とある研究学園都市の不思議な話

干野ワニ

おこられたらけします

 私が現在住んでいるT市は、研究学園都市として計画的に開発が行われたという特殊な歴史を持つ街です。閣議決定からたったの十七年で、四十三もの学術研究機関の巨大施設が移転を完了。さらに研究職だけで二万人以上いると言われる職員と、その家族たちが移り住むために、数多くの宿舎が建設されました。その宿舎は今では制度廃止となり、各所で売却待ちの廃墟群と化しています。


 私もかつて、その宿舎の一つに住んでいました。築五十年が経った宿舎は震災でヒビが入っていた上に、窓枠が腐り風呂場のタイルが剥げ落ちていましたが、その程度では修繕対象になりません。


 それでも家賃と立地はとても魅力的だったのですが、なぜかとある理由で出てゆく人が後をたちませんでした。それは「奥さんが体調を崩した」というものです。自宅にいると呼吸困難などの症状が現れ、夜中になると風呂場の方からカリカリと、何かを引っ掻くような音がするのです。

 中にはノイローゼになり、自殺してしまった人も――。


 これは市内各所に点在する宿舎の多くに共通する話題のようでした。この宿舎群は、本来ありえないような短い工期で建設されたという事情があります。もしや、何かよくないものを、正しい手順を踏まずに潰してしまったのでしょうか?




 ――しかしこの話には、明確な答えが見つかります。それはこの宿舎の、湿度の高さです。


 ある真冬の朝に起き出してリビングの湿度計を見ると、七十八パーセントと表示されています。そして朝食のために少しばかり煮炊きをすると、軽く八十パーセントを超える……それがこの宿舎の部屋の日常でした。真冬の朝に壁がびっちりと結露しているなど、よくあることだったのです。


 つまり自宅で過ごす時間の長い主婦たちが体調を崩した原因は、そのカビの発生のしやすさにあったのでした。掃除しても掃除しても、タンスの裏に、中に、壁にと蔓延はびこる一面のカビ。カビ。カビ。ズボラな私ですらその状況には閉口して脱衣所と寝室で二台の除湿機を年中稼働させていた、そんな場所だったのです。


 カビは、アレルギー発症の大きな要因となりえます。さらに綺麗好きの人であれば、カビとのイタチごっこは精神的疲弊の原因にもなるでしょう。


 そして風呂場から聞こえてくるカリカリという音の正体は、ナメクジが洗面器に残った垢ごとプラスチックを齧り取っている音でした。冬でも湿度の高い宿舎には、ナメクジも年中たくさん出没していたのです。




 ――ただここで、疑問が生じます。


 この地域の冬は筑波颪と呼ばれる北西風の影響で、実はとても乾燥しているのです。実際に宿舎のリビングで常に八十パーセント前後しか表示しなかった湿度計も、同地区内で転居した後のリビングではそんな数字を示したことはありません。梅雨でも高くて六十パーセント台、冬場は三十パーセント台まで下がるので、寝室に加湿器を買いました。


 そんなこの街で、なぜあの宿舎群だけが、異常な湿度の高さを示していたのでしょう。噂によると突貫工事が原因で、鉄筋コンクリート造の壁が乾ききらぬうちに表面を塗装してしまったからではないかと言われています。でも五十年も経ち、何度もボロボロになっては塗り直されていた壁が未だに乾ききっていないなど、ありえるのでしょうか。



 私の勤め先は市内中心部のほど近くにありながら、広大な敷地を持っています。そこはかつて、とても大きな沼地の半分を埋め立てて建設されたのだといいます。


 万葉の昔より霊峰と名高い筑波嶺。そのふもとに作られた計画都市は、完成を急ぐあまり何か大事なものを潰してしまったのではないか――私にはそう思えて、ならないのです。





 (追伸)

 総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態及び世帯数調査によると、2022年の人口増加率はT市が市区部で全国1位となっています。

 そんな中で、かつての宿舎群も廃墟から住宅街へ続々と姿を変えつつあります。

 ――あなたの新居、住み心地はいかがですか?






 《了》



※この物語はフィクションです。実在の団体・事件等とは一切関係ございません。

(今跡地のひとつに住んでいますが、全く問題ないのでご安心くださいー!)

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