それから時を経て、村は少し他の村と交流するようになって、咲々が埋められた場所に橋ができて、川は氾濫が少なくなるように大掛かりな工事をされ、だいぶ様相が変わった。それに人の出入りがよくなって、村というより街になった。

 川の氾濫がなくなると、いよいよ私もすることがなくなる。咲々とどうしたものか、と変わりゆく街の景観を眺めながら、のんびり話していた。

「土地神様、ご相談があります」

「なんでしょうか」

 咲々から相談事とは、咲々が幽霊に成り立ての頃以来か。もうあれから何百年経ったのだろう。神様である私は時間の経過に疎い。

 咲々は深刻そうな顔をしていた。

「どうやら私、変な力を身につけてしまったみたいで」

「変な力? ですか」

「はい。通りすがりの人を金縛りに遭わせたりとか、意味もなく声を届けたりとか……それで、この橋で怪奇だと騒ぎになっているらしいのです」

「それはまた面妖な」

 けれど、咲々の身上を考えると、仕方ないことではある。こんなに長い間霊として黄泉に往けずに存在しているのである。人ならざることができるようになっても仕方ない。

 ただ、それが人を害しているとなると、人の好い咲々には辛いことであろう。特に、この村周辺に迷惑をかけるのだと。

「私のこの力をどうにかしてほしいのです」

「なるほど」

 まあ、簡単な話である。その力を私が食べてしまえばいいのだ。人に仇なす力ならば「悪いもの」と判断して食べることもできる。

 ただ……私事ではあるが、咲々を食べるのには抵抗がある。咲々に影響がないというのはわかっているが、わかってはいるが……やはり抵抗は拭えない。

 しかし、咲々の祈りは人間がすっかり私のことを忘れてしまっている今では貴重な祈りごはんである。叶えないと、そう遠くないうちに私は神様としての力を失って消えてしまうかもしれない。

 躊躇ってはいられない。死活問題なのだ。

「咲々、では……いただきますね」

「はい」

 咲々は私の思いを知ってか、私を直視しないように目を瞑ってくれた。有難い。あまり食べているときの口の中というのは見られて嬉しいものでもないのだ。

 私はいつぞやのように口を一つに集約し、一口で咲々を丸飲みした。申し訳ない思いが込み上げてくるが、これが一番やりやすいのだ。

 口の中で害をもたらす諸悪の根源というやつを探して、吸い取る。正直、かなり美味しい。水なんかよりずっと味がある。奥深い味わいというか。まあ、人間の食べ物を食べたことはないからなんとも言えないが。

 ちょっと違和感を覚え始めたのは、すぐのことだった。口の中に入れた咲々の輪郭が朧気になってきたのだ。私は瞬時に悟る。

 このまま咲々を「食べ」続けたら、咲々がいなくなってしまう!

 私は吐き出すと同時に、消えそうになっていた咲々を見て憐れむ。咲々は、長くこの世に留まりすぎたが故に、存在そのものが悪しきものになりかけているのだ。

 つまり、咲々はただの地縛霊ではなく、「悪霊」になりかけているのだ。咲々にその意識がなくても。悪霊は悪いものの代表格だ。それを私が食べてしまいそうになるのも仕方がないことだろう。

 咲々を「悪しき力」から引き離すには私では力不足というか、器用なことができないというか……悪霊にならないと、咲々はもう存在を維持できないのだ。私が祈りごはんがないと神様でいられないように。

 私が食べてしまえば、咲々は所謂「成仏」とやらができるのだろう。けれど、私がそれを望まなかった。私は咲々が好きだから、咲々がいなくなったらきっと、普通ではいられなくなる。

 ある伝承に「祟り神」というものがある。それになってしまう可能性が私にはあった。お賽銭も祈りごはんももらえない神様。それは充分に人間を祟るに値することだ。だが、土地神である私が人間を祟ってしまったら、人間を愛していた咲々の気持ちはどうなる? ……考えるまでもない。

 信じた人間に蔑ろにされた咲々を私まで蔑ろにはしたくなかった。まだただの土地神でいたい。そして、咲々のために在りたい。

 祟り神になれば、祈りごはんがなくとも、自らの怨念を糧に私は生きることができる。だが、それでは私の存在理由が本末転倒になる。悪いものを食べる神様が悪いものになってしまってどうするんだ。収拾がつかなくなるじゃないか。ただでさえこの土地は歪で脆く、薄汚い人間ばかりだというのに。……何年経っても咲々を救おうとしない愚か者ばかりなのに。

 私は選ばなければなかった。咲々を悪霊にするか、自分を祟り神にするか。……端から見たら、保身に走ったように思われるだろう。それも仕方ないことだ。実際、私は保身に走っているのだから。

 自分の都合で咲々を悪霊にしてまでこの世に留めておきたいと、願ってしまったのだから。

「……土地神、様?」

 私は咲々のその声を聞いて、胸の中が締まるような思いがした。私が人間だったなら、泣いていたことだろう。もし腕があったなら、咲々を思い切り抱きしめていたにちがいない。

 それくらい、咲々は私にとって重要な存在なのだと改めて実感した。

「ごめんなさい、咲々。私はあなたを食べられない。人間はこういうのを情を移す、というのでしたね。……私はあなたと長く居すぎた」

 そう告げて、背を向ける。咲々が「土地神様!」と叫んだ気がするが、私が振り返ることはなかった。私では咲々を救えないのだから、咲々の傍にいる資格など、ないのだ。

 まあ、きっとそのうちまた恋しくなって会いに行くのだろうけれど、今は一人になりたい気分だった。

 どろどろとした体を引きずって、私はお社に向かう。あそこにはどうせ誰もいないし誰も来ない。結局地縛霊のままである咲々も来られないだろう。

 予想に違わず、そこには誰もいなかった。私はそこで倒れ伏した。大きなへどろが塊でそこに存在する姿は異様であろうし、傍迷惑であるだろうが、どうせ力のない神様の私なんて、普通の人間には見えないし、何の影響ももたらさない。

 私に何故目がないのだろう。こんなにも心を掻きむしられるような思いなのに、涙一つこぼせないではないか。神様は泣く必要がないからかもしれないが、今、私は物凄く泣きたかった。だから、涙の代わりに嗚咽をこぼした。端から見たら、化け物が雄叫びを上げているように見えるかもしれない。だが、今は外聞など、どうでもよかった。

 私は、祈られなければ村一つ守れず、守りたいと思うものさえ守れない。そんな私なんかに神様という肩書きは荷が重い。何か違うものになりたかった。せめて、違う形で咲々と出会いたかった。

 ……考えたところで何も変わりはしないのだが……

 ぐるぐる考えながら、ふと、こちらに向けられる視線があることに気づく。顔を上げると、そこには女の子がいた。不思議そうに私を見ている。その目はしっかり、私を映している。……って、え?

「あなた……私が見えるんですか?」

「あ、喋った」

 女の子にはきちんと声も届いているらしく、女の子はこくんと頷いた。

「あなたがもしかして、このお社の神様なの?」

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