とは、それだけでも怪異か何かであるということを示すらしい。──神出鬼没と言ったということは、私が怪異だと知って、会いに来たということだ。私は怪異になった覚えなど微塵もないが。

 少年はじろじろと私を眺め回す。

「うん、どっからどう見ても自販機だね。霊感持ちの五月七日さんとか、修験者見習いの八坂くんとかが見たら、もっと違って見えるんだろうけど」

 私はきらりと少年の目に好奇の色が宿るのを見逃さなかった。子どもとは好奇心の塊だと誰かが言っていたが、少年の好奇心は常軌を逸しているように思えた。まるで怪異を望んでいるようだ。

 今まで、そんな人間に出会ったことはなかった。怪異とは恐れ、遠ざけられるもの。それを求める姿は異様にしか見えなかった。

「まあ、せっかくお会いできたんだし、飲み物買おうか」

 その少年は二百円を投入した。もう私は驚かない。時代が変わって、貨幣の価値も変わったのだということを理解していたから。

 私は飲み物を破格の値段に設定している。お釣がより多くなり、私の糧となるように。

 案の定、少年の押した飲み物では、二百円で余りある。少年は当然のようにお釣の出口に手を伸ばそうとしたのだが、それを阻止すべく、私は声を出した。

「お釣、いただきますね」

 私が言うと少年は狐に摘ままれたような顔をしていた。その間にお釣をぱくりと食べてしまう。

 少年は呆気に取られていたが、やがてほうほう、と納得したように呟いた。

「なるほど、釣り銭を食べる自販機ね……これは怪異として充分だ」

 やけに嬉しそうに少年は笑っていた。どうやら私は、少年の求める怪異に足る存在だったらしい。

 自販機相手だというのに、私が声を発したからか、喋れるとでも思ったのだろう。少年は話しかけてきた。ごく普通に。

「ねぇ、釣り銭の他には何を食べるの?」

 私も私の存在を認識して話しかけられたのは久しぶりだったため、ついうっかり、答えてしまった。

「私は悪いものを基本的に食べます」

「ふぅん、所謂悪食というわけだ」

 どこかで聞いたような台詞を吐き、少年はにやりと笑った。

「そういえば、昔ここに、神様のお社があったはずだ。確かその神様は……あまり知られていないけれど、悪いものを食べて祓ってくれるという神様だったという言い伝えがある」

 私は少年の正しい知識に驚いた。目があったなら、見開いていたことだろう。

「あなたはさしずめ、お社を壊されて祟り神になりかかってるってとこかな? じゃなきゃお釣を食べるなんて貧乏くさい発想には至らないはずだ。きっと、神様だった時代にも、ろくにお賽銭をもらえなかったにちがいない」

 否定できない。というか、正鵠を射すぎている。

 その知識と洞察力は驚嘆すべきものだ。私も思わず「さすがですね」とこぼしたほどだ。

 会話が成立したことに、少年は満足げに笑み、私にこんな提案をした。

「ねぇ、僕があなたに名前をつけてもいい?」

 突拍子もない提案だった。何故そんなことを言い出したのか疑問に思っていると、少年は続けた。

「あなたは今、祟り神と怪異という存在の間で揺らめいている。このままだと、祟り神になってしまう可能性が高い。あなたは元々神様だったのだから。祟り神がどういうものかは、神様であるあなたの方がよくわかっていると思うけれど」

 確かに、その通りだ。

 祟り神は人間を祟り、人間に害なす存在となる。信仰を得られなかったことにより、人間で言うところの「自棄になる」のが祟り神という存在だ。

 人間に害をもたらすだけならまだしも、かなり堕ちた神になると……人間を喰らうこともあるらしい。私は元々食べる神であるから、もし祟り神になったとしたら、人間を喰らう存在になる可能性が高い。

 少年は更に続ける。

「その上あなたには名前がない。神様には普通、何かしらの名前がある。名前があることで、ある程度束縛されるけれど、その束縛は存在を安定させることにも繋がる。要するに、あなたは今とても不安定な存在なんだ」

「……名付けることで安定すると?」

「そうなるね。さあ、どうします? 神様。あなたのような存在に名前をつけるなんて物好き、今後出てくるかわかりませんよ」

 全くその通りだ。まず、名前をつけるなんて発想に至らないだろう。

 何も説明せずにこの子の釣り銭を食べてしまった負い目もある。それにこの子は賢いようだし……何より私がそこまで危ない存在になっているなんて、思いも寄らなかった。少年に教えてもらわなければ気づかず祟り神になっていただろう。

 何にせよ、私に猶予はないということだ。そうとなれば、決断は早い。

「いいですよ。お願い致します」

「やった」

 少年が喜ぶ。もしかして名前をつけたかっただけなのでは? と思ったが、少年はにこやかにあっさり告げる。

「じゃあ、あなたは『アクジキジハンキ』ね」

「アクジキ……ジハンキ?」

「うん、ぴったりの名前だと思うよ。悪いものを食べてくれる自販機の形をした怪異。自画自賛になるけど、名が体を表しているいい名前だよね」

 彼は私を神ではなく、怪異と言った。アクジキジハンキ、アクジキジハンキ……その名がどんどん体に浸透していくと、私の中で蠢いていた何かがなりを潜め、なんだか少し楽になる。

 アクジキジハンキ……悪食というのはあまり心象のいい言葉ではないが、人喰いより数段ましだ。悪いものを食べるのは元々私の仕事であるから問題ない。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 少年がにっこり笑う。

「これであなたは『都市伝説』として存在を固定された。祟り神にはならなくて済む」

「それはありがたい。……都市伝説というのは?」

 咲々や花みたいなののことを言うのだろうが、私はその仲間入りを果たしたということか?

「はい、僕がこれからそういう風に広めます。そうやって吹聴すれば、怖いもの見たさに人がやってきて、あなたは儲けられる」

「なるほど」

 よく考えられていたのだった。


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