寝台列車の夢
寝台列車北斗星の定期運行が終了されることが発表された。
私は、この寝台列車には、ひと際思い入れがあった。
幼少の頃から乗ることがあり、今でも思い出せる記憶がたくさん残っていた。
そんなにたくさん乗れていたわけではないが、この列車のラストランは、ぜひ見送りたいと思っていた。
さっそく予約を取るぞ、そう思っていたが、切符販売開始の日につきつけられたのは非常な現実だった。
まったく取れなかった。
こればかりは、嘆いていてもしょうがない。
その場で切り替え、何とか直前の日に切符を取ることができた。
最後に乗れなくても、とにかく北斗星との最後の思い出がほしかった。
だから、これでも良いんだ。
そう思うと、気持ちが盛り上がってきた。
切符を見ながら、その日を心待ちにした。
そして、今日はいよいよ北斗星に乗る日だ。
ただ北斗星に乗るためだけに取った切符なので、着いてからどうするか全く考えていない。
とりあえず、今は目の前の北斗星のことだけを考える。
というか、もう北斗星のことしか考えられなかった。
ゆっくりと駅に入ってくる北斗星を見ながら、気持ちがこみあげてきた。
いやいや、ここで泣いてどうする。まだまだ旅はこれからだと言うのに。
私は首を振って、気を取り直して北斗星を見る。
停まって扉が開いた北斗星に、私は勢いこみそうになる足を何とか押さえながら乗り込んだ。
今回は、A寝台の一人用個室を取った。
せっかくの別れの儀なのだから、やはりここは個室だろう。
部屋に入り扉を閉めると、一気に一人の特別な空間が広がる気がした。
荷物を置き、ベッドに座って人心地つく。
列車は、ゆっくりと走り出した。
駅のホームが流れていく。
ホテルの部屋にいるようなのに、部屋が移動しているこの雰囲気がとても好きだった。
特別な旅が、これから始まる気がした。
正直、何回も乗ったことがあるので、景色は見慣れたものだった。
だんだん集中力も切れてきて、暇つぶしに持ってきた本を読んだり、動画を見たり、また食を楽しんだり、列車の中でできる様々なことをした。
どうせなら味わいつくしたいと、シャワーもしっかり浴びた。
さて、外も暗くなってきて、いよいよ見るものがなくなってきた。
さすがに暗くなると、外の明かりもそこまでない場所を走っていくので、ただ窓に映るのは真っ暗闇だけになる。
だが、何となく惜しくてカーテンは閉めなかった。
ただ、たまにある灯りが過ぎるのだけを眺めながら、買った酒の缶のプルトップをひねる。
プシュっと炭酸の空気が抜ける音がすると、もう気持ちはそちらへいった。
ぐいっと喉に流し込むと、爽やかなのどごしの次に、ほんのりとした体の火照りを感じた。
ふわふわとした良い気分になってきた。
駅で買った好きなつまみもいくつか置いて、今日は心の赴くままにいくのだ。
今はどの辺りを走っているのだろう、と思う頃には駅に着いていて、それで場所を知る。
大宮、宇都宮、郡山、福島、仙台……関東を離れて東北を駆け抜けていく。
ここまで来るのに四時間ほどかかっている。
新幹線なら、二時間弱で着ける場所だ。
だが、こうやって景色を目で追える速度で走っていくのが、また感じるところが出てくるというものだ。
ここまで来ると、眠気がだんだんと広がってきた。
ちらちらと見えていた灯りさえ、だんだんと見えなくなってきた。
そろそろアナウンスが入るだろうか。
青函トンネルなら一回入ったことがあるし、ほとんど真っ暗闇だから、寝るなら今だろうか。
そんなことを考えながら、だんだんと瞼が重くなってくるのを感じていた。
ざわざわとする声に目を開くと、私は雑踏の中にいた。
目線が妙に低い気がする。
「どうした? あまり離れちゃだめだぞ。おいで」
すると、すぐ隣で手を伸ばす人がいた。
父だった。
私は、すぐにその手を握った。
手を引かれて、行きかう人の中を歩いていく。
すぐ後ろにぴったりと寄り添う人の気配がして見ると、母が微笑んでいた。
あぁ、この場所を私は知っている。
小学生ぐらいの時に、両親に連れられて、初めて訪れた上野駅だ。
昔は、東京に鉄道で来て初めて降り立つ地は上野だった。
そして、その時見た上野駅の景色に憧れ、私は東京に移り住んだのだ。
改札を通って、階段を上り、電車を乗り継いでいく。
そこで見た東京の景色も、よく覚えている。
私は懐かしさに嬉しくなり、辺りをきょろきょろと見回していた。
だが、手を引かれて景色はどんどん過ぎ去っていく。
あぁ、そうだ。子どもの時は何もわからず、こうして過ぎゆく景色を見ていた。
そもそも、周りが人だらけで、景色すらもよく見えていなかったかもしれない。
でも、今ならあの場所の景色を見ることができる。
上野の駅は、変わったところもあるが、変わらないところもあった。
それがこの場所だ。
見覚えがあるから、私はこの景色が見えているんだ。
この景色を、また確かめることができて良かった。
充足した気持ちのまま、私は歩いた。
そういえば、この次はどこへ行っただろうか。
ふと気づいて、私は辺りを見回した。
そこは、先ほど入った自分がとった個室だった。
しばらく状況が飲み込めなかったが、今まで見ていた景色が夢だったのだとさとった。
少し寂しさを感じながら、今はどこだろうと窓の外を見た。
辺りは真っ暗だった。
時折、照明のような光が規則的に過ぎ去っていく。
それで、ここはトンネルの中だとわかった。
青函トンネルにちょうど入ったのだ。
目も冴えてしまったし、このまま起きていようか。
そう思い、私は体を起こしながら、夜のお供になりそうなものを探った。
酒とつまみ、あとは持ってきた本を出しながら、ふと思い当たった。
「もしかして、私のことを起こしてくれたのかな?」
小さく笑いながら、そう一人つぶやいた。
部屋の壁を、そっとなでた。
「……そうだな、せっかく会いに来たんだもんな」
心地良い電車の揺れを感じながら、私は背もたれに背中を預けた。
到着までは、まだ長い。
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