第一話 邑﨑キコカ(その三)

 入学してから一週間が過ぎた。

 ぎこちなさはまだ仄かに残っていたりするけれど、莫迦話をするクラスメイトも少しずつ増えている。少なくともボクの周囲は順調に友好関係を築いていると言っていい。

 特に女子などはそれが顕著で、相応に仲の良い者同士のグループがあちこちに出来上っていた。休憩時間などわいわいきゃあきゃあと実に賑やかだ。こういう所は中学と大して変わらないなと妙な感心をしたりする。だからそんな集団に混じりもせず、ぽつんと取り残された女子は逆に目立っていたりもした。

「何時も独りだな」

 昼休み、学食には行かず購買部の焼きそばパンとハムサンドで済ませる七尾は、豆乳を飲みながらそう呟いていた。

「誰が」

「彼女だよ」

 軽く顎をしゃくる先には一人の女子が居た。つやつやの黒髪だけど酷いくせっ毛で、それを背中に少し掛かる程度にまで伸ばしている。

 邑﨑キコカだった。

 入学式のあった初日にその変わった響きの名前と、「カタカナでキコカです。以上」などとかなりぞんざいな自己紹介して終わった女生徒だ。その印象がやたら強くて顔と名前は良く憶えていた。昼食を終えたのか、彼女は机の上に頬杖を着いてぼんやりと外の風景を眺めている。

「彼女みたいなのがタイプ?」

「いや全く全然。ミステリアスな雰囲気にはちょっとクるが、お近づきに為りたいとしても『謎の転校生』的な展開を期待しての事だな」

「ああそっち方面」

 そういう展開はそうそう無いんじゃないかな、と返してタラコおにぎりの最後の一口を頬張った。

「いやいや日常のふとした隙間にこそ『少し不思議』は潜んでいるモノなんだよ、うん」

「SFはサイエンスフィクションの頭文字じゃなかったのかい」

「人間、寛容さが大切だと常々心がけているからな」

 ただ節操が無いだけなんじゃないかとも思ったが、いちいち突っ込むのもアレなので黙っておいた。それで誰かが迷惑を被る訳でもないのだし。

 七尾と付き合うようになって然程日数は経っていないのだが、その僅かな期間にソッチ方面の知識は随分と増えた。頼みもしないのにちょくちょく会話に差し挟んでくるせいだ。

 お陰でこれまでの人生で聞きかじった無意味領域のトリビアを容易く凌駕し、著名な作家の名前はもう何人も憶え込んでしまった。今やボクの頭の中には、学業や日常生活には毛ほども役に立たない謎ウンチクが着実に蓄積しつつある。

 しかしまぁ確かに、邑﨑キコカがクラスの中で異彩を放っているのは確かだ。正直、彼女が誰か他のクラスメイトと話の輪に入っているのを見たことが無い。

 会話をしない訳じゃない。必要最低限の事だけ喋って、趣味だの世間話だのといった話題となると「用事は終わり?」と訊ね返してそれで会話が終了となるだけだ。

 最初は興味を持った女子何人かが話し掛けに行った様だが、今ではそんな風景も無くなってしまった。

 男子もまた同様。何処かチャラい雰囲気を醸しだし、女子とも頻繁に浮ついたコミュニケーションを交わしている増田というヤツが居るが、そいつも二、三回アプローチをかけたもの上手くは行かず、少し会話を交わして後は放置されるという場面を見たことがある。

 のれんに腕押しというか何というか、彼女は積極的に他者と関わり合いを持とうとはしていなかった。だから個性的なクラスメイトだと思っていても、自分が彼女と関わり合いになることは先ずあるまいと考えていた。

「気になるんなら話しかけてみればいいじゃないか」

「俺がか?」

「他に誰が居るんだよ」

 何といって話しかければ良いか判らんというので、アーサー・C・クラークの作風はどう思うか、ディックの斜に構えたスタンスはどうかと振ってみれば良いと言ってやった。

「おお、成る程」

 七尾はそう言って手をぽんと打つと、早速とばかりに席を立ち彼女に向けて歩いて行った。

 その足取りは実に軽やかに見えた。何だか嬉々としているようにすら見受けられる。冗談で言ったつもりだったのに本気にされたのは予想外。そしてあの積極性はちょっと見習いたいとも思った。

 でもだからといって、そんなノリやその話題で女の子に声を掛けたくはない。

 しかも昼休みの教室で衆人環視の只中、顔馴染みのクラスメイトに対してだ。ナンパにしたってもうちょっとやりようってモノがあるだろう。

 やったことは無いけれど。

「ハイ邑﨑さんご機嫌如何。アーサー・C・クラークって作家知ってるかい。ちょっとイカすSF書いてる御仁なんだけどさぁ」

 どこかで見たチャラい野郎のような口調で一般人には理解しがたい話題を振ってゆく。ひょっとすると勇者なのかもしれない。ちょっとだけ感嘆した。

 尊敬なんてしないけれど。

 邑﨑さんは眉間にしわを寄せ、いかがわしげにヤツ見上げていた。その気持ちはとてもよく分る。ボクも同じ立場だったら同じリアクションだったんじゃないかな。そして七尾は彼女のそんな様子をものともせず、身振り手振りを交え延々と語り続けている。その度胸も大したものだ。

 真似したいとも思わないけれど。

 そして長々としたご高説の後に、何やら少し会話らしきモノが交わされていたようだった。けれど、程なくして苦笑と共に帰って来た。

「いやぁ。SF作家の名前が分からないってのは兎も角、量子ジャンプや事象の地平が理解出来てないってのは無いわ」

「うん、多分それは普通の人の反応だと思う」

「おまっ、そりゃ違うだろ。おかしいのはアッチ。一般常識からズレてる」

 それはお前が言うコトじゃない、邑﨑さんの台詞だ。

 愕然とするヤツのことは置いといて,気になったのは彼女が半眼のまま微動だにせずじっとこちらを伺っている事だ。言っちゃ悪いけれどちょっと怖い。元々彼女の目付きって鋭いし。

 まぁ、なんだコイツ等って感じなんだろうな。

 気持ちは分かるが、ボクも七尾と同類と思われたのは少なからず不本意であった。


 終業のチャイムが鳴った。

 ボクもヤツも帰宅部だ。だから終わりのホームルームが終わればそのまま教室を出て、そのまま下駄箱の脇でダベるのは何時もの風景だった。

 あのやる気の無い担任は言う。部活動をやっておけば、或いはひょっとして将来の布石となったり、或いはたぶん人間修養云々でなかなか良い結果が出ると言われているらしい、と。

 聞きかじりでこの教師自身の意見でも無さそうだが、延々と、さももっともらしく語る様子は実に得意げに見えた。

 ホームルームでそんな訳の分からない講釈を垂れていたが、こちとら其処まで忠実に従う謂われはない。言っている当の本人ですら、その言葉を何処まで本気にしているか甚だ怪しいというのに、そんな説得力の無いご高説をいったい誰が信じるというのか。

 ホントは喫茶店かハンバーガーショップでダベっていたかった。或いは、ネットの古本販売で見つからなかったSF本を、町の本屋まで足を伸ばして物色するも悪くはない。でも軍資金が心許なければどうにもならなかった。

 コンビニの駐車場でも似たようなものだが、昨今は暇を持て余した教師が見回ってきたりするので油断が為らなかった。コンビニ周囲の民家から「みっともない」などと学校へ苦情が来たりするらしい。世知辛い世の中だ。

 帰宅が早過ぎれば聞きたくも無い親の小言をその分多めに聞くハメになるのだし、夕飯ギリギリの時間まで粘っておきたい。最近は姉さんまでボクにお小言を言う魅力にとりつかれている。いったいどういうコトなんだろ。

 そんなこんなの理由で、日が高いうちはあんまり家に長居したくなかった。

 しょうがないので近頃は、よくこうやって校内の教師の目が届きにくい場所に腰を落ち着け、スマホを弄りつつ、ぐだぐだとどうでもいい話をしながら時間を潰すのが常だった。

 下校のピークを過ぎれば、下駄箱周辺は人気も無くなるうえに風通しも良かった。このところ気温が高い日が多いし、意外な穴場と言って良い。何故だか知らないけれどパイプ椅子まであるし。

 ホントは南棟と北棟の間にある中庭がベンチも在ってベストなポジションなのだが、残念ながら上級生のたまり場になっている。故に一年生風情はこの周辺が精々だった。

「いったい何をしたかったんだよ」

 ボクは七尾に訊いていた。勿論昼休みでの一件をだ。

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