1-4 ちょっと確かめてみない?

 一日なら風邪とか体調不良とかそういうモノだろうと思いもするが、流石に三日四日と続くと一体どうしたのだろうと心配になってくる。

 担任からも「七尾はどうしたか聞いてないか」と訊ねられたが、逆にボクの方が聞きたいぐらいだった。


 学校には何も連絡が無くて、家にも電話をしたらしいのだが音信不通らしい。

 提出期限の切れた課題を出しに職員室に赴いたら、そんな会話を小耳に挟んだ。

 そんな話を聞けば不安にもなろうというものだ。


 学校が終わると、ボクはその足で七尾の家を目指した。


 何度か足を運んだ場所なので迷うことは無いけれど、今日は随分と気が急いていた。気が付くと早足が小走りになっていて、目的の家に着く頃にはもうかなり息が上がっていた。


 彼の家は木造二階建ての日本家屋。

 小さな門構えの向こう側に玄関が有って、その脇に使い込まれたインタホンがあった。荒ぐ息を整えるのももどかしくチャイムを鳴らす。

 でも何も返答が無い。

 二度三度と続けて鳴らしても同じだった。


「ごめんください」


 声をあげて呼んでみる。もしかするとチャイムが壊れているのかも知れない。

 儚い望みに賭けて四回叫んだが、やはり空しく沈黙が返ってくるだけ。

 そこでようやく諦めた。

 家人は留守と考えた方が良さそうだが、このまま立ち去るのは何とも口惜しかった。


 どうしたものかと玄関の脇から庭を覗き込んで見ると、物干し竿には洗濯物が掛かっていて、サッシ窓の向こう側にはカーテンが引かれていた。

 気配は何も感ぜられず、留守と分かるたたずまいだけがあった。


 溜息をついた。無駄と分かってはいるものの、スマホを取り出して七尾の番号を呼び出して掛けてみた。


「只今おかけになった電話番号は電源が切られているか、電波の届かない場所に居る可能性があります。しばらくお待ちになった後に・・・・」


 昨日までと何も変わらぬ反応で、そのまま切った。


 家族で何処かに行くとか言ってたかな。


 だがどんなに思い返してもそんな記憶は微塵も出てこなくて、得意満面に話すヤツの表情と、何時もの莫迦話が浮かんでくるばかり。

 ボクとヤツとの間柄で、何も言わずにということはあるまい。

 それが自惚れではないと言い切る程度には、互いに友人だという確信はあった。


 それに、洗濯物を出しっぱなしで旅行にとか出かけないよな。


 風ではためくシャツやタオルを眺めていると、ざわざわとした何とも落ち着かない気持ちがつのるばかりだ。


 スマホをポケットに仕舞おうとして取り落として、画面に小さな傷が付いた。

 何をやっているんだよと自分に悪態をついた。

 ヘコんでいると些細な事ですらいつもどおりに出来ないらしい。

 腰を屈めスマホを拾おうとして妙なことに気が付いた。


 あれ。

 何で僕の靴はこんなに汚れているんだろう。


 靴底の側面にベッタリと焦げ茶色の染みが貼付いていた。

 最近は雨も降っていないし、泥濘どころか濡れた地面すら歩いても居なかったというのに。

 それにコレは泥というよりも別の何かだ。

 まるで焦げ茶色のペンキでも踏んだかのような。


 朝靴を履くときには気付かなかった。玄関が少し薄暗かったせいだろうか。

 それとも日中太陽の下でマジマジと見ることなんてなかったからだろうか。


 不意に、ちらりと視界の端に何かが通った。


 見れば塀の隙間を黒っぽい猫が通り抜けてゆく。

 思わず視線で追っていると、猫は唐突に振り返ってボクと目が合った。

 額に電源スイッチみたいな白い斑点が在った。

 黒っぽいツヤツヤとした首輪をして居た。

 間違いなく飼い猫だ。


 でも首輪の顎の下付近にカメラのレンズみたいなモノが見える・・・・まさかな。


 金色の目がじっと見つめている。

 微動だにしない。


 見定めているのだろうか、それとも見透かそうとしているのか。


 あれ、この猫何処かで見たことがある。


 何処だったろう。


 遠い昔の話じゃ無い、つい最近の出来事の筈だ。

 でも思い出せそうなのに思い出せなかった。


 不意に、憶えて居るのかと、声が聞こえたような気がして思わずギョッとした。


 目の前の猫は未だじっと見つめ返している。

 口は閉じたまんまだったし、モチロン話したような気配は無かった。


 いやいや、そんな筈は無い。猫が喋るわけないだろう。


 そうやって固まっていたのは二秒ほどだったろうか、それとも三秒くらいだったろうか。

 先に視線を外したのは向こうの方。

 振り返ったのと同じくらいの素っ気なさでぷいとそっぽを向き、そのままボクの視界から失せてしまった。


 そこでようやく我に返った。金縛りから解けたような気分だった。


 七尾は猫を飼っていたとかは言ってなかったよな。


 きっと通りすがりだろう。

 でもひょっとすると何かを見ていたのかもしれない、あの家の住人とか七尾のこととか。

 訊けば答えてくれただろうか。


 だがそれは余りにも詮の無い考えで、溜息と共にその妄想を振り払った。




「七尾君は未だ休んでいるの」


 翌日学校に行くと、学級委員長の桜ヶ丘桜子が声を掛けてきた。


 普段ならまず有り得なかった。皆のまとめ役ではあるけれど、主に連絡事項や目に余る連中を窘める程度で、彼女が個人的に男子に話し掛ける場面など見たことが無かった。

 けれども、流石にクラスメイトが一週間も音沙汰無しとなると気になってはくるらしい。


 まぁ委員長ならそういうコトもあるか。


「彼と仲良かったのよね。何も聞いてない?」


「うん、何も」


「ちょっと前に、邑﨑むらさきさんがどうのとか言ってなかった?」


「あ、聞いてたんだ」


 小声で話していたつもりだったが、端には洩れ出ていたらしい。

 まさか邑﨑さん本人に聞こえて居ないだろうなと、急に不安になった。


 言おうかどうしようか少し迷ったが、七尾が夜の学校に邑﨑さんが入って行くのを見た、と打ち明けた。勿論、ヤツが無断で学校の中に忍び込んで天体観測していた事は誤魔化してだ。


「そうだったの。実はわたしも見たのよ」


 委員長も夜の早い時刻に、やはり校門を乗り越えて入るところを見たと言った。

 丁度学校の周りは飼い犬の散歩コースなのだそうだ。

 それが本当に邑﨑キコカならば、彼女は頻繁に夜の学校へ出入りしているということになる。


 ひょっとして以前見た塀を跳び越えていったあの人物、あれも彼女なのだろうか?


 しかし、到底あんな人間離れした身体能力の持ち主には思えなかった。

 確かに体育の授業などでソコソコ機敏な動きを見せはするものの、彼女はいたってごく普通の女生徒だった。


 きっと七尾ならこの辺りで、エージェントというものは素性を隠す術に長けているから云々などと、一語り入れる所だろうな。


 思わず苦笑が漏れそうになった。


 自称SFマニアとは云うものの、その実ヤツは随分とオカルト寄りだ。陰謀論が大好物だし、その上天文学にまで傾倒しているから余程に筋金入ってる。

 相当に濃いと言わざるを得ない。


「彼女が何か知っているんじゃないかしら」


「え、なんでいきなりそういう話になるの?」


「夜の学校で毎晩何か怪しいことを企んでいるのよ。きっとそうだわ」


「だから、何でそういう発想になるんだよ」


「彼はきっと知ってはならぬことを知ってしまったのよ。そのせいで彼女に監禁されてしまったのかも知れない」


「証拠なんて何も無いじゃないか。委員長の思い込みだよ」


 ひょっとして、七尾と同じタイプの人種なのではないかと思った。類は友を呼ぶと言うが、それと同じ理屈が今此処で作用しているのではなかろうか。

 でも彼女がソッチ方面というのは聞いた事がない。


 でも一応念の為に訊いてみた。万が一ってコトもある。

 世の中には時折、科学や論理では説明できない驚天動地の事実が潜んでいるらしいから。


「もしかして隠れSFファン?或いはオカルトの方かな」


「わたしが読むのはミステリーよ」


 ああなるほど、そちら側でしたか。


「だから、ちょっと確かめてみない?」


 委員長はにやりと笑うと、声を潜めてそんな事を耳打ちしてきた。

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