第一話 邑﨑キコカ(その四)
そもそも何故彼女が一人で居るのか。それが気になって話し掛けたのであろうに、思っていた返事では無かったので、はいさようなら、では意味が分からない。振った話題が駄目だったのなら、天気の話とか当たり障りの無い世間話でも良かったろう。まだ下心丸出しで話し掛けていた増田の方が納得いく。
「何というかだな、歯車がかみ合わないというか音楽性の違いというか。話の出だしから食いつき無いなと分かっていたけれど、思わずアクセル全開で走ってみたいとか、そんな感じだ」
「そんなに気になるんだったら、別の話題を用意してもう一度アタックすればいいじゃない」
「それじゃまるで俺がナンパしてるみたいじゃないか」
「違うのかい」
「違ぇよ、俺は邑﨑キコカが何者なのか知りたいってだけだ」
「普通の女子だろ、ちょっと変わってるけれど。それに好意を持っている訳でも無いのに、興味本位で相手の事を知りたがるというのはあんまり感心出来ないな」
「何言ってるんだよ。過去を改変するためにやって来た未来人だったり、宇宙人が潜入調査の為に化けて潜り込んでいたりしたらどうするんだよ」
「少子化で先細りして見通し暗いこんなしょんぼりな地方の学校に、何の改変や調査だよ。そんな阿呆な誤魔化しじゃなくてちゃんと理由を言え。覗き見が趣味って訳でもなかろうに」
「実は一昨日、ちょっと見ちまったんだよ。邑﨑キコカが真夜中の学校に忍び込むのを。こうひょいって校門を飛び越えてな」
「忘れ物でもしてたんじゃないの」
「にしても制服でまたやって来るか?普通私服だろ、一度家に帰ってるんだし」
「まぁそれはそうかな。でも夜中なのによく彼女だって分かったね」
「ちょうど立ち位置が街灯の逆光になる場所でな。シルエットがこう、くっきりと。所々が蔦みたいにカールしてるあの独特の髪型は間違いない。それに一瞬だが、街灯の明かりで横顔が見えたしな。最初はどっかで見た後ろ姿だな、程度でしかなかったけれど。きっと校内で怪しい何かをやっていたんだ」
「そう。まぁそれはいいや。でもボクとしては、七尾が何で真夜中に学校の周囲をうろついていたのか、ソッチの方が余程に気になるよ。家とは結構距離があるってのに」
「莫迦かお前、一昨日は満月で部分蝕がある。これを見ずに済まそうって方が問題だろ」
「まさか、夜中に無断で学校に忍び込んで一晩中見ていた訳じゃないだろうね」
「失礼な、部分蝕が終わるまでだ。其処まで非常識じゃない」
「・・・・あのね」
「学校の校庭は空が広く拓けている上に、周囲に邪魔な光源が少ないからな。町中で天体ショウを観測するにはうってつけのロケーションだぞ」
「七尾は邑﨑さんをどうこう言える立場じゃないよ」
「なに?俺は純粋な天体観測だ。知的欲求と学術的探究心ってヤツだ。無断で真夜中の学校内に入り込む輩と一緒にするな」
「一緒だ一緒。やっていることはどっちも同じ」
ふと思い出したのは少し前に見た映画の1シーンだ。そこでは犯罪者が詭弁を弄し、得意げに自分のやったことを正当化していた。彼らは常に自信満々で、自分の判断と行動に毛先ほどの誤りも無いと信じ込んでいる。
「SFファンを自称するなら、客観的視点ってやつは大切だと思うよ」
「どういう意味だ」
自分の言っていることに気付いていないのか、それとも気付いていながら気付かぬふりを決め込んでいるのか。どちらにしてもやれやれといった気分で、やれやれと溜息をついた。
不意にキュッと上履きが床を擦る音を聞いた。
ボクと七尾は思わず音のした方向に顔を向けた。誰か下駄箱へやって来たのだろうか?
会話を止めて下駄箱の間から顔を出してみれば、邑﨑キコカが立っていた。
「こんなところでナニやっているの」
「だべっているだけ。何処に行くにも金かかるしさ。真っ直ぐ家に帰るのもつまんねぇし。それに此処、良い風通るんだぜ」
何故か七尾は得意げだ。
「物好きね、公園にでも行けばいいのに。それよりも家に帰って、英語と物理の課題に手を着けた方がより有意義なんじゃない?」
考えないコトにしていた部分を突かれて、思わずボクと七尾は顔を見合わせた。再び顔を向けた時には彼女の姿はなく、スカートの端と細い足首とが丁度曲がり角の向こう側に消える所だった。
「ボクたちは邪魔だったかな」
「下駄箱に用事があったのなら退いてと言えば済む話だ。前を通り抜けただけだろ」
そう言うとヤツは軽く肩を竦めた。
ひょっとしてボクらの話を聞かれたかな。
別に聞かれて悪い話をしていた訳じゃ無いけれど、ちょうど彼女の話題だったから少し気まずかった。
そしてこんな時間まで、何故彼女は学校に残って居たんだろうとも思った。ボクの記憶が確かなら、彼女はどのクラブにも所属していなかった筈なのに。
まぁどうでも良いコトだけれども。
夜になり、ボクは学校の課題を終えてベッドに潜り込むとスマホで動画を見ていた。
映画の予告編が幾つかあって見るとはなしに見ていたのだが、その中に夜の学校に肝試しに行くというホラー物があった。この手のものでは定番の題材だが、何だか急に落ち着かない気分になった。数時間前のことを思い出したからだ。
カーテンの隙間から外を見たら雲も無く、幾つか一等星が見えた。よく晴れた夜空だった。月齢はいくつだったろう。新月でないことは確かだった。ちょっと前は満月だったのだし(七尾のヤツが部分蝕だのすってんだのと言っていた)、真の暗闇じゃ無いのなら道も幾分歩き易かろう。
まさかとは思うけど。
SNSで七尾にメッセを送った。
:今どうしてる?
:何かあったか
:別に。迂闊なことやってないか心配になった
:妙なところで勘がいい
:バカなことやってないで帰って寝ろ
:いまちょっと忙しい
:忙しいじゃない。止めろと言ってる
:呼ばれたから行く。また後で
:呼ばれたって何だ。他に誰か居るのか
詰問は確かに送ったのだが、今度はいつまで待っても返答は無かった。既読も付かなかった。その夜はそれきりだった。
そして次の日、七尾は学校を休んだ。
一日なら風邪とか体調不良とかそういうモノだろうと思いもするが、流石に三日四日と続くと一体どうしたのだろうと心配になってくる。担任からも「非田はどうしたか聞いてないか」と訊ねられたが、逆にボクの方が聞きたいぐらいだった。
学校には何も連絡が無くて、家にも電話をしたらしいのだが音信不通らしい。提出期限の切れた課題を出しに職員室に赴いたら、そんな会話を小耳に挟んだ。そんな話を聞けば不安にもなろうというものだ。
学校が終わると、ボクはその足で七尾の家を目指した。
何度か足を運んだ場所なので迷うことは無いけれど、今日は随分と気が急いていた。気が付くと早足が小走りになっていて、目的の家に着く頃にはもうかなり息が上がっていた。
彼の家は木造二階建ての日本家屋。小さな門構えの向こう側に玄関が有って、その脇に使い込まれたインタホンがあった。荒ぐ息を整えるのももどかしくチャイムを鳴らす。でも何も返答が無い。二度三度と続けて鳴らしても同じだった。
「ごめんください」
声をあげて呼んでみる。もしかするとチャイムが壊れているのかも知れない。儚い望みに賭けて四回叫んだが、やはり空しく沈黙が返ってくるだけ。そこでようやく諦めた。家人は留守と考えた方が良さそうだが、このまま立ち去るのは何とも口惜しかった。
どうしたものかと玄関の脇から庭を覗き込んで見ると、物干し竿には洗濯物が掛かっていて、サッシ窓の向こう側にはカーテンが引かれていた。気配は何も感ぜられず、留守と分かる佇まいだけがあった。
溜息をついた。無駄と分かってはいるものの、スマホを取り出して七尾の番号を呼び出して掛けてみた。
「只今おかけになった電話番号は電源が切られているか、電波の届かない場所に居る可能性があります。しばらくお待ちになった後に・・・・」
昨日までと何も変わらぬ反応で、そのまま切った。
家族で何処かに行くとか言ってたかな。
だがどんなに思い返してもそんな記憶は微塵も出てこなくて、得意満面に話すヤツの表情と、何時もの莫迦話が浮かんでくるばかり。ボクとヤツとの間柄で、何も言わずにということはあるまい。それが自惚れではないと言い切る程度には、互いに友人だという確信はあった。
それに、洗濯物を出しっぱなしで旅行にとか出かけないよな。
風ではためくシャツやタオルを眺めていると、ざわざわとした何とも落ち着かない気持ちがつのるばかりだった。
ちらりと視界の端に何かが通った。
見れば塀の隙間を黒っぽい猫が通り抜けてゆく。思わず視線で追っていると、猫は唐突に振り返ってボクと目が合った。金色の目がじっと見つめている。微動だにしない。
見定めているのだろうか、それとも見透かそうとしているのか。
あれ、この猫何処かで見たことがある。
何処だったろう。
遠い昔の話じゃ無い、つい最近の出来事の筈だ。でも思い出せそうなのに思い出せなかった。
そうやって固まっていたのは二秒ほどだったろうか、それとも三秒くらいだったろうか。先に視線を外したのは向こうの方。振り返ったのと同じくらいの素っ気なさでぷいとそっぽを向き、そのままボクの視界から失せてしまった。
七尾は猫を飼っていたとかは言ってなかったよな。
きっと通りすがりだろう。でもひょっとすると何かを見ていたのかもしれない、非田家の住人とか七尾のこととか。訊けば答えてくれただろうか。
だがそれは余りにも詮の無い考えで、溜息と共にその妄想を振り払った。
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