1-9 ボンヤリとした意識の向こう側から

「じゃあ委員長は、そして七尾は、もう居ない。もう帰って来ないということ?」


「残念だけれどもね」


「嘘だ!」


「嘘じゃ無いわ」


 間髪を入れぬ素っ気なさだった。

 もう少し戸惑うとかあってもいいんじゃないかと場違いな腹立たしさがあった。

 あっさり言い切って良いこととそうでないことが在るだろうと、どうしようもない憤りがあった。


「証拠は何も無いだろう。なんでそんな事を言い切れる。

 きみは此処のコレを全部確かめたのか。全部これをひっくり返して調べたのか。確認もせずにそんな事を言うなんて軽率なんじゃないのか」


「確かに此処はまだ手付かずね。でもこういう物は見つけているのよ」


 彼女が「デコピン」と呼ぶと一匹の猫がやって来た。

 口に鞄を咥えている。電源ボタンのような額の白斑が特徴的だった。

 この猫は見覚えがある、しかし何処で見知ったのかは思い出せなかった。

 出会うのはこれで何度目だろう、一度や二度ではなかったはず。そのはずなのに・・・・


 何だか頭が、芯の方から少しずつぼんやりとし始めていた。


 邑﨑さんは猫から鞄を受け取ると、中から幾つかのB5サイズほどのビニール袋を取り出した。

 どれも何かが入っていた。それは文庫本であったり名札であったり手帳であったりだ。


「心当たりは無いかしら」


 そう言って手渡された一つは生徒手帳で、茶褐色の染みで酷く汚れていたが委員長の名前が見て取れた。名札の方は七尾とあり一年生の色分けがされていた。

 文庫本のタイトルは同じく赤黒い染みで読めなくなっていたが、著者名はアーサー・C・クラークだった。


「委員長、桜ヶ丘桜子さんのご家族も七尾くんの所と同様全員行方知れずよ。名札と文庫本は同じ場所で見つかったわ。本も彼の物に間違いは無い?」


 僕はしばし言葉を失っていた。頭の中が真っ白だった。本を持つ手が震えていた。


 何度も何度も見返して、ビニール袋の上から手で撫でてひっくり返して確かめ直した。

 見間違いであって欲しい勘違いであって欲しい、そんな訳ないと信じたかった。


 しかし何も変わらなかった。名札はどう見ても「七尾」と書かれたままで、読み間違いでもなければ見間違いでも無かった。


 ヤツは突然学校に出て来なくなった。


 家を訪ねても家人は誰も居なかった。


 僕が送ったメッセはことごとく無視され、電話にも出やしない。

 ドレもコレも些細でつっけんどんで、単純に行き違いであったり相手の迂闊さで片付けられる出来事だ。


 でもこの膨れ上がる異様な不吉さはどういうコトなのか。


 彼女の話は抗しがたい妙な説得力があって、思わず納得してしまいそうになる。


 見て、手にして、確かめて、身を打つ直感は抗しがたかった。

 間違いないという想いにあらがえなかった。確信と言っても良い。


 息が荒いでいた。


 唇が戦慄わなないて止められなかった。


 認めちゃダメだ、首肯なんかしちゃダメだと奥歯を噛んだ。


 しかしソレのなんと儚い抵抗であることか。


「そんなことが、そんな莫迦なことがあって・・・・あって良いはず、ない」


 視界が潤み歪んでいたのはきっとこの部屋の酷い臭気のせいに違いない。声が震えていたのもきっとそうだ。


「でも、事実よ」


「違う!」


 僕は叫んでいた。


 きっと同姓同名の別人に違いない。

 血液型とかDNA鑑定だとか、本人を特定出来る方法はいくらだってあるだろう。

 それにこの血が七尾や委員長のものだとしても、本人が死んでいるって確かめられた訳じゃないだろう。人をそんなに簡単に居なくなったことにされてたまるものか。

 軽率だ、軽率過ぎる。

 デタラメ言うんじゃない。


 そう喚いてまくし立てた。


 ぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。声が震えて裏返っていた。

 みっともなかったけれども、どうしようもなかった。


「信じる信じないはきみに任せるわ。それよりも他に訊きたいことはない?」


「アレっていったいなんなの」


「それにはっきりと答えられるヒトは居ないわ。何せン百万年以上前に人類の元がこの星にやって来る、その遙か以前から住んでるホンモノの先住民族らしいから」


 そこでおどけたように片頬で笑む仕草が腹立たしかった。


「まぁ分かっているのはヒトとは比べものにならないくらい古い種族で、似て非なる異種族同士、億年単位でこの星の覇権を争っているモノどもってことくらいかしら」


「なんでそんなのが野放しになっているの」


「野放しというのは正確じゃないわね。

 むしろ彼らのテリトリーに入り込んでいるのはあたしらヒトの方なんだし。彼らのニッチを突いて、環境への適応と旺盛な繁殖力をもって繁栄してますって言う方が正しいのよ」


「繁殖、適応って、僕らは犬猫じゃない。人間だよ」


「人間だって動物でしょ。群れで生きる哺乳類、自分たちは特別だって勘違いしているだけの生き物よ」


「そんな言い方・・・・」


「彼らの住処に脇からお邪魔をしているのがあたし達なの。

 だからお互いに宥めすかし、しのぎを削り、互いを喰らい、時には協調して生きている、ただそれだけ。多少の犠牲には目を瞑らないとすり潰されてしまうのは人間の方よ」


「多少の犠牲?それは本気で言ってるの」


「憤慨する気持ちは良く判る。でもそれが長年の経験則から生まれた生き残る知恵というヤツなのよ。膨大な量の血を代償としてね。その辺りは割り切って納得してもらうしかないわね。

 まぁそれでも譲れない部分は在るから、あたしみたいな存在が必要なのだけれど」


「人は無力じゃない。銃や軍隊だってある・・・・みんなが協力すれば・・・・」


「同じ事を考えた連中は幾らでも居るわ。でも結果はいつも悲惨なものよ。

 彼らと表立って対立し、滅ぼされた国や民族は類挙に暇がないのだもの」


「・・・・」


「つい最近でも最新の軍備なら大丈夫と図に乗って、集団丸ごと粛正されてしまった阿呆が居るわ。何処の誰とは言わないけれど」


 まるでその目で見てきたかのような物言いだった。

 軽く肩を竦める仕草が、まるで聞き分けのない子供に諸手を挙げるかのようだった。

 上から目線の、大人の物言いが腹立たしかった。


 何か言い返したい。彼女の言葉を受け容れたくない。


 でも何も思いつかなかった。


 ただ口惜しくて唇を噛みしめるだけだった。


 荒唐無稽な話だというのに、反論出来ない異様な迫力に気圧されてしまったからだ。


「それはそうと、もうそろそろ時間切れ。良い頃合いにクスリが回って来ているのではなくて?」


邑﨑むらさきさん、僕は・・・・」


「恐らく一晩が一年でも議論がきる事は無いでしょうね。

 でもお互いそこまで時間にゆとりがある訳でもない。他にもやらなければならないことが山ほどあるし。

 だから此処で体験したり見聞きしたことは忘れてしまいなさい。そうすれば平穏な日常に戻れる」


 も、戻る。いつもの日常に?


 いや、でも、忘れちゃダメなんじゃないのか。苦しくても忘れちゃならないコトなんじゃ無いのか?


 七尾、それに委員長。そして、そして・・・・


「いいこと、きみは七尾くんや委員長、桜ヶ丘桜子さんなどという人物とは出会わなかった、最初から居なかった人達なの」


 ボンヤリとした意識の向こう側から、邑﨑さんの声が響いてきていた。

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