第10話 幼馴染として(2)

 この話は遙と莉子が付き合い始めたことを知ったあの日から、墓場まで持っていくと決めていたはずの話だ。ただ、この目の前のどうしようもないほど鈍く、それでいてこれ以上無いほど誠実なたった一人の親友には本音を語らずにはいられなかった。


『莉子が好きなんだ』


 幼稚園、年長の頃だったか俺は遙に打ち明けたことがある。当人はきっと全く覚えていない。その時は確か莉子が風邪で幼稚園を休んでいて、俺と遙の二人で園庭の砂場で砂遊びをしているところだった。今思えば俺はませた子供だったが、当時の俺からすればこの話を遙に話したのは一世一代の告白だった。


『僕も莉子ちゃんが好きだよ、ていうか山田くんも、幼稚園の先生もみんな大好きだ』


遙はツルツルに磨いた泥団子を嬉しそうに持ちながら俺にそう言った。これ以上ない程無邪気な笑顔だったことをいまだに覚えている。


(そういうことじゃないんだけどな)


当時5歳の俺のなけなしの勇気を振り絞った告白は、全くの空振りに終わった。

 小学校に上がると、周りのみんなにも少し男女意識がついてきた。男の子は男の子と、女の子は女の子で遊ぶことが増えた。俺と遙にも他に一緒に遊ぶ男友達ができたし、莉子も同様だった。小学校3年生までは俺たち3人は同じクラスだったが、4年生になると俺だけがクラスが別になった。それでも俺は遙に教科書を借りに行ったり体操服を借りに行ったりと、何かと理由をつけて莉子のいる教室に遊びに行った。5年生になると、俺は身長がぐんと伸びた。元々得意だったスポーツでは敵なしになった。小学生は運動ができれば、それだけで無敵だ。気がつくと俺は、クラスの輪の中心にいた。初めて女子に告白されたのもこの頃だ。その子はクラスでは一番可愛いと言われている女の子だったが、俺はその子とは付き合わなかった。クラスの他の女子からは散々責め立てられたり、男子からしつこく理由を聞かれたりするのに嫌気がさして、それ以降俺は人と付き合う時どこか外面を取り繕うようになった。そして、幼稚園の頃からの付き合いの莉子と遙だけが、俺にとって素の自分を出せる唯一の友達になった。

 5年生の夏休みのある日、俺が遙と莉子を遊びに誘おうと遙の家まで行くとお母さんが出てきて、夏期講習で今日はいないと言われた。仕方なく一人で莉子の家まで行くとこちらも同様だった。莉子と遙は私立の中学に行くための中学受験の勉強のために5年生になってから塾に通い始めていた。その日は慌てて家に帰った。両親にお願いして、俺も塾に行くことにした。


『山田も来たんだ、一緒に勉強しよー』


 初めて塾に行った日、自習室で勉強していた莉子が俺に気づいて言った。俺はたったその一言が何より嬉しかったことをいまだに覚えている。学校の成績は良かった俺だったが中学受験の勉強は学校の勉強とは違って難しかった。入ったばかりの頃は、ついていくのに必死だった。それでも俺は莉子の何気ないそのたった一言で頑張れた。そんな俺の状況に対して、遙は別格だった。3年生や4年生から通っている生徒もいるというのに、遙は算数も国語も理科もクラスで1番だった。しかも遙は教えるのも上手い。俺や莉子だけじゃなく、遙はクラスの色々なやつに勉強を教えていた。頭がいいやつと言うのは、思考が速いとかそういうものではなく、目の付け所がいいのだということを俺は遙から学んだ。ここでのクラスの輪の中心は俺ではなく遙だった。


『遙はすげーなー、4年生から通ってるやつとかもいるのにクラスで一位じゃん』


『いや、まあそんなに難しい問題じゃないし』


『今まさに、そのそんなに難しくない問題を解けてないのが俺だけどな』


『ごめんごめん、そういう意味じゃなくて、問題なんて解き方に気づくか気づかないかじゃん、ナゾナゾみたいなものだよ。できてもなんの自慢にもならないよ』


5年生の終わりのテストでクラス1位を取った時も遙はこう言った。思えば遙は昔からこういうやつだった。俺ならば、きっと大声で自慢してしまうようなことを遙は歯牙にも掛けない。遙には遙が見据える世界の価値観があることを俺は子供ながらに感じ取っていた。俺は昔から遙のこういうところが羨ましくて、憧れで、そして嫌いだった。遙が見ている世界は恐ろしく綺麗だ。きっと空も海も透き通っていて人間は誰もが支えあって幸せに暮らしている。けれど、俺はそんなに正しくはなれない。俺は莉子が遙に勉強を聞きにくることが羨ましかったし、俺には言わずに二人で塾に通い始めていたことが疎ましかった。それでも、俺にとって遙はやはり親友であり、目指すべき目標だった。あいつに勝ちたい一心で勉強に打ち込んだ。

 6年生になると算数だけは、遙に勝てるようになった。6年生の夏の模試で俺は初めて国語、算数、理科の3教科総合で遙に勝った。教室で結果が返された時、クラス1位の表記に嬉しくなって成績表を高く掲げた。


『よっしゃ1位!』


『え、山田?すごい!』


莉子が俺の成績表を覗き込んで言った。ますます得意げになった俺は遙に成績表を突きつけて言った。


『どうだ、勝った』


『すごいな、山田は元々学校の成績は良かったけど、こんなにすぐ抜かされるとは思わなかったよ、次の模試では僕も頑張るよ』


そう言って、遙は素直に俺を褒め称えた。けれど、俺が求めていたのはそんな答えではなかった。俺は遙に、できてもなんの自慢にもならないとそう言って欲しかった。けれど、ここでもあいつは正しかった。俺はすぐに1位の成績表をカバンにしまった。

 俺がクラスで1位になってからは、俺の元にも時々クラスメイトが勉強を聞きに来るようになった。けれど、莉子だけは相変わらず俺に聞きに来ることはなく遙に勉強を聞きに行っていた。自習室で莉子が遙に勉強を聞きに来るたび胸がいたんだ。俺は幼稚園の頃から誰よりも莉子を見てきた。だからこそ、俺は莉子の気持ちにいち早く気づいてしまった。俺は自習室の角で一人、黙々と勉強するようになった。そして、遙と話す莉子を俺は遠巻きに眺める日々が受験当日まで続いた。受験当日、莉子はインフルエンザにかかり、別室受験をしたが結果はダメで、俺と遙だけが志望校に行くことになった。莉子は滑り止めで別日に受験した女子校に行くことになった。俺はなんのために勉強していたのかわからなくなった。

 小学校の卒業式、クラスが解散し終わると俺はクラスの友達と写真も撮らずに莉子を探した。中学校は別々になってしまう、今日が莉子に想いを告げるラストチャンスだと思っていた。たとえ、莉子が遙のことが好きだったとしても俺は想いだけは知っていて欲しかった。俺は諦められなかったし、こっぴどく振られたいとすら思っていた。そんな矛盾した気持ちの中、小学校中を走り回った。莉子は校庭に飾られた卒業式の看板の前に遙と二人でいた。


『遙くん、好きです』


聞いてしまった。それは紛れもなく莉子の声だった。俺は本気の告白の空気に飲まれて俺は咄嗟に看板の裏に隠れてしまった。俺も莉子も考えることは一緒だった。


『ありがとう。僕も好きだよ』


今度の遙の「好き」は、かつてとは違って俺と同質の「好き」だった。俺はしばらく経ってから看板の裏から出て、遙と莉子と3人で卒業式の看板の前で写真を撮った。あのときの写真は今も家のどこかにあるだろうが、俺は一度も見たことがない。こうして俺の5歳から12歳まで続いた初恋は幕を閉じた。

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