人間の一生とは唐突に終わるものである。人間は神様のように生き続けられないから。

 私は坂のもっと上の方にできた寺から聞こえてくる呪文を聞きながら思った。寺では葬式をやっているらしい。

 誰のというと、花の。

 眼下の街の景色はだいぶ変わった。昔の建物が少なくなり、「コンビニ」やら「スーパー」やらの大きな店屋ができた。相変わらず、田舎であることは変わらないが、そこそこに整備が整ってきたのではないか、と生前の花は語っていた。寂しくなるね、と。

 花の知っていた風景や建物が変わっていき、失われる。私や咲々の知っていた風景など跡形もなくなってきていた。時代の移り変わりとはそんなもんであるが、一世代くらいしか時代を見つめられない人間にとっては、勿体ないような大きな変化だっただろう。

「はあ……街も変わっていくんだねぇ……」

 しわくちゃのおばあちゃんになった花が、手押し車に手をかけながら、立ち止まってしみじみ呟いた。その言葉に、私は「そうですね」とか適当に返したと思う。

「未来がどんなになるか楽しみっていう、今の若いもんの言葉がわからんでもないねぇ。これからどうなっていくのか。生きることに必死だった私からすると、てんで想像もつかんわあ」

「そうですね。私にもわかりません」

「土地神様にも、わからんことがあるんねぇ」

「私は全知全能ではありませんから」

「そうだねぇ。その方が、きっと楽しい。まあ、老いぼれはそろそろ、退散することになりそうやねぇ」

「そんなこと……」

 しわくちゃの花は、百年を生きた。それまでの人間から考えると、かなりの長生きだ。孫もいて、曾孫もいるという。

 そんな花の寿命が近いのは、私でもわかった。否定したかったけれど、花は近いうちに死んでしまうだろう。結構元気だけれど。

 人間というのはよくわからない生き物で、元気に見えても案外あっさりぽっくり逝ってしまうことがあるようだ。この街や国にだいぶ長寿が増えてきてわかったことだ。老衰すれば以前のように不自由なく動けることも少なくなる。花の手押し車がその証明だ。花は手押し車にすがって歩かないと、だいぶ足腰が利かなくなってきたという。百年も生きればそうなるのが当たり前だろう。

 時間の感覚が擦りきれてしまっている私にはわからないことだが。

「そんなことは、あまり言うもんじゃありませんよ。私は花が大好きなんですからね」

「ありがとう、土地神様」

 言うと、花はしんどそうに立ち上がって、私のお社にお詣りした。いつからか、花は自分のことより、未来ある子どもたちの幸運を願うようになった。自然な年寄り思考というやつかもしれない。

 その祈りはしっかり受け取っておく。お詣りする人は、結局花しかいないから。

「今日もありがとうございました」

 花は手押し車にすがりながら、私に頭を下げた。それからからからと手押し車を押して、帰っていった。

 それが私が生きている花を見た最後だった。


 花がどうして死んだかというと、とてもありふれた話になる。

 交通事故というやつだ。

 私は眼下の街の「交差点」というところが騒がしくなったので、見に行った。するとそこには見覚えのある手押し車がからからと空回りして横転していた。取っ手が壊れているし、全体的にひしゃげている。

 私は呆然とその場に立ち尽くした。そうするしかできない。

 救急車や警察の車が来て、更に騒がしくなる。倒れているのは全身から血を流している老婆。あらぬ方向に曲がっている部分もある。悲惨な死体だった。

 その人を私は知っている。花だ、花だ……花が死んだ……

「ああああああ」

 私は久しぶりに嗚咽した。皮肉なことに前に嗚咽したのは花と出会ったときだった。

 私を知っている人が、またいなくなった。

 そう、絶望していた。


 坂の上の寺から、ぽくぽくと木魚を叩く音がする。寺の坊主が何を唱えているかはよく理解できない。この国では仏教が盛んになったようだから、仏教の法典か何かだろう。

 私は憂鬱に溜め息を吐いた。もう、ここに祈りを捧げに来る人はいない。私のいる意味とはなんだろう、と。

 葬式が終わると、坂の上からぞろぞろと黒服の人間が降りてくる。そういえば、その人が生前どれだけいい人間だったかは、死んだときに訪れる人の数でわかるという文句がどこかにあった。こんなに大勢を寄せ、涙を流してもらっているということは、花は人間にも慕われていたのだろう。いいことではある。

 そう思いながら眺めているうち、誰かがたたたたっと走ってきた。女の人の甲高い声がそれを止めているようだが、走ってきた人物──子どもは全く聞かず、しかし、私のお社の前で確かに止まった。

 子どもはお社を睨み付ける。

「やい! お前が土地神だな? いつもお詣りしているばあちゃんを、どうして守ってくれなかったんだ、こんちくしょう!」

 その子どもはお社にこつん、と石をぶつけた。胸が痛んだ。確かこの子は花の孫だったか曾孫だったかだ。おばあちゃんという身近な人が死んでしまったことに、子どもなりに悲しんでいるのだろう。

「無能な神様なんか、いなくなってしまえ!!」

 そんな子どもの叫びが辺りをつんざく。無能な神様。耳が痛い。

 その子の母親らしきが、慌てて駆けてきて、子どもを叱っていた。そんな罰当たりなこと、言っちゃいけんでしょう、と。きんきん五月蝿い声だ。

 けれど、花との約束だから、彼らの未来を守っていかなくてはならない。

 そう思いながら、とぼとぼと歩いて、幾年か経ち──


 街にある噂が立った。


「ねぇ、知ってる? あの交差点、また事故出たって」

「また『手押し車のおばあさん』?」

「そうそう。傍迷惑なお化けだよねー」

 女子高生の会話に私は驚きを禁じ得なかった。

 交差点で出る「手押し車のおばあさん」という怪異。それは信号の危ない瞬間に飛び出す手押し車のおばあさんが出て、けれど、そのおばあさんは幻であるかのように消えて、手押し車のおばあさんを助けようとした人間が事故に巻き込まれるというものである。

 その「手押し車のおばあさん」は──どう考えたって花だ。

 私は交差点に向かった。咲々のように花は地縛霊になってしまったのだろうか、と。

 結論から言うと、地縛霊とは少し違った。花にこの世への未練はない。だが、死ぬ瞬間を死んでしまったという結末を、花が受け入れきれてない故に、花はときたま死の瞬間を見せるのだという。




 「風鳴さん」「手押し車のおばあさん」──私に関わった二人もが、怪奇となり、都市伝説として伝わるようになってしまった。

 私はそこに因縁を感じずにはいられなかった。

 けれど、私は私で、そんな呑気なことを言っている暇がなくなった。

 私に祈りを捧げてくれる人が、もういない。

 その絶望が、私を怪異よりもっと質の悪い──祟り神へと導きつつあったのだ。


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