第7話 君の本音を聞かせて

俺たちが学校を飛び出してすぐに酷い雨が降り始めた。

もちろん傘なんて持っていないので、二人ともすぐにずぶ濡れになった。

「…」

「…」

二人とも何も言わない。滝のような雨の音ばかりが静かな街に響きわたっている。

住宅街を抜け、総合病院のある大通りに出た。

「…くん。」

雨音にかき消されそうなほど小さな小さな声がした。

「え?」

振り返ると菊田さんが足を止めていた。

「助けて、」

彼女はそういうと、俺に抱きついてきた。

「え、え、ちょ、菊田さん?」

俺は慌てて菊田さんと一緒に半歩くらい後ろに下がった。

彼女の両目から、悲しい涙が溢れだした。

背後から車のクラクションがした。

「あんたら、この雨の中で一体なにしとるん?」


俺は俺の家にいた。菊田さんが目の前にいる。俺の隣には姉貴がいる。

…どうしてあの絶望的な状況からこのような不思議な状況になったのだろうか。一から説明しよう。

病院の目の前で菊田さんに助けてと言われて抱きつかれ、俺はどうするべきか分からなくなった。

そこに車がやってきた。車を運転していたのは姉貴だった。姉貴がびしょ濡れの俺たちをみて、車に乗れ、家まで連れて行ってやると言った。しかし姉貴が一人暮らしをしているアパートまでここから一時間半くらいかかる。姉貴の言った家とは、俺の家のことだ。姉貴は俺の家の合鍵を持っている。

家につくな否や、姉貴は俺たちにに手早く未使用のタオルを渡し、風呂を沸かした。

沸くとすぐに遠慮する愛音さんを押し切って風呂に入らせ、俺に自分が呼ぶまで二階にいて着替えろと言った。そして呼ばれた俺が戻ってくると姉貴の私服を着た愛音さんがリビングの真ん中に正座していた。

…こんな状況だが、ギャルファッションの菊田さんも最高に可愛いと思ってしまう俺がいた。菊田さん、何でも似合うな。

外から沢山の雨音が聞こえてくる。

「あの、お風呂からお洋服まで…ありがとうございます。」

「それは別にええよ。んで、なんであんな大雨のなか二人とも傘もささずに歩いとったんや。」

姉貴が問いかけた。

「えっと、学校で色々あって…」

俺が言葉を濁した説明を始めると、菊田さんが声を上げた。

「…あの、こんな私の自分語りでも良ければ、聞いてもらえませんか。」

「もちろんや。」

俺も大きくうなずいた。


「…私は、ごくごく普通の日本人の家庭に生まれて、愛されて育った女の子でした。6年前、弟が生まれるまでは。

弟は生まれつき体が弱くて、しょっちゅう熱を出したりしていました。学校にも通うことが難しくて、お父さんとお母さんはそんな弟に付きっきり。元々男の子が欲しかったみたいだし…

始めはそれでも我慢してたし、祖父母とかがかまってくれたんですけど、4年前に祖父も祖母も次々に体調を崩して老人ホームに入ることになって、私は一人でいることが多くなりました。そんなときにリクくんに出会ったんです。」

菊田さんはそこで一息つくと、幸せそうな表情で話し続けた。

「たまたまマイチューブのおすすめに出てきたのがジュエボのオリジナル曲でした。

孤独だった私の心を優しくすくい上げてくれるような曲でした。」

菊田さんはそういうと、どこからかスマホを取り出して、曲を再生した。

優しいバラードだった。

『君は君らしくそのままでいい 一人じゃない 僕たちがいるよ』

そのパートを歌っていたのはリクくんだった。

「この言葉に救われて、リクくんを知りました。そこからいろんな動画を見漁って、曲を全部聞いて、配信も追って、好きが日に日に増していって…いつの間にか、恋していました。」

菊田さんがリクくんに恋をした理由に少し納得できた。孤独な心を癒やしてくれた唯一の人だったのか。

恋愛小説なら、こんなときに傷を癒やしてくれる人がクラスメイトだったりよく行くカフェの店員だったりするのが多い。

でも菊田さんの場合はそれが画面の向こうの『推し』だった…。

「リクくんがいるから、夜家で一人でも耐えられた。リクくんのオリ曲投稿があるから、一週間後まで頑張って学校に行けた。リクくんのおかげで、毎日が楽しくなった。

それで、この好きをリクくんに伝えるにはどうしたらいいのか考えて、昔、少しだけダンスを習っていたから、気持ちを込めて踊ってみたらいいんじゃないかと思って、ティクティクを初めてみたんです。元々、量産型オタクに憧れていたのもあって。そうしたら、自分で言うのもあれなんですけど、思ったより色んな方に見て頂いて…

身バレを防ぐためにも、学校では正反対の清楚系キャラを演じて、リクくん推しなのも隠していました。ちょっと苦しかったけど、そつなく中学生活送れたし、誰にも正体がバレなかったのでよかったと思ってます。…男子にモテ過ぎなければ最高だったんですけど。」

菊田さん、予想はしていたけど、中学の頃も大変だったのか。

「…バズったら世界がガラリと変わりました。繋がりたいって言う人も増えて、

みなたんとかなたんもティクティクで知り合ったんです。ネット上で話してるときは普通に優しい人だと思ったんです。横アリで初めて会ってちょっと口が悪いな〜とは思ったんですけど、まさかあんなことするなんて…」

「ネット上なんていくらでも自分を偽れるものやで。」

姉貴が静かな口調で言った。

「…そうですよね、私もそうだもん。キャラ作って、加工とメイク覚えて、再生回数が増えて、フォロワーさんも増えて…気がついたら本当の私が分からなくなった。

パパも、ママも、中学の頃告白してきた男子たちも、高校で出来た友達も、ネッ友もフォロワーさんも、みんな本当の私なんて知らないし好きじゃない。

本当の私を受け入れてくれたのはリクくんだけだった。リクくんが、私だけに向けてそのままでいいとか愛してるとか言ってるわけじゃないことは分かってる。叶わない恋なのも分かってる。お金ないからグッズも全然買えないし、現場にも沢山行けない…でも、好きになっちゃったの!日に日に好きが増していくの!!リクくんが私だけを見てくれないのが悲しい、リクくんを好きな人が沢山いるのが苦しい…この前の横アリだって、いっぱいうちわ振ったのに気づいてもらえなかったし…つらいよお〜」

菊田さんは床に崩れ落ちそうになり、姉貴に支えられた。

「…リアコ、苦しいよな。うちはリアコじゃないからリアコの気持ちは分からへん。

でも、推しがいると人生楽しくなるのは分かる。

…愛音ちゃんに必要なのは、ありのままの自分を好きになってくれる、身近な人や。」

「…ありのままの自分を好きになってくれる、身近な人…。」

姉貴がこちらに目配せした。

「…んじゃ、あとはお二人さんで〜」

「え?」

びっくりする俺を尻目に姉貴は部屋を出ていった。

…姉貴は、俺よりもずっと、俺の気持ちを分かっていたらしい。

「菊田さん。」

俺は足を組み直した。

「俺は、ジュエリーボーイズもこの前知ったばかりだし、アイドルのファンの気持ちなんて全然理解できない。でも、菊田さんが本気でリクくんが好きなことも分かる。

…誰かを好きな気持ちに強いとか弱いとかないと思う。

菊田さんがリクくんのこと好きなら、胸を張って好きって届けなよ。

……俺は嫌だけど。」

「え?」

「俺は菊田さんのことが好き。これは菊田さんがリクくんに感じてるのと同じ好き。」

俺は認めた、初恋というものを。

「リクくんはとんでもないイケメンだし、歌上手いし、誰かを救える力がある。それは認める。俺じゃ敵わないよ。

…でも、俺はリクくんの知らない菊田さんを知ってる。俺のこと起こしてくれた優しい菊田さん。図書室のすみっこでこっそりメイクしてる菊田さん。とっても楽しそうに踊る菊田さん。今こうして目の前にいる菊田さん。菊田さんは本当の私が分からないって言ってたけど、無理して自分のキャラを決めなくていいと思う。だってどれも代わりなんていない、素敵な菊田さんの一部なんだから。」

菊田さんは顔を赤くしていた。俺も自分で言っておいて恥ずかしくなってきた。

どれくらいお互い黙っていたのだろう。

いつの間にか外の雨音が聞こえなくなっていた。

「ありがとう、川島くん、とっても嬉しかったよ。」

菊田さんは今まで俺が見た中で一番晴れやかな顔で笑った。







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