人間はやがて、戦争というものを始めた。

 諸外国との関係性の悪化が原因らしい。それくらいなら、関わらなければいいのに、と思うが、繋がりを持つことの大切さを学んだため、複雑な心境である。

 帝国思想とやらに基づく我が国は、他国に屈するべきではない、とのお達しで、戦争やる気満々。

 けれど、戦争をするとなると、自動的に兵士が必要になるわけで……かつては武器を手に取り、戦いに明け暮れる日々が当たり前だったというこのお国では、そのときの武士道とやらは廃れていないはず、と全国各地から兵役をした。

 もちろん、片田舎ではあるがこの街も漏れなく、兵役の対象となる。

 兵役では、男が戦場に向かうということになり、旦那が帰ってくるまで家を守るため、と女人はいっそう強くなったそうな。

 そんな中、花は、父と兄を見送ったという。幼い花にはまだ戦争というものがよくわかっていないらしい。実を言うと、この街で平穏安穏に暮らしてきた私も戦争というのがどれだけ恐ろしいものかまではわからない。

 そんな中、今日も今日とて花が来て、私のために祈りを捧げてくれる。

「お父さまとお兄さまが無事に生きて帰ってきますように」

 私は、その祈りに何も言えなかった。

 私は食べる神様である。ありとあらゆる悪いものを食べる神様である。だが、わからないことがある。

 私は食べて、悪いものを奪うことはできる。だが、私は食べるばかりで、与えることができないのではないかということが、脳裏をよぎったのである。

 その上、悪い条件は続く。例えば、私がこれまで食べてきた人間の悪意なんかは、その場では消えても、ふとした拍子に生まれてしまうのだ。再び。人間に感情がある限り、悪意が生まれる可能性はあるのだ。

 つまり、悪意を絶つためには、その根本である感情を絶たなくてはならない。しかしどうだろう? 感情のない人間とは、人間と呼べるのだろうか?

 もしかしたら、人間が人間である限り、感情というのもふとした拍子に戻ってしまうのかもしれない。それでは私が食べて処分してきたものは元の木阿弥ということになる。

 私は食べられて、神様として存在できるからそれでいい、とだけ考えていた。思えば利己的な考えである。人間を笑えないほど浅はかである。

 私のやっていることに、意味などないのではないか? ──そう思いながらも、せっかく人間で初めて親切にしてくれた花のために、今日もへどろの体を引きずって、花の父と兄を探すのである。

 幸い、二人共、まだ出兵前だった。……顔に死相が出ている。死相は悪いものだ。私が食べられるものだ。死相を食べたなら、この二人は少しでも長生きするであろう。

 だが、死相もまた、ふとした拍子に戻ってしまうものなのだ。行く先は戦場。昔とは比べ物にならないほど高性能な武器で戦うのであろう。風の噂で聞いたが、人間を簡単に撥ね飛ばしてぺちゃんこにする戦車だの、一つの街など軽く吹き飛ばす爆弾などという物騒なものばかりが飛び交うのだとか。勘弁してほしい。本当にいつ死んでしまうかわからないではないか。

 人間は狂っている、と思った。何故このような狂気の沙汰を平気で行えるのか、その神経がわからなかった。

 そんな人間に対する憤怒を覚える傍ら、花が願った父兄の存命を気持ちばかりしか延ばしてやれなかったのが、申し訳なくて仕方なかった。


 敵対国というのが、容赦なかった。

 これも風の噂で聞いたのだが、この国の各地に爆弾を落としては、多くの人命を奪っているのだという。中には自らの土地に住まう民をその爆弾のせいで全て失い、気が狂って、祟り神に変化してしまった土地神もいるのだとか。酷いことである。

 私は久しぶりに咲々に呼ばれた。久しぶりに顔を合わせた咲々は近況を説明した。相変わらず妙な力で人を怪奇に陥れるため、「都市伝説」という怪奇譚になって恐れられているのだという。ただ、人々は咲々どころではなく、今度はどこに爆弾を落とされるのか、と恐怖に包まれながら過ごしているらしい。神様に祈る余裕もないらしく、引きこもってびくびくと震えているとか。

 そんな街の者たちを憐れんだ咲々は、久方ぶりに私に祈りを捧げた。

「どうか、この街の人々をお守りください。戦禍に晒されぬように……」

 咲々の街を思う気持ちは相変わらずだった。私はどうしたらいいかわからなくて、切ない気持ちでいっぱいになる。

 咲々にはわかったと頷いたものの、守り方を知らない私はどうすればいいのか……いつかのように、私はお社の前で踞っていた。

 すると、そこへ花がやってきた。防空頭巾を被った花は、申し訳なさそうに私に言う。

「ごめんね、今日もお賽銭、持って来られなかった……」

「いいんです、いいんです」

 この国は戦争に狂うばかりにそちらにお金を注ぎ込んで、一般市民にはお金の一銭があればいい方、という、これまでになく、ひもじい状態になっていた。神様としては、やはりお賽銭がないのはひもじいが、人間の現状を鑑みるとそうも言っていられない。人間は明日のごはんにありつけるかどうかも怪しいほど、切羽詰まっているのだ。そこからわざわざ金を巻き上げたりするような悪神ではない。

 何度も言っていると思うが、神様はお賽銭がなくても、祈りさえあれば、それをごはん代わりに生きていける。……叶えられなくても。

 故に、今日も私は花の願いを聞く。

 花は震える手で小さく柏手を打ち、私に祈る。

「土地神様、どうかわたしたちを爆弾から守って」

 守り方がわからない、とはとても言えなかった。私はいつものように花に「わかりました」とだけ伝えた。

 この土地を、爆弾から守る。できなければ、私はどこかの土地神と同じように祟り神になるという末路を辿ることになる。それは御免被りたかった。

 生きている人間が死んでも、私にはまだ咲々という悲しき少女がいるのだから。そしてその咲々も、この土地を守ってほしいと私に祈っている。

 私は考えた。

 私は、悪いものならなんでも食べる。人間に害なすものなら特に食べる。そのために生まれた土地神だ。

 頭上に、最近戦争によく使われる飛行機なるものの音が聞こえた。見上げると、それは敵対国の旗印を持つ飛行機だった。

 爆弾が落とされる──!

 そう思った途端、私の脳内で何かが弾けた。気がつくと身体中の口を一つにまとめ、それを大きく大きく開くために、へどろの体を伸ばした。伸びるんだ、と思いつつ。ただ、一所懸命に伸ばした。そう、街を覆い尽くさんばかりに。

 私が閃いたのは、名案かどうかはわからなかった。だが、この街を守るには、これしかないと思った。

 やがて、飛行機からぱらぱらと雨のように爆弾が降り注ぐ。街には当たらない。街の上で、私は大きく口を開けて、それを待ち構えていたのだから。

 私は、何十、何百と落ちてくる爆弾を必死に食べた。街に落ちてしまう前に。爆弾は人を殺す、悪いものだ。

「爆弾から守ってください」

 花の声が蘇る。

 そうだ。戦争が終わるまで、私がこうして爆弾を食べ続ければ、この街は爆弾から守られる。吹き飛ばされずに済む。

 私は休む間なんてなく、ずっと爆弾を食べ続けた。

 人を殺す兵器を食べる私。

 ありし日の少年の一言がよぎった。

「悪食ですね」

 爆弾を喰らう私は確かに、悪食外ならないだろう、と思ったら、少し笑えた。


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