第一話 邑﨑キコカ(その二)

 何をしてるんだろう。

 帽子を被ってはいるものの、ラフな服装で細身だったから女生徒のように見えた。こちらからはちょうど街灯の光の届かない所に立っている。お陰で横顔も判然としない。だから小柄な男子かもしれなかったし、或いは中学生かもしれなかった。

 顔は見えないというのに、何故かその立ち姿は妙な存在感があった。モノクロ写真のフォルダの中に、一枚だけカラー写真を見つけたときのような感覚、と言えば近いかも知れない。

 細く狭い路地とはいえ、ここは天下の公道。立ち尽くしている人物の隣をすれ違おうと何の不都合もない、はず。

 だが何故だか、このまま踵を返して引き返した方が良いような気がした。出会ってはいけないモノに出会したような、そんな奇妙で不安定な気持ちが込み上げてきたからだ。

 そしてかの人物はちらりと左右を見回した。まるで人気が無いことを確かめるかのように。

 見回した際に相手の顔がこちらを向いて、間違いなく見られたと思った。だが気付いた様子がまるで無い。どうやらあのヒトからこちらが見えていないらしい。ふと傍らを見上げれば、ボクは街灯の脇に潜む影の中に立っている。街灯の眩しさに幻惑されているようで、そういうことかと合点がついた。

 人気が無いと確信すると人影は上を見上げた。軽く膝を曲げ、腰を少し落とすとそのままぽんとジャンプした。身体は軽々と宙を舞い、あっさりと塀を跳び越えた。そして音も無く学校の敷地の中に消えてしまったのである。

 えっ?

 思わず声にならない声を漏らした。

 彼の人物が飛んだ場所に歩み寄って、塀のてっぺんにバンザイをする格好で両手を伸ばした。少し背伸びをしたにも拘わらず、ボクの指先はその一番上に触れる事も出来なかった。ボクの身長は一七〇センチとちょっと。だからこの塀は優に二メートルを超えている。

 助走も何も無く、ほぼ垂直跳びでこの高さを?

 ボクは口をぽかんと半開きにしたまま塀の頂上を眺めていた。

 塀と一緒に見上げる空模様は相変わらずぼんやりとしていて、今ひとつはっきりしなかった。何処かで猫がにゃーと鳴く声が聞こえたがそれだけだ。いまこの目で見たはずの出来事が、何だかとても非現実的で嘘っぽかった。

 何かの見間違いだったのかな。

 そうだと思えばそんな気もするが、だったら驚いているこの気持ちも勘違いってことになる。

 辺りは人通りは何も無いし、物音らしい物音も無く、ボクはただぽつんと突っ立っているだけだった。


 担任となる教師に「君堂律夫」と軽く呼ばれてボクは軽く返事をし、軽く自己紹介をした後に軽く席に着いた。

 入学して初めてのホームルームは、どうでもいい校内行事と、どうでもいい校則を、どうでもいい感じの担任がどうでも良さそうに説明をした。後は教科書を受け取ってそれで今日の日程は全て終了。帰宅して良いコトになった。

 何だか、まるでやる気というものを感じない学校と感ずるのは、果たしてボクの気のせいなんだろうか。

 クラスの員数は三二から三三名。一学年のクラス数は五クラスだから学校の生徒数は五百名足らず。余り大きくない規模の学校だなとは思っていたが、実際に数を説明され、こうしてその一員になってみると本当に小規模な学校だと思う。担任の説明だと、この地区は中学校の数よりも高校の数が多いのだそうだ。設立当初は、生徒の規模も現在の倍を擁する学校だったらしい。でも少子化の折、縮小に縮小を重ねて現在の規模になったのだという。

 しかしその辺りの説明は兎も角、教師の赴任先の減少と赴任の困難さその他、延々小一時間にも渡って説明されるのは正直うんざりする。

「先生。それは本当に生徒にとって必要な情報なのでしょうか?」

 焦れて苦痛になった頃、一人の女子が手を上げてそう質問した。頷く者も何人か居た。全く以てボクも同意見。しかし「目上の者の話は黙って聞くもんだ」と軽くあしらわれた。だがどう贔屓目に見ても、ただの愚痴にしか聞こえない。ひょっとしてこの学校の教師は皆こんな感じなんだろうか。

 不安と期待を胸に意気揚々、とまではいかなくても相応に新しい環境へのドキドキ感と、真新しい制服のパリパリ感とが合わさって、少なからぬ高揚感があった。だというのに何という肩すかし。台無しである。

 ハズレなのはこの担任だけで、他は皆マトモな教師であって欲しい。学校全体がこんな無気力人間の巣窟だとしたら、明日から不登校になってしまいそうだ。

 しかしそれでも、新品の教科書を受け取るのは悪くない気分だった。指先が切れそうな程の真っさらなページの感触。つんと鼻をくすぐる製本されたばかりの本の匂い。それらを確かめながら、これもまた新しくて馴染みの出てない鞄の硬さと格闘しつつ、全ての雑事を終えてみるとちょっとした達成感があった。

「なぁ、確か君堂くんと言ったよな?」

 真後ろの席の生徒に声を掛けられて振り返ると、白い歯を見せて笑う男子が居る。

「名前、間違ってないか。合ってるかい?」

 合ってる、と言ったら非田七尾だとヤツは名乗った。両親がソッチ方面のファンで、自分もその影響を受けてそうなったのだと言う。自分の名前もその方面で有名なキャラクターにあやかったのだそうだ。

「おかげで両親の影響モロ受けの人生さ。名字も珍しいが名前も珍しいだろ、名字っぽくて。七尾と呼んでくれると俺は嬉しいな」

「じゃあボクも律夫って呼び捨てでイイよ。ちなみにソッチ方面って何?」

「うーん、まぁUFOだの超能力だの地球空洞説だのの方面」

「オカルト?」

「いや空想科学の方だ」

「アニメとか」

「それはちょっと別物。嗜んでいるのは小説だよ。ハード系とかソフト系とか、その辺りにこだわりは無いが空想科学小説は空想科学小説だ。漫画ともチト違う。ここ大事な所だからなテストに出る」

「そうかテストに出るんだ」

「重要確認事項だぞ」

 ともあれ、その日の内に友人が出来たのは大きな収穫だった。やる気の無い担任は脇に置いておくことにして、ボクはなかなか幸先の良いスタートを切ることが出来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る