1-8 それが世界のルール
彼女が笑っていた。
鼻歌でも歌い出しそうな楽しげな風情で、残酷なまでの微笑を顔に貼り付け、飛び出してくる様々なモノを身軽に避けては
踏み込んで一歩引き、二歩進んで右に左にと小さく跳ね、あるいはくるりと小さく回って体を躱し、実に小気味よくステップを踏んでいた。
緩急をつけ、タップを刻み、戸惑うさまなど微塵も無い。
時折、鉈の刃が蛍光灯の明かりを反射してぎらりと光る。
飛び散る体液すらひらひらと華麗に躱して、彼女のスカートが風になびく。
踊るように、舞うように、文字通りリズミカルなダンスと共にソレの解体に勤しんでいた。
足踏みに合わせて蔦のような跳ね具合の黒髪が踊ってい、まるでそれは彼女とは別の生き物のようにも見えた。その一挙一動ごとにアレの身体は寸断されて、ことごとく床に散らばる羽目になるのだ。
あまりに一方的、余りに隔絶している。これはもはや戦いなどではなくて、本当にただの作業だ。
やがて彼女が一足の間に入る頃、委員長だったモノはついに及び腰になりそのまま後ろに跳んで教室から逃げ出した。
いや、逃げ出そうとしたと言った方が正しかろう。
何しろ跳んだ瞬間に、腰の辺りから彼女に両断されてしまったからだ。
音を立てて二つの塊が床に転がり、どちらもが切り落とされた触手同様、じたばたと暴れていた。
彼女は蠢く上半身に歩み寄ると、何の躊躇もなくその中央部に鉈を振り下ろして、凄惨な
「怪我は無い、よね?」
体液で濡れた鉈を軽く振って払い腰の後ろに吊った鞘に納めると、彼女はそう口にして何事も無かったかのように歩み寄って来た。
あれほどくるくると激しく立ち回っていたというのに、息は乱れておらず汗の一筋もかいていない。
制服もまるきりまっさらで染み一つ見当たらなかった。
降りかかる体液の雨、うねる触手の狭間をくぐり抜けていたというのに。
どれだけタフなのかと思うと同時に、普段と何も変わらないその容姿とその物腰に舌を巻いた。
まるで授業の合間、休み時間に友人と交わす会話といった風情である。
ひょっとして萎縮している自分の方がおかしいのか、そんな不安に駆られるほどだ。
今の僕は冷や汗や脂汗でシャツはべたべたで息も絶え絶え。彼女に助けられて、ただ床にへたり込んでいただけだというのに。
何とも情けない有様だった。
「あ、ありがとう
「礼には及ばないわ。むしろあたしの方が謝らないといけないのだけれどもね」
どういうことかと訊く前に手を貸してくれて、座り込んでいた床から立ち上がった。
「一匹を始末して安心していたのだけれども、まさかもう一匹がその最中にすり替わって居たなんてね。
オマケに餌の体内に潜り込んで臭いまで誤魔化していただなんて。
まるで寄生蜂みたいなやり口。お陰で気付くのが遅れてしまった。
迂闊で済まない失態、出さなくてもいい被害を出してしまった」
「え、始末?被害が出るっていったい・・・・」
「きみは知らなくていいことよ」
「いやいや、もう僕は巻き込まれた当事者なんじゃないの?だったら知る権利があるでしょう。だって委員長に化けたバケモノに襲われてそれで・・・・」
「でもまぁ、きみは助かったのだからいいじゃない」
「そういう問題じゃ・・・・え、『きみは』?じゃあ他にも・・・・ま、さか此処に散らばっている腐肉ってひょっとして」
よもやという思いが無かった訳ではない。ただそれを信じたくはなかったというだけの話だ。
「深く考えない方がいいと思うけれど」
「邑﨑さん、色々と僕の知らないことを知っているんだよね。
委員長が端からあんなバケモノだった訳じゃないでしょう。
いま、すり替わったって言ったよね。じゃあ元の委員長は今どこ。
まさかとは思うけれど、七尾が居なくなったことも関係がある?知っているのなら教えてよ」
「そうね。話してあげても良いけれど、その前にすることがあるわね」
そう言うが早いかポケットから小さなペンケースのような容器を取り出すと、細いガラス製の鉛筆のようなものを取り出した。
それが注射器だと気付く前に彼女は僕の腕を取り針先を突き刺して、そのまま一気にクスリを注入してしまったのだ。
「そ、それってなに?」
狼狽して腕を引っ込めたが時既に遅し。彼女は注射器を再びケースの中に仕舞い込むところだった。
「ちょっとした予防薬よ。きみが禍々しい現実に惑わされず、平穏無事に学校生活を送れるようにする為のね」
「予防薬?」
「そうよ。事実を知ったからといってどうすることも出来ないのだし。
どうにかしようと頑張ってもらったらこっちが困っちゃうし。
悶々と自責を繰り返した所で何かが好転する訳でもないしね。
そしてお互いの平和の為でもあるわ」
「どういうこと」
「実はあなた、二度目なのよ。一度目はあたしが一匹目を始末した直後を目撃したの。でもあなたは何事もなく平和な学校生活を送っていた。それはコレで記憶をうやむやにしておいたお陰という訳」
そう言って見せてくれたゴツいリストウォッチには、不思議なパターンでチカチカと明滅するイルミネーションが在った。
「印象の薄い短期記憶程度なら封印できる、なんて
デコピンを憶えて居るみたいだったし、先程もあたしと確信している気配だったし。もう使わない方が良さそう。
でも二匹目まで関わる羽目になるだなんて、ついてないわね。
お陰で薬に頼らざるを得なくなってしまった」
「に、二度目?」
「質問に答えて欲しいと言ったわね。
たぶん、あなたの探している人たちはこの部屋の何処かに散らばっているわ。
つぶさに探せばそれらしきものは探し当てられるでしょうけれど、お薦めは出来ないわね。
きっと見つかるのは一部分だけで、間違いなく気分は最悪になるでしょう。
確認出来たところで誰かが幸せになるなんて、もっと有り得ない話だし」
彼女はこの場所を結界だと言った。
大した出来ではないが、臭いを封じ込め誰も此処に興味を持たないようにする効果があるのだという。
だからこの学校に出入りする全ての人間に、この惨状が気付かれることは先ず無いのだとも。
「まぁ虫除けと防臭剤がワンセットになったものと、そう考えて貰えれば一番適当かしら」
そう言って彼女は軽く肩を竦めてみせた。
「簡単に言えば、この学校はアレやアレに似た某かの餌場だったということよ。
そしてあたしは当局によって派遣された駆除担当員。
アレの解体とそれに汚された教室の掃除も含めてね。
まぁ、えげつない夜のために用意された女子高校生ってところかしら」
「駆除、掃除?そんな簡単な話じゃないでしょ。事件でしょ、警察を呼ばないとダメな出来事でしょ」
「無駄に世間を騒がしても意味が無いわ」
「意味無い訳ないでしょ。人が死んでるんだよ。そう言ったのは邑﨑さんじゃないか!」
「見落としがあったのは反省事項だけれども、むしろその責を負わねばならないのは上位組織。だから頭を抱えるのはあたしじゃ無いんだけれどもね」
「責任云々の話なんかしてないよ。黙っていて済まされる訳ないでしょ」
「コレに関してはもうどうしようもないの。訴えてももみ消されて終わり。
その当人を含めてあらゆる全てがね。亡くなってしまった人たちは残念だけども、何をどう騒ごうと死んだ人間は生き返りなどしない。
それが世界のルールよ」
「死んだ?」
「ええ」
「ホントに?」
「そうよ」
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