「私のことを知っているんですか!?」

 驚いて女の子を見つめた。女の子は私がへどろまみれに口まみれの化け物姿でも意に介さないように平気な顔をして、うん、と大きく頷いた。

「ずっとずっと昔のおじいちゃんがね、ここには土地神様がいて、ちっちゃいお社に住んでいるから、ちゃんとお詣りしてあげるようにって……言い伝え? してたんだけどね、その神様、昔々のおじいちゃんしか見えなかったから、誰も信じなかったの。人間ってね、現実主義なんだって。おかしいよね、いざとなったら神様にお祈りするのに」

 それは確かだ。だが、目に見えないものを信じないというのは、この土地の民らしい考え方だと私は思った。愚かでご都合主義な辺りが、村人らしい。

 女の子は続ける。

「わたしは、昔々のおじいちゃんが可哀想だなって思ったから、ここに来てお詣りしようと思ったの。お母さまが何も教えてくだすらないから、わたし、お詣りの仕方なんて一つもわからないけど、でも、お詣りするの。きっとわたしも、いざというときは神頼みして、神様に迷惑かけると思うから。

 あなたが土地神様ならちょうどいいや。ねぇ、お詣りってどうするの? 教えてちょうだい」

 私は正直、感動してしまった。

 女の子の言う、昔々のおじいちゃんというのはきっと、父に母を殺されたあの少年だ。彼は一族にちゃんと私のことを語り継いでくれた。数百年の時を経て、それをこの子まで繋いでくれたのだ。

 清いとは言えないかもしれない。けれど、無垢な子どもが生まれるまで、語り継いでくれた。私はさっきとは違う意味で泣きそうになった。

「ねぇねぇ、土地神様?」

「はい」

 すり寄ってくる女の子に応え、私はお詣りの仕方を教えた。

 私のお社は小さい。だから、本当の神社みたいな畏まり方は必要ない。必要最小限でも充分だ。

「まず、そこのお社に、お賽銭を置いてください」

「お賽銭?」

「お金のことです。お金を持っていないならいいですが」

「今度から持ってくる!」

 聞き分けのいい子で助かる。

 最近、風の噂で他の土地の神様の情報が入ってくるのだが、やはり、お賽銭があると力を発揮しやすい。人間で言うごはんのような効果があるのだろう。……食べ物で例えてしまうのは食べる神であるが故の癖だ。

 もちろん、お賽銭がなくても、私は祈りを糧に願いを叶えることができる。人間はいつでも富み、栄えているわけではないのだから、仕方ない。少しのひもじさは神様なのだから我慢だ。

「お社の前に立ったら、二回お辞儀をします」

 言われた通りに女の子がゆっくりと二回お辞儀をする。女の子らしい丁寧な動きだ。親の躾はそこそこにいいようだ。

「柏手はご存知ですか?」

「かしわで?」

「火の用心などを触れ回るときに打つ拍子木のようにはっきりとした音を立てて、手を叩くんです」

「……こう?」

 ぱんぱん、と小さな手を目一杯叩く女の子。ちょっと痛い、となっているのはご愛嬌だ。

「そうです。そうしたら、お祈りしてください」

「お祈り……」

 少し考えてから、女の子はこう口にした。

「じゃあ、他の街の人とすぐ喧嘩になっちゃう街の人をどうにか止めてください」

 その祈りに、私は驚いた。目を見開いたという感覚がある。肝心の目がどこにあるのか私にはさっぱりわからないのだが。

 同時に、純粋な子どもならではの願い事だな、と私は思った。私が見えるような敏感な子どもだ。街の衆が漂わせる剣呑な雰囲気も無意識に感じ取っているのだろう。だからこそ、そんな祈りが口をついて出るのだ。なんていい子なのだろうか。広い視野を持って、街をよくしたい、と思う、街思いのいい子だ。第二の咲々といっても過言ではないだろう。

 私は頷く。

「わかりました。と、その前に、あなたの名前をお聞きしても?」

「ん? わたしははなだよ。綺麗な名前でしょう」

 花、か。咲々と通じる部分のある名前だ。

「では花、その祈り、聞き届けましょう」

「ほんとっ!?」

 花はとても嬉しそうに身を乗り出す。私が化け物姿であることは全く気に留めていないらしい。そのことが少し嬉しくあった。

 花の願いは私の力であれば、すぐに叶えられる。喧嘩が起こる、ということはそこには悪意やら怒気やら、悪い感情がたっぷり宿っているにちがいない。久々のご馳走の予感に私はにんまりと口元を弓なりに歪ませた。神らしからぬ表情であるが、元より人間くさいと評されているので、今更気にしない。

「はい、では最後に忘れてはいけないのが一礼です。神様ありがとうございます、という意味で頭を下げるのです」

 花はそれも生真面目に受け止め、お社に向かって一礼する。礼儀のなった子だ。

「お詣りの仕方はこんなところですかね」

「ありがとう、土地神様!」

 お礼を言われると、あまり咲々以外から言われ慣れていないからなんだかこそばゆい。けれど、悪い気はしない。

「さて、久方ぶりのお仕事ですね」

 私はへどろの体をずり、と引きずり、街へ向かった。


 花に案内されて向かった街は空気が淀んでいた。花もそれをなんとなく感じているようで、街に長居するのは嫌い、まあおうちは街にあるんだけど、と苦笑していた。

 いつか花がこの空気の浄化を頼んでくるかもしれないな、と思いながら、人を探した。すると、本当に花以外の人間は私の姿が見えないようで、街の中にへどろの塊がいるという珍妙な光景を私と花だけが体験していた。

 人間に姿が見えないというのは便利だ。私のように食べる神様というのは文字通り口で食べるので、人間があまり直視したいような光景にはならないにちがいない。今回は人間たちにまとわりつく悪意を食べて回るだけなので、丸飲みする必要はないが、やはり食事風景というのを人に見られるのは抵抗がある。しかも見てくれは人間の思い描くような綺麗な神様ではなく、げてもの揃いの化け物めいたものであるから尚更だ。

 今回の悪意は板状の飴のようなものから、怒気になると金平糖という飴菓子に似た形のものが中心だった。形はどうあれ、私からすれば、皆一様に美味しいのだが。人間の味覚を知らないので表現しがたいが、恐らく、人間の言う「甘い」に該当する味わいを持っている。

 悪意や怒気を孕む人間は思ったより多くいて、村だった時代より、人間が増えたのだなぁ、という実感を得る。

 その分、やはり悪意が増えたり、腐っている人間が増えたり、ということも増えているのが嘆かわしい限りだ。

 けれど、悪いものを食べる神様としては嬉しくもあるので、複雑な心境である。


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