Take10 夏なんです

 苦行(?)を終えた僕達は、言葉を発する事もなく、控室の椅子に体を預け呆けていた。始まる前と同じく、静か過ぎる空間にパイプ椅子の軋む音が響く。

 僕は所在の無さから、無造作に置かれていたショップのフリーペーパーに手を掛ける。売り出し中のバンドなのか、赤レンガの壁をバックにしたメンバーの写真が目に飛び込んで来た。カメラ目線の人はおらず、各々好き勝手な方向を見つめている。

 パラパラとめくると、表紙のバンドのロングインタビュー。そして新譜の情報や、コラムなどしっかりとした内容のものだった。

 ぼんやりと眺めていた手が終盤で止まる。

 これって⋯⋯。

 ガタっといきなり立ち上がる僕に桐河さんは顔を上げた。


「祐、どうしたん? 逃げるか? ええよ、もうこんなん無理やんな」

「あ、いや、五嵐さんいらっしゃっていますよね」


 桐河さんと新山さんが怪訝な表情で、視線を交わし合う。


「今さらなに?」

「ちょっと相談を⋯⋯。とりあえず、次です。次は大丈夫ですよ。レコ発ライブは頑張りましょう!」

「なに? なんや? キモイな急に元気になって。なに? 相談って?」

「ちょっと思いついたのですけど、可能かどうか⋯⋯」


 僕はふたりを呼び寄せた。僕の言葉にふたりは何とも言えない微妙な表情を見せる。そんな事が本当に可能なのか、半信半疑で訝しげな視線をこちらに向けるだけだった。



「五嵐さんちょっといいですか?」


 片付けを見守っていた五嵐さんの元へ向かい、メンバーに話した内容を繰り返す。言葉を挟む事もなく、僕の言葉に耳を傾けてくれた。話終えた僕に、五嵐さんは逡巡の姿を見せる。


「⋯⋯それで音源は、五嵐さんがディレクションした方でいきたいのですが、どうでしょうか?」

「なるほど。いくつかハードルはあるけど、そこまで高くは無い。うん⋯⋯何とかなるかもしれない。面白いと思うよ」

「良かった」


 僕の安堵に微笑みを見せるも、五嵐さんはしっかりと釘も刺す。


「仮にその通りに動けたとしても、結果が確約出来るわけじゃないからね。ホッとするのはまだ早いよ。で、レコ発はどうする気? 今日のあれ、わざとでしょう?」

「バレてました」

「蔵田さんとなんかコソコソやっているのは聞いていたけど、何をしているの?」

「単純にレコ発ライブに向けての練習です。蔵田さんにアドバイスを貰いながら、社長には内緒でスタジオに入っているのです」

「やっぱりね。今日の下手な感じは、なんか不自然なところがあったもの、納得」

「でも、まだ人前で出来るほどではないので、きっと五嵐さんの想像よりは、下手なままですよ」

「スタジオ入る日教えてよ。見学したいからさ」

「五嵐さん来るとなんか緊張しますね。でも、いろいろ相談もしたいので、後ほど連絡します。あ、社長には内緒で」

「分かってるって」


 そう言って五嵐さんは、また微笑んだ。


「何だか町田くん、変わった?」

「そうですか??」

「以前会った時は、もっと受動的だったよね。こんな能動的に動く人だと思わなかったよ」

「⋯⋯もしかしたら、楽しんでいるのかもしれません。みんなの音がひとつになって行く感覚が、気持ちいいのですよね」

「アハハ! それがバンドの醍醐味だよ。そっか⋯⋯楽しくなって来たか。それじゃあ早速、動くよ。リハの件、連絡宜しくね」

「はい」


 五嵐さんはまた現場へと戻り、僕は少し軽くなった足で家路につく。

 夏の蒸し暑さと、じりじりと落ち切らない太陽が、僕の体から汗を絞り出す。でも、その感じも何だか、今日は悪く無かった。

 歯車が噛み合い、何かが動き始めた感覚。街に繰り出す人の流れに逆らって、僕は駅へと向かった。


◇◇◇◇


 ブーンとスマホが震えると、桐河さんと新山さんが仕事で遅れるとのメッセージが同時に届いた。


「大変だな。『ゆっくりどうぞ』⋯⋯と」


 無音のスタジオは孤独を強くする。外界の音は遮られ、しんと静まり返るその空間は世界から切り取られた別世界にも感じた。

 手持ち無沙汰の僕は、備付けのアップライトピアノの蓋を開ける。鍵盤に掛かっているキーカバーを外すと、使い込まれている白鍵と黒鍵が現れた。

 トンとピアノの鍵盤の重さを感じながら白鍵に指を置く。ハンマーがピアノ弦を叩き、ポンとピアノらしく柔らかな音色を響かせた。無音のスタジオに心地良く響くその音色に、僕は椅子に座りピアノを前にする。

 適当にコードを鳴らしたり、昔弾いた曲の触りを思い出しながら弾いたりと、鍵盤の重みを楽しみながら、その音色に包まれて行った。

 お。このコードからこう行くの気持ちいいな。

 ゆったりとコードを押さえながら、ピアノが奏でる和音の響きに心を傾けて行く。

 フフンと心地良い音に酔い始めると、口からメロディーが零れ始めた。

 紡ぐメロディーは、ゆったりと静かな音を刻み、やがてそれは大きな広がりを手に入れる。誰もいないスタジオに響く、ピアノと鼻歌。

 

 あれ? これ、結良さんの詞乗るかも。

 夏の終わり。それは長かった夏休みの終わりを告げる、少し寂しげな原風景。

 情景を映す詞なのに、叙情的に映る詞。

 なぜだか頭に残っていた結良さんの詞を自然に口ずさんでいた。

 蒸し暑い夏の午後。夏休みは確実に終わりに向かい、寂しさが積み重なる。

 そして新たな時間の始まり。止まっていた少年の時間が動き始める。

 勝手な解釈かも知れない。けれど、結良さんが怒ったり、否定したりする事はきっと無いはずだ。

 

 トーンと最後の音を鳴らすと、何だか凄い達成感に包まれていた。

 パチパチパチパチと静かな拍手にびっくりして、振り返ると五嵐さんがニコニコと笑顔を見せている。何だか見られたくない部分を見られてしまった気恥ずかしさに、思わず顔を赤らめてしまった。


「いるなら言って下さいよ」

「何だか集中してたから、邪魔しちゃ悪いと思ってね。誰の曲? 聞いた事ない曲だけど」

「適当に弾いていただけですよ。いやもう、恥ずかしいですね」

「へぇー、適当ねぇ⋯⋯。鍵盤弾けるね。どうりで、ギターの覚えがいいはずだ」

「弾けるって言っても小学生の時に、ちょこっとエレクトーン教室に行っていただけなので、弾けるうちに入りませんよ」

「ふ~ん、曲作りもそこでって感じ?」

「教室の課題で少しだけ」

「なるほどね」


 何だか意地悪い感じのニヤニヤ笑いを続ける五嵐さんに、怪訝な視線を送る。


「もう、忘れて下さいね」

「声質もいい感じじゃない。柔らか過ぎない感じが凄くいいよ。恥ずかしがる事はないじゃん」

「恥ずかしいですよ!」

「ごめーん! 遅くなった!」


 スタジオに桐河さんが飛び込んで来て、この話はここまで。その後すぐに現れた新山さんとメンバーが揃うと、すぐに音出しを始める。

 さっきまでニヤニヤしていた五嵐さんの顔も引き締まった表情を見せ、僕達の音に耳を傾けた。


「そんじゃぁ、とりあえずいつもの」


 桐河さんの言葉に頷き曲が始まると、五嵐さんの表情から驚きが伝わる。みるみる表情は真剣味を帯び、集中が増していくのが分かった。

 最後の音を打ち放す。五嵐さんはまたパチパチと軽く拍手して見せた。


「正直ここまで出来ると思っていませんでした。かなり練習したでしょう。曲の選択も悪くない。これ全部蔵田さん?」

「いえ、曲の選択は桐河さんです」

「そんで、祐がコード譜を作ってくれたのよ」


 桐河さんはドヤ顔を見せる。


「なるほど! じゃあアレンジは町田くん?」

「いえ、桐河さんが蔵田さんにイメージを伝えて、僕達でも演奏出来る形に落とし込んで行くって感じです」

「蔵田さん様様だね。それじゃあ、他の曲も聞かせてくれる」

「分かりました。何やります?」

「まだしっくり来ていない、あれろう」


 桐川さんの言葉を合図にして、新山さんのドラムがゆったりと始まる。淡々とリズムを刻むベースが被さり、スカスカのギターの音を被せて行く。静かに淡々と進む。五嵐さんは顎に手を置き静かに聞き入っていた。


「ギターは軽く歪ませてもいいかもね。ちょっとスカスカ過ぎるかな。リズムの淡々とした感じを生かすなら抑揚はギターで付けるのがいいんじゃない。Cメロに来たら思い切りノイジー⋯⋯それこそビッグマフとか踏んで、ローファイに寄せた方が、このバンドのイメージに近いかもよ」

「なるほど、それでやって見ます。もう一回、いいですか?」


 ふたりに視線を送るとすぐに頷き、新山さんがリズムを刻み始める。

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