1-7 それらがびちびちと跳ね悶えて

 大きな破裂音と共に僕は突き飛ばされていた。


 だが転ばなかった。

 いや転ぶ前に、ぐいと力強く腕を引かれて、立ち止まらせてくれた誰かが居たお陰だった。

 しかしいったい何が起きたのかサッパリ判らない。

 状況がまったく掴めずたたらを踏んで、ただ、おろおろキョロキョロすることしか出来なかった。


「チャチな結界だこと。こんな子供のお遊びみたいな代物が、あたし相手に役に立つとでも?」


 すぐ真横で声が聞こえた。


 ウンザリしたような、或いは呆れて居るような。鼻先で笑って居るようなニュアンスが在った。

 まだ真っ暗で何も見えない。

 だが間違いなくコレは邑﨑むらさきキコカである。


 しかし何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 分かるのは声とシルエットと、微塵も揺るがぬ自信だけだった。


「佐村くん、トラウマになるかも知れないから目は瞑っておいた方が良いわ」


 その台詞が終わるか終わらないか。いきなり目の前が明るくなった。

 あまりに唐突だったので、目の前でフラッシュでも焚かれたかと思った。


 が、何と言うことは無い。ただ天井の電灯が点けられただけの話だった。


 眩しさに目を眇めて辺りを見回した。だが次の瞬間、見なければ良かったと思った。暗いままであった欲しかったと後悔した。

 此処はあまりにも酷い有様だったからだ。


 最初それが何なのか分からなかった。


 床一面に茶褐色の染みが無造作に塗りたくられていた。


 元が何だったのか判別も付かぬほどに引き裂かれ、千切られたカタマリがあちこちに転がっていた。


 赤黒くて生々しい色合いもちらほらと見て取れたから、恐らく生き物の死骸なのだろう。

 だがそれ以上の事は分からない。

 ただそれらが腐って、この猛烈な臭いを発しているのだろうという事は理解出来た。


 だがその程度だった。

 とてもではないが此処が自分の通っている学校、その一角とは到底思えなかった。


 そして目の前に居る、多分委員長であったのであろう異形の生き物の事もだ。


 それはもう人じゃ無かった。


 ジーンズやパーカーは確かに彼女が着ていた衣服であったが、首から上がまるで違う。エビだかカニだかよく分からない足みたいなモノが飛び出し、或いはぎざぎざのハサミだのイソギンチャクみたいな触手だのがデタラメに生えた悪趣味なオブジェ。


 今までボクが見たことが無い何かだった。


 何故かは分からないけれど、ソレの片腕が千切れていた。


 そしてそれを含めて、その姿は痛々しいというべきなのか、それともおぞましいというべきなのか。傷口から赤黒いドロドロとした体液が糸引き、床に滴るさまは見ていて気持ちのいいものじゃない。


「こ、この有様っていったい・・・・」


「あーあー、見ない方がいいって言ったのに。それはそうとそこな女生徒だったモノ、これだけのことやっといて只で帰れるとは思ってないよね」


「わたしの邪魔をしてふざけた物言い。只では済まないのはそっちでしょ」


 止めてくれと思った。触手の中央部がねちねちと蠢いて、出てきた声は委員長の声そのものだったからだ。


 次の瞬間、僕の視界は横殴りに吹っ飛んでひっくり返った。

 腰が力強い何かに締め付けられたまま振り回されて、両足が宙ぶらりんに浮いていた。


 自分の身体が邑﨑キコカに腰だめで抱え上げられていると知ったのは、大丈夫かと彼女に声を掛けられてからのことだった。

 慌てて周囲を見る。

 ここはさっきまで立って居た教室の入り口じゃない。教室の反対側の片隅だ。


 どうやら彼女は僕を抱えたまま、瞬時にここまで移動したらしい。


 一瞬のことで何が何だか分からなかった。

 けれど、どうやら彼女に助けられたようだ。何しろつい今し方までボクが居た場所には、何本もの触手だのハサミだのが突き立てられていたからだ。


 あのまま彼処に立って居たら、間違いなくアレで串刺しだった。


「佐村くん。お気に入りなのかもしれないけれど、その左腕にくっついてる手首は外した方がいいわね。腐ってきたら結構臭うわよ」


 言われて初めて自分の左腕を見て今度こそ絶句した。

 千切れた委員長の手が、今もボクの手首を握ったままだったからだ。


 そしてそこで初めて、どうやって彼女がこの教室に入って来たのかも知った。

 扉が吹っ飛んでいて大きな開口部が空いていたからだ。


「コレを片付けるからちょっと待っててね。なに大して時間は掛からない、すぐにお家へ帰れるわ」


 そう言って、にっと笑いかける彼女の顔には、手術の跡と思しき幾つもの縫合線が浮かび上がっていた。そしてボクを床に下ろすと相手に向き合い、「いらっしゃい」と言った。


「あんたみたいな雑魚じゃあちょっと物足りないけれど、まぁ遊んであげるわ」


 お気楽で面白がっている風情があった。それに挑発されて触手がのたうちうねった。全体が膨らみ上がって二回りは大きく見えた。ブルブルと震えて触手全体が震えている。


 唐突に、ぼんと何かが爆ぜたような低い音が聞えた。


 委員長だったモノが仰け反ってたたらを踏んでいる。

 多分ソレは叫び声を上げたかったに違いない。

 でも声は聞こえず、何も響いてはこなかった。代わりに聞こえたのはあの鈍い音だけ。

 よく見れば顔の中央に棒状の何かが生えていた。


 え、モップ?


 それはつい今し方まで邑﨑キコカの左手にあったモノだ。


 深々と突き刺さっていて先端が頭の反対側に跳び出していた。

 触手をモップに絡め、必死に抜こうとしているのだが抜くことが出来ず、ただ苦しげに身悶えしているだけだった。彼女が投げたモノに間違いない。


 だけどいつの間に。


 まるで見えなかった。僕はほんの真横に居たというのに。


「あたしの詰める学校で好き勝手やってくれちゃって。解体される覚悟はオーケィ?断末魔の準備は出来た?」


「ふばけぶな!」


 くぐもった声と共に飛びかかって来たのは、再び触手だのハサミだのだった。

 しかしそれはただ飛びかかっただけ。全て空中でバラバラになって散らばっていった。


 何故か。


 邑﨑キコカの右手に、大ぶりななたが握られていたからだ。


 しかしそれを鉈と言って良いのか?何しろ刃渡りで五、六〇センチは在りそうだった。

 むしろ刀と言った方が相応しい。いつの間に手にしていたのだろう。


 いや、きっと最初から持っていたに違いない。

 だからこそ飛び込んで来た時にアレの手首を切り落とせたのだ。

 委員長だったモノのパーカーはいま一度大きく膨らんで引き裂け、全身のあらゆる箇所から様々なソレが飛び出していた。人間の面影はもう腰から下しか残っていなかった。


 エグい光景だ。


 もういっその事全部変わって欲しい。


 なまじ中途半端にヒトの部分が残っているせいでグロさが際立つ。

 なんていやな現実なんだと思った。

 悪夢だったら目を覚ますことで、全てを無かったことに出来るのに。


 いや本当に、目の前で起きているコレは現実なのか?


 まるで出来の悪いB級ホラーを見ているような気分になるけれど、この猛烈な腐った臭いと、切り落とされる度に聞こえて来る叫び声は夢なんかじゃない。


 鞭の如き触手の繰り出される瞬間を目で追うことが出来ず、カマキリのカマよろしく跳び出してくるハサミは速過ぎてまるで判別出来なかった。


 だけど、どれ一つとして彼女には当たらなかった。

 むしろ攻め立てる度に鉈が振われ、触手だのハサミだのが失せていった。

 思わず見惚れるほどの見事な手並みだった。


 床の上に様々な先端が散らばっていった。

 千切れたトカゲの尻尾のように切り落とされたそれらがびちびちと跳ね悶えている。そしてその数はみるみる内に増してゆくのだ。

 正直気分の良い光景じゃあない。


 そして彼女とアレとの対決は、もはや植木の剪定のような様相を呈していた。

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