第7話 キャンパスに色を重ねて


 彼女は笑っていたけれど、ぼくは笑えずに不恰好に口の端を持ち上げました。

 そんなぼくに文句も言わず、彼女は言葉を続けます。



「私は、ここで夢見草が咲くのを待つのは苦ではありませんしね」


「……自分の夢見草は枯れたのに?」


「あははっ!

 私が夢見草を伐採してしまったから、それを悔やんで他のモノもそうなってしまえって思ってるって?」


「……なんでそんな笑えるの、笑い事なわけ?」



 背中を丸めて笑い続ける、そんな彼女に聞かせるためのためだけのため息をつきます。


 あはは、という彼女の笑い声はやんで、すぐ。ひーひーと荒い呼吸音の間で彼女は言いました。



 どんな風にって?そう、ぼくを諭すように。



「あなたが見惚れていたものは、あなたが、いつか諦めたうちのひとつでしたか?」


「……」


「もういい加減、私の周りくどーーいいいかたにも慣れた頃でしょうし、解説はいたしません」



 先ほどまでのフランクな、友人のような彼女はもうどこにもいなくて、ぼくはすこし寂しく思います。



 道の途中、黒いアスファルトが敷き詰められた道路に立つ管理人の彼女は夜のようでした。

 月明かりを遮るように立つ管理人の彼女の表情は、見えません。だけど。

 ぼくはその背中に言葉を投げつけました。子どもっぽいでしょうか?



「あんたは、見惚れていた者がどんな色に塗れても誇りなの」


「はい。面白いことをお教えいたしましょう。

 夢見草の幹の栄養分は現実。花は夢だと説明致しました。けれど、花開くことの条件は」



 一度、彼女はそこで言葉を区切りました。


 ぼくが条件は?と言おうとした時。管理人の彼女はぼくの腕を引っ張りました。

 彼女の瞳に鳩が豆を食ったような、間抜け面をしたぼくが映っています。

 そのまま、彼女は目を細めて



「花がさく条件は、咲うわらこと。

 現実だろうと夢だろうと幸せだって笑うこと。夢を嘲笑うんじゃなくて、幸せだって夢で、現実で笑うこと。

それに、正しいも悪いもないんですよ、これまでもこれからも」




 ああ、この気持ちをなんて言い表わそうか!



 泣きそうだ。もちろん嘲笑えない。なのに笑える気がしないから途方に暮れてしまいます。


 表せるとしたら、知ってる色、持ってる絵の具をぜんぶ混ぜて大きな真っ白のキャンパスに色を置こうするような。

 そんなワクワクと絶望と躊躇いと楽しさがあるように感じていました。


 ぼくのそんな破茶滅茶な気持ちを彼女は読み取ったのか、ふっと優しく唇の端を三日月のように緩ませました。



「本日は誠にありがとうございます。

 吉野さんの夢見草が満開に咲き誇るのを、心から楽しみにしております。どうかよい人生を」



 そう言って管理人の彼女は恭しくお辞儀をしてから、ぼくの前から去っていきました。

 夢のように消える訳ではなく、自分で背中を見せて。




 そのあと見上げた青は。


 色々なものの混じった不純物のような、でも美しい青色をしていました。




 そうしてぼくはようやく帰途に着きました。

 本当にあっけなく。





 それは、ある夏の始まったばかりの7月の宵ことです。

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