Take8 Emergency! Emergency!

 渋谷にある大型レコード店H。地下一階から七階まで、ジャンル別に無い物は無いという品揃えを誇っていた。そして地下一階には、小さいながらもイベントスペースが設けられており、サイン会や簡単なライブが販促を兼ねて行われている。

 事務所の一画に設けられた簡易な控室で、僕達は何とも言えぬ居た堪れない時間の流れに身を委ねていた。準備されたパイプ椅子は身を預け直す度に、ギシっと歪んだ音を鳴らし、店から漏れ聞こえるBGMを一瞬だけ掻き消す。

 居た堪れぬ静けさに声を発したくとも何を言えばいいのか、頭の中には単語すら浮かんで来なかった。


「とりあえず頑張りましょう」


 新山さんらしい優しさ溢れる言葉に、桐河さんは俯いたまま視線をジロリと向ける。


他人事ひとごとやと思って⋯⋯」

「いやいや、新山さんも僕も当事者じゃないですか」

「あんたらはさしてダメージないやろう。こっちは真正面から受けんねんで」


 ゴスロリ衣装ばっちりの桐河さんを前にして、シャツにGパンのふたりは再び言葉を失う。


「まぁまぁ。ここを乗り切って終わりにするのでしょう? 腐っていても仕方ありませんよ。ねえ? そうでしょう町田くん」

「そ、そうです。今日は終わりの始まりですよ」

 

 さすが新山さんは大人です。声を荒らげる事も無く、優しく桐河さんを諭した。


「ホンマに終わるんか?」


 怪訝な瞳は僕に向けられる。

 そう。

 社長に大見得切って賭けに売って出たのは自分。その勝てる根拠のない賭けが、吉と出る確率は、この時は限りなくゼロだった。


◇◇◇◇


 —————— インストアライブ二ヵ月前の応接間兼会議室。


「完パケ届いたよ」


 社長の号令で集められた僕達は、音源が完成したのだなと薄々感づいていた。

 五嵐さんのディレクションで、少しでもいい方向に向いた事を祈る気持ちでPCを見つめる。先日と同じくPCにUSBを挿すと、すぐに音は届いた。

 その音は先日聞いた物より明らかにソリッドで、音のざらつきは増えてはいるものの、勢いは明らかに増している。ボーカルの擦れた甘ったるい感じも、音の粒をざらつかせた事で、ラフミックス時より音の一体感は明らかに増していた。

 これには、桐河さんも少し安堵したのか、大きな溜め息をつきながら聞き入っている。

 さすがプロの仕事。下手糞ながらも聞ける物になって、僕達の頑張りが報われた気がした。

 PCから音が消えると一瞬の静けさが襲う。難しい顔でPCを睨む社長の姿に、僕達は違和感を覚えた。

 まぁ、イヤな感じがするってやつです。

 この静けさにマズイと感じた新山さんが、先陣を切ってこの静寂を打ち破る。


「い、いいんじゃないですか? ね? ね? 音楽の事は分からないけど、何か凄くかっこ良くなったと思いません? ね? ね?」


 新山さんの言葉に僕達は大きく頷き、激しい同意を示す。これ以上余計な事をして、傷口を広げたくないというのが本音だ。


「チッ!」


 舌打ちと共にひとり不満を現す社長に、僕達は不安しか覚えない。PCを睨みながら社長は続ける。


「ぜ⋯⋯! ん⋯⋯! ぜんダメ! コアラのやつ何してくれんのよ! これだったら前のラフの方が千倍マシ。ボツ! 突っ返してくる!」


 不満をぶちまける社長に、一同啞然とするしかなかった。まさかのラフ推しに僕達は言葉をまた失ってしまう。

 ラフの方がマシ? いやいや、だれが聞いたってそれはないでしょう。


「社長! ちょ、ちょっと待って下さい。いくらなんでもラフの方が良いって事はないんじゃないですか?」

「そ、そや! だれが聞いたってこっちやろう。祐! もっと言ったれ!」

「はぁ⋯⋯言いたい事はそれだけか?」


 社長は大きな溜め息をつくと鼻をスンと啜って、こちらに冷たい視線を向ける。

 ここは頑張りどころ。大きく息を吸い、心を落ち着けると鋭い視線を向ける社長に対峙していった。


「社長は、完パケの何が気に入らないのですか?」

「何もかも」

「何もかも? ですか?」

「祐、あんたこの音が街中で流れていたらどう思う?」

「どう?」


 当事者の僕は冷静に判断する術を失っている感は否めない。

 一歩引いて、俯瞰で考えよう。

 下手な演奏を誤魔化す尖った音。曲調に合わない歌声と歌い方。


「この音が流れて来て、あんたの耳に届いた。どう思うのよ?」

「下手な演奏だなって思います」

「で?」

「で??」

「手に取って買うまではいかないにしろ、ネットで検索掛けたりするか?」


 ただ下手なだけのバンドか⋯⋯。


「しないですね」


 僕の答えに社長は真っ直ぐにこちらを見つめる。冷淡な表情が社長の美貌を引き立て、余計に圧は高まっていた。でも、ここで頷いてしまえば、社長の言うがままに事が進むだけ。桐川さんの為にも何か策を講じなければ⋯⋯。

 いつもならすぐに折れていた状況なのに、折れていない自分がいて、自分自身少し驚いていた。


「ラフの音だったらどう?」

「そうですね⋯⋯もの凄く酷いバンドだなって、きっと思います」

「もの凄く下手で、聞いた事も無い酷いバンド⋯⋯どういう形であれ引っ掛かりを覚えない?」

「あ!」


 そう言う事か。でも、あの音でリリースするのは⋯⋯。


「中途半端な音にするなら、ダメな方に振り切った方がインパクトは大きい。ましてや、初期衝動のみのバンドなのだから、ありのままを晒した方がいいのよ。混沌、混乱があるから人の記憶に残る。伝説を作るなら、インパクトの強い方を選らばなきゃダメだろ」


 ぐうの音も出ないとはまさしくこの事。売れるわけが無いと思っていた人間と、本気で売る気だった人間の差が出た気がした。

 反論する気さえ消えてしまい、桐河さんはまたテーブルにうつ伏せてしまう。


「⋯⋯黒歴史⋯⋯検索しないで⋯⋯デジタルタトゥー⋯⋯アカン⋯⋯あれを世に放ってはならん⋯⋯」


 心がバキバキに折られてしまったようで、訳の分からない呟きを繰り返していた。


(マズイですね。奈那子さんの心がズタズタですよ。町田くん何とかならないの? T大でしょう?)

(イヤイヤ、T大は関係無いでしょう。あの社長に対抗するなんて無理ですよ。新山さんこそ、付き合い長いのでしょう?)

(僕は無理だよ~)


 コソコソと話している僕達の事など気に掛ける事も無く、社長はPCを仕舞いこちらに顔を向けます。


「あ! 言い忘れてた。インストアライブの二週間後、リリースライブやるから。箱は渋谷のW―South。キャパはオールスタンディングで500くらいかな。頑張って人集めてね、じゃないと赤字だからさ。まぁ中箱だし、そこまで大きくないから大丈夫でしょう」

「「へ??」」


 うつ伏している桐河さんの耳には届いていないようだが、僕達の耳にはハッキリと届いた。


「ライブって⋯⋯曲どうするんですか??」

「まぁ、適当に何とかするから」

「適当に何とかって⋯⋯」


 500人の前でるライブが適当って⋯⋯そもそも、あの音にそこまでの集客は無いと思うのですが?? 何故そこまで強気で行けるのか、全く理解が追い付かない。

 思考が停止している桐河さん。オロオロするだけの新山さん。PCを抱え去って行く社長。

 ここで何か行動を起こさなければ、この負のスパイラルは永久に止まらない⋯⋯。


「社長!」

「何?」


 扉を前にした社長へ反射的に声を掛けていた。この負のスパイラルを止める術を必死に模索する。


「で⋯⋯伝説を作りたいって仰っていましたよね」

「だから、何よ?」


 苛立ちを隠さない社長に、思考は止まり掛ける。

 止めるな。考えろ。伝説⋯⋯伝説⋯⋯止める⋯⋯。


「も、もし、チャートで一位になったら解散しませんか?」

「はぁ? 何言ってんの?」

「世界一下手糞なバンドのデビュー曲がチャートで一位を獲って解散したら、それだけで前例の無い伝説じゃないですか?」


 扉に掛かった社長の手が止まった。スンと鼻をひと啜りして、動きが止まる。

 よし、喰いついた。

 伝説という単語に、社長はこめかみをひとつピクっと動かし逡巡を見せる。

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