1-6 そして・・・・

 何処に向っているんだい、と訊いたら四階の第二音楽室という答えがあった。

 確か其処はもう使われていなくて、不要になった机だの椅子だのが押し込まれていたのではなかったか。僕の記憶が確かならばの話だけれども。


「誰も使っていないからこそ、誰かが入り込んだり、怪しいことをしていたりするのではなくて?」


「そうかも知れないけれど」


 委員長は確信めいた足取りで進んでゆく。

 迷いや躊躇いなど微塵も感じられなかった。


 ひょっとして既に何かを知っているんじゃないのか。

 予測や憶測などではなく、確たる目的があってそれに向っているのではないのか。

 或いは何かしたい事があるのだが、一人ではどうにも出来ず、手伝いが欲しくて僕を誘ったのかもしれない。


 そう考えると色々としっくりくる。でもそれなら最初から言ってくれればいいのに。

 女子の頼みを無下にするほど無粋じゃないつもりだ。

 それとも前もって頼んだら断られるとでも思われたのだろうか。


 色々と考えている内に目的の場所に着いた。

 委員長は一番階段に近い方の入り口を素通りして、もう一つの方、教室の後ろ側の入り口へと歩いていった。ひょっとして、と思って近い方の入り口を開けようとしてみたのだが、予想通り鍵がかかっていて開かない。


「やっぱり此処に来たのは初めてではないんだね。そして夜、校舎に忍び込んだのも今夜が最初って訳でもないんでしょ」


 階段から遠い方の入り口を少し開けたところで、彼女は手を止めてじっとこちらを見ていた。


「違うと言ったら、君は帰っちゃうのかしら」


「帰りはしないよ。でも何故黙っていたのかなって思っている」


「昼間、皆が居る前では言わない方がいいと思って」


「そっか。それとさっきからずっと気になって居たんだけれど、そのベースボールキャップって委員長のもの?着ている灰色のパーカーも」


「何故急にそんなことを訊くの」


「以前、その格好とよく似た人影を学校の近くで見かけた事があったから」


 そしてその人物は尋常ならざる脚力で、軽々とあの高い塀を跳び越えていった。


「どちらも弟から借りたのよ。窓から出入りするのに髪が邪魔になっちゃうでしょう」


 まぁ確かにそうだろうね。


「其処に何が在るの?」


「いらっしゃい、見れば分かるわ」


 そう言って彼女は手招きをした。


 細くて綺麗な手首がゆっくりと揺れている。それがやけに白くて艶めかしかった。


 招かれて、一歩踏み出そうとしたその時である。


「おっと少年、彼女のお誘いには乗らない方がイイわ」


 廊下のずっと奥、消し炭よりも真っ黒な暗がりの更に深い場所から、場違いなまでに良く通る声が響いてきた。




 窓から漏れ入る蒼い光の中へ、漆黒の中から一つの人影が出てきた。

 それはただ歩み寄って来ただけなのだが、まるで音も無く、気配すら無く、明かりも届かぬ深い闇の中から染みだしてきたかのような印象があった。


 つたを思わせる酷くうねった黒髪が揺れている。


 邑﨑むらさきキコカだ。


 意外だとは思わない。

 むしろそうであろうなという確信と、予想が的中した奇妙な安堵とがあった。


「佐村くんだったっけ。悪い事は言わないから今すぐ此処で回れ右して、お家に帰ることをお薦めするわ」


「駄目よ、彼女の口車に乗せられないで。此処にあなたには見られたくないモノがあるから、あんな事を言って遠ざけようとしているのよ」


「よく言うわね。見られたくないモノが在るのはあなたの方じゃなくて?」


 邑﨑さんの左手には何故かモップが握られていた。

 時折ぽたぽたと滴が垂れて、廊下の床を濡らしている。どうやら今し方まで使っていたらしい。


「あんたらが汚した後を掃除するのって大変なのよ。大概にしてくれる?しかもあたしの目の前でお代わりをしようだなんて、図々しいにも程があるわ」


「耳を貸さないで、早くこっちに来て」


 手を伸ばした委員長は思いの他に素早く、そして力強かった。

 強引に手首を掴まれて、そのままあっという間に今は使われていない教室の中へ、有無を言わさず引きずり込まれてしまったのである。


 そして廊下に残るのはモップを肩に担いだ女生徒が一人残された。


「やれやれ、困ったもんだわ」


 ウンザリしたような苦笑が在った。


 そして勿論、二人がその言葉を耳にすることはなかった。




 力任せに引きずり込まれると、叩き付けるような勢いで戸が閉められた。

 まるで外から来るモノを全て拒むかのような勢いだ。


 締め切られ閉ざされた途端、ボクはむせ返るような異臭と生臭さに、思わず鼻と口元を覆った。


 な、なにこの臭い


 鼻腔を直に炙り、脳天に突き抜けるかのような悪臭だ。

 むせ返って思わずたたらを踏んだ。


 明らかな腐臭だった。

 鼻っ面を横殴りにされたのではないかと思える程の、暴力的なまでの猛臭だった。


 臭いがキツ過ぎて頭がくらくらした。声を出すことすら憚られ涙すら滲んできた。

 吐き気を催すどころの話ではない。胃液が逆流するのを堪えるのが精一杯だった。


 明かりが無くて、目隠しされたのではと思える程の暗がりだった。

 だが、窓から入ってくる星明かりだの路地に立つ街灯から微かに差し込む明かりだの、そういったぼんやりとした光のお陰で、隣に居る委員長のシルエットくらいは見て取ることが出来た。


 しかし、この教室の中がどんな状況なのかがさっぱり分からない。


 電灯のスイッチは何処かと手探りで壁を撫でるのだが、「見ない方がいいわ」と彼女は小声で囁く。


「僕に、その何かを見せる為に此処へ呼んだんじゃないのか」


 むせながら声を絞り出した。


「きみのことを思っての事よ。ショックを受けずに済むのなら、それに越した事はないからよ」


「委員長、何を言って?」


 ボクの問い返しに返事は無くて、その替わりに手首を握る力に圧が増した。

 とても一介の女子とは思えない剛力で思わず呻き、更にぐいと引き寄せられた。

 ぐちゃりと何か濡れた肉を持ち上げるような異様な音と共に、委員長のシルエットが変貌を遂げた。


 暗がりの中でも窓からの微かな明かりが逆光になっている。

 タコかイソギンチャクのような触手が手を開くかのように拡がってゆく様が見えた。

 それがゆっくりとボクの顔目指して覆い被さってくるのだ。

 ぱたぱたと何かの滴が頬に落ちてきた。

 酷く生臭い吐息が顔に吹きかかる。


 そして・・・・

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