えげつない夜のために 第一話 邑﨑キコカ

九木十郎

第一話 邑﨑キコカ(その一)

 夜空を見上げても月は見えなかった。

 雲の多いけぶった空模様のせいで、ぽつりぽつりと明るい一等星が見える程度だ。他の星は街灯や周囲の家から洩れてくる明かりが邪魔をして見えなかった。時間は二〇時を少し回ったくらいだろうか。

 面白いテレビはなく、ネットのめぼしいブログや直近の面白ニュース、インスタなども徘徊し尽くし、飽きたコンテンツはどれもしょうもなく、良さげな動画もない。学校の課題と呼べるモノすら無くて、正直暇を持て余していた。お陰でボクはいま、こうして一人とぼとぼと夜の路地を散歩しているのである。

 普段だったらまず間違いなくこんな無駄な事はしない。何しろ休日の夜という極めて静謐、かつ奔放な時間帯だ。読みかけの漫画だってまだ残っているし、見たいDVDのソフトも何本かレンタルしたままになって、デッキプレーヤーの脇に置きっぱになっている。朝から晩までスマホ浸けで使い過ぎ、ギガ数が心許なくなったので、わざわざ期限の切れた会員証を再更新してまで借りたヤツだった。

 だがまるで見る気が起きなかった。なまじ何時でも見ることが出来るという安心感のせいで、何かこう切羽詰まった感がなかった。正直張り合いがないのだ。

 ああそう言えば、返却日は何時だったっけ。

 明日だったろうか、それとも明後日だったろうか。

 借りたときには見たいと思って借りた筈なのに、家に着いたら何だかそんな気が失せ、そのままになっていた。折角レンタルしたのだ。見なかったら只の無駄遣いである。

 でも昨日、姉さんがボクに無断で見ていたな。だったらまるきりの無駄と言う訳でも無いかもしれない。

 いやいや待て待て、そういう問題じゃないだろう。アレはボクがボクの小遣いで借りた物なのだ。その本人が見ないでどうするよ。

 高校受験を終えて第一志望校は駄目だったけれど、取り敢えず滑り止めにも受かって卒業式も終えた。現在は三年生の特権とも言える、ちょっとだけ長い春休みのまっただ中だった。高校生活への期待や不安はあるけれど、取り敢えず自由万歳といった今日この頃。

 目覚ましかけて早起きする必要もないし、夜明けまで夜更かししても無問題ノープロブレム。心配なんて微塵も要らない。

 昼まで寝坊してもご意見無用。ビデオは見放題、ネットはし放題。小遣いの続く限り街で買い食いし、ハメ外して遊び呆けても何の遠慮も要りはしない。勉強しろとせっつかれる心配も無いし、仮に文句を言われても「何をすればいいんだい」と切り返せばソレで終いだ。学校が始まるまで、ただ一途にぐーたらしてればそれで済むのである。

 嗚呼、なんてお気楽でシアワセな毎日。

 春休みが始まった最初の数日、こんな日々が永遠に続けば良いのにとか思っていた。

 だというのに今のやる気の無さは何なのか。何故ボクはかくも盛大に、この貴重な時間を浪費しているのだろう。

 これもまた一つの贅沢である、などと見栄を切ってみても良いけれど、間違いなくそれは空しい虚勢、ただの強がりだ。

 根性入れて遊び回っていたのは最初の四、五日くらいのものだった。目新しいこと、やってみたかったコトはあっと言う間にやり尽くし、いまはもう何をすれば良いのか皆目見当も着かなかった。暇を持て余し、ただダラダラと過ごしている。「やることが無い」と愚痴をこぼしたら、姉さんから鼻で笑われた。

「チャレンジ精神が希薄で消極的だからよ。積み上げたモノが圧倒的に不足しているからよ。だから発想が貧困で色んなモノがすぐ底を着くの。薄っぺらいわねぇ」

 無遠慮にケラケラと笑う姿は腹が立ったが、咄嗟に返す言葉が思いつけなくて、それが尚更腹立たしかった。

 そうやって歯噛みしつつも、確実に時間だけは過ぎてゆく。ただただ漫然と、退屈に浸かるだけの毎日だ。お世辞にも充実しているとは言えない。

 ふと思い出すのは、中学生活最後の登校日のことだ。我が担任に脇腹を肘で軽くつつかれて、「卒業記念だ。折角だから最後の課題を与えてやろうか」などとほくそ笑まれた。即座にノーサンキューと言ったが、しかし、今となってはどんな内容だったのかなと割と気になっている。

 成績はもう出尽くしているのだから、白紙で出したとしても文句は無かろう。あのへそ曲がり教師の事だ。マトモなモノでないのは確実で、暇潰しや話のネタにくらいにはなったのかもしれない。

 惜しかったかな。ちょっとしくじった様な気もする。

 フラフラと歩いている内に、交差点の向こう側に背の高いフェンスが見えてきた。ボクが通うことになってしまった西高校だ。

 自宅から徒歩一〇分程度の所にあるものだから、この敷地に沿ったフェンスも、それに連なる中途半端な高さの塀も、その向こう側にそびえる建屋も、それこそ見飽きるほどによく知っていた。母などは近くて良かった、通学用に自転車を買い換える必要も無くなったと喜んでいた。息子が第一志望に入れなかったというのに、薄情な親である。

 流石に敷地の中に入った事は無いが、外から見える光景は呆れるくらいに見知っていて、それ故に新鮮味というものが無かった。折角受験などという人生初のカンナンシンクを乗り越えたのだから、相応の達成感が欲しかった。

 中学受験というものも有るのだぞと、件の担任から釘を刺された事もあったけれど、しないで済む苦労なら無い方が良いに決まってる。逆に有るのならば、乗り越えた果てにご褒美があっても宜しかろうと思うのだ。

 大体なんでこんな見慣れた場所に入る為に、あんな苦労しなきゃならなかったんだろう。

 不条理だと思った。

 それとも一見退屈平凡でも、その実ボクの見知らぬ未体験の別世界が拡がっているのだろうか?誰も知り得ないアナザー・ワールドってヤツだ。

 それならばまだ納得がいく。イヤな性格の人間や、はた迷惑な集団に纏わり付かれるのは勘弁だが、心躍る、めくるめく新鮮な体験が出来るのならば文句は無かった。

 でも出入りしている高校生達を見る限り、そんな劇的な何某かが起きているようには見えなかった。まぁそりゃそうか。そんな驚天動地、アトラクション的な日常なんてアニメかマンガ、映画の中にしか在り得ない。

 それでも仄かな期待はあった。

 中学校入学したての頃はみんな小学生臭さが抜けず、ちまちまとした「ちょっと大きめの子供」だった。今の中坊一年生を見ればよく分かる。以前は自分達もあんなだったのかなとちょっとしたノスタルジィがあった。

 だが三年の間に身長も相応に伸び、色々なコトと憶え、色々なモノが色々と変わった。長かったような気もするが、終わってしまえば一瞬で、それでも様々な出来事がぎゅうぎゅうに詰まった月日だった。

 似たような出来事がこの学校でも起きるのだろうか。

 それとももっと濃厚で、様々な出来事が待っている場所なのだろうか。そして此処に通う生徒は、中学生以上高校生未満の自分からすれば別次元の人種。見るからに大人びた雰囲気の男子女子なのである。羨望が無いと云えば嘘に為った。

 何も考えずに歩いていると、足は自然と学校の周囲をくるっと回るように進んでいた。野球用のグラウンドがあるせいだろうか、中学校の敷地よりも一回り大きい。

 そう言えば、テニスコートなんてものも在るんだな。

 改めてしげしげと眺めていると、色々と気付かなかった箇所がアチコチにある。見知っているつもりでてんで分かってなかった。そんな妙な感心をしながら歩いていると、路地にぽつんと人影が見えて足を止めた。

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