Take11 その向こうへ

 渋谷W—SOUTH。二階席まで入れればキャパ500名程を誇るライブハウス。一般的なライブハウスが100~300名と考えるとライブハウスとしては中箱の部類らしい。

 いきなりキャパ1000名とかの大箱でやりかねないウチの社長を考えると、この規模で良かったとは思うが、このバンドで埋まるかと言われれば不安しか無かった。

 ゲスト出演は無し。昨今のライブとしては破格とも言えるドリンク代別1000円。

 プロモーションの一環なので、儲けは度外視だと豪語する。とは言え、あまりにもスカスカだと、それはそれで事務所的にキツイと社長からのキツイ圧は掛かっていた。

 って、言われてもねぇ。

 これが本音。


◇◇


 開演三時間前。僕は教えて貰った関係者口から、タバコの匂いが染み付いた楽屋に一番乗り。物珍しさも相まって、お世辞にも綺麗とは言えない狭い楽屋を見回して行く。ヤニのこびりついた壁に目を凝らすと、殴り書きされているアーティストの名前に見覚えがあった。

 あ、こっちにも。

 今ではホールが当たり前のアーティストも、ここを通過点にして、駆け上がって行ったのだと何だか感慨深いものを感じた。壁を覆い尽くす殴り書きの量は、このライブハウスの歴史を物語る。

 いったい、どのくらいのバンドがここを通って行ったのだろ?

 頭の中で計算を始めるものの、それが無意味な事に気付く。

 今日が歴史の汚点にならないように頑張らないと。

 インストアの時と違って、少し楽しみにしている自分に気が付いた。きっと、今日までみんなで頑張ったという自負がそう思わせているに違いない。

 修学旅行の前日。祭りが始まる直前。映画の客電が落ちた瞬間。

 いつもとは違う日常が近づくワクワク感に、高揚を覚える自分がいた。

 気を落ち着かせようとケースからギターを取り出す。パイプ椅子の上で足を組み、今日の演目で気になるところを弾き始めた。

 だれもいない楽屋に、エレキギターの生音だけが響く。カチャカチャと迫力も何も無い、スチール弦を擦る音だけが耳朶を掠めていた。


「お! 早いなぁ。新山くんは?」

「まだ来てないです」

「そっかぁ~」


 桐河さんが到着するとマジマジとヤニまみれの壁を眺め、知っているアーティストを見つける度に大袈裟に声を上げる。


「ぅおおお! ここでってたんか! あ! ここもかぁ~。ああぁーいたなぁ、この人ら今何してんのやろ⋯⋯」

「さすがに詳しいですね。それに何だか嬉しそう」

「う~ん、そやね。客側あっちでは何度も足を運んでいるけど、演者こっちでは初めてのライブハウスやからね」

「あれ? でも、お笑いもライブハウスでやりません?」

「ウチらは出た事ないんよ。それがちょっと弱点にもなっているなぁ」

「そうなのですね」

「あぁっ! ちょっと祐! こ、これ見い! ヤバっ! 写真撮っておかな!」


 今からテンション爆上がりで、本番まで持つのか心配になってしまうが、少女のごとく喜ぶ姿にこちらも釣られて微笑んでしまう。

 本当に音楽が好きなんだ。

 その思いに僕達が引っ張って貰っているのは間違いが無かった。


「おはようございます。今日も暑いですね」


 ハンドタオルで顔を拭きながら新山さんが扉から現れる。額いっぱいに滲む汗の量が、今の暑さを物語っていた。

 テーブル上に置かれた、汗をかいているペットボトルを手渡すと、新山さんはそれを一気に飲み干してしまう。

 桐河さんもベースを取り出し、ベキベキと音を鳴らし始めた。

 新山さんはスティックを取り出すと、顔の前に構えたまま固まっている。何かの儀式に見える姿は、いつもの姿だった。


『【キャンディフロス】さん、リハ(ーサル)いいっすか?』


 内線電話から、若いスタッフの声が届く。


「はい。すぐ行きます」


 僕達は立ち上がり、外階段を通って袖口へと向かった。

 防音を誇る厚い鉄の扉は少しばかり重くて、外の世界を遮断するその重さは、何かが始まる予感を想起させる。


「よお!」


 扉の向こうで待ち構えていた蔵田さんの軽い挨拶に僕は深々と頭を下げた。


「今日は宜しくお願いします」

「アハハハ、むちゃくちゃ固いな。まぁ、楽しもうや」

「はい⋯⋯」


 僕達はステージへと向かう。ほんの数歩で到達する異世界。客電の灯る無人のホールはとても広く感じて、ここが埋まるとはやはり思えなかった。


「広いですね」

「そっかぁ? ライブハウスだし、こんなもんちゃう? ちょっと大きめか?」

「あ! そうか! 桐河さんも新山さんも、もっと大きな舞台の経験がありますものね」

「でも、音楽や無かったから、今日は別もん。緊張はするで」

「僕はここが埋まるのか心配ですよ」

「へぇ~」

「あれ? 何か思っているのと違う反応ですね。桐河さんは、心配してないですか?」

「あ! いや、ちゃうちゃう。演奏の心配はせんのやな、って思ってな」


 あ、言われてみればそうだ。


「いつの間にか、そこの不安って無くなっていました」

「死ぬ程練習したもんな」

「はい⋯⋯でも、楽しかったですね」

「せやな。社長が持って来た曲ガン無視やん、社長、どないな顔見せるかなぁ?」

「フフ。ですね」

「やばっ、楽しくなってきた」


 そう言って桐川さんはニンマリと笑顔を見せ、言葉を続ける。


「まぁ、動員の方はコアラちゃんの秘策に期待するしかないやろ。影響力はかなりあると思うで」


 そう言ってまた口端を上げて見せた。


◇◇◇◇


『はい、どうも。【ももミュージックディクショナリー】へようこそ。ミュージック辞書監修人の【もも みやす】です。今日はですね、和製シャッグスとでも言いますか、とんでもない音源が届いたのでそれを聴きながら、お話して行きたいと思います。それでは、行ってみましょう!』


 PCの画面に映るのは、ぴっちりと分けた七三に太い四角の黒縁メガネ。1950年代ロッカー、バディーホリーのオマージュとも言えるルックスの男性が、軽妙なトークを始める。

 登録者数50万人を誇る音楽評論系ユーチューバーの代表格である彼が、事もあろうか【キャンディフロス】を取り上げた。


『じつはこれ、僕もこれが初聴きなんです。まずは聴いてみましょう。⋯⋯あ、これヤバっ! アハハハハハ! じつはこれ関係者に知り合いがいまして、お前が好きそうなバンドをやっているって教えて貰ったんすよ。あ、うん、本当だ。好きだわぁ。確かに、弾ける人が下手に弾いたものじゃないね。ガチだわ。裏情報としては、バンドのメンバーはすげぇ一生懸命だったって』


 目を閉じ、時折頷きながら殴り塗りされた人工的なピンク色の曲に聞き入っている。絶える事の無い笑顔が、この音源を心から楽しんでいるのが伝わった。


『いやぁ~ヤバイ、ヤバイよこれ。ガチでリリースしているんだ。これってさ、バンドというか、音楽に接する剥き出しの初期衝動が詰まっているって言うか、それだけだよね。日本のメジャーレーベルがこれをリリースするってのが、それだけで凄くない? あれ、ちょっと待て⋯⋯え? マジ? これ作曲【キキ カレン】なの? マジ? ガチ? アハハハハハハハ!! ヤバッ! 【キキ カレン】見直したわ。この混沌具合ヤバ過ぎる。久々の衝撃作だよ』


 大笑いするバディーホリーライクな男が、USBをまたひとつ取り出した。


『お前が気に入ったら、宣伝も兼ねてこれも流してくれって渡された音源があるんだよね。あいつオレの好みを分かっている、絶対気に入るって分かっていたんだよ。ちくしょう! 何だか悔しいが、気に入ってしまったものは仕方ない。この音源も聴いちゃいましょう!』


 目の前のPCにUSBを挿し込むと、流れて来たのは、メンバーが最初に聴いた五嵐ディレクションバージョン。笑顔は消えていたが、顎に手を置き静かに音源に耳を傾けている。


『これ、普通にかっこいいじゃん。演奏の拙さはあるものの、90年代のローファイ、オルタナ、グランジのリバイバルって感じ。ボーカルの声質もこっちの方があっているんじゃない? 元々メロに力があるんだろうね。この辺90年代リバイバルって、これから来る予感もあるので、もしかしたら先取りかも?! このバンドの情報は概要欄に貼って置くのでチェックを宜しく! 高評価と登録もお忘れなく! そうだ、レコ発のライブもあるって! どうなるのかな? かなり興味湧くよね、これは行こうかな。ではまた! 次の音楽の字引でお会いしましょう!』


 画面の男が笑顔で手を振り、終わりを告げた。

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