2.ゴブリンと戦うお話

 マーチャンは手の上にいるのに飽きたのか、飛び上がり俺の頭の上に乗る。

 綿のように軽い。左右に傾けても落ちてこない。帽子みたいだ。


「俺が乗られる側なのか。マーチャン体緩すぎてニット帽みたいになってる」

「ま~」

「あとはこのリュックを」


 リュックの中には空の鍋と水入りの水筒、手袋一斤にタオルが三枚くらい。

 ナイフと鞭、保存食っぽい干物と塩も入っていた。


「初期装備というよりもサバイバル道具みてぇだ……」


 俺はその中でも気になっていたナイフと鞭を取り出す。


「さっきのステータスにナイフと鞭ってあったよな……あ、これにも宝石ついてる」


 皮の鞭 *スキル スマッシュ

 火種のナイフ *スキル アツア


 宝石に触れると目の前に文字が浮かぶ。


「宝石がついているのがこの世界における武器なのか。装備をするとスキルが使えるようになるタイプの世界なのかな」


 とりあえず俺はナイフを手に持ったまま、電車を出ることにする。

 横開きの扉を開くと、ちょっとした熱気に充てられて顔をしかめる。


「地球と季節は同じかな、夏の初めぐらいの暑さだ。えっとスキルはどうやって打つんだ。言えばいいのかな……アツア!」


 ナイフに向かってアツアと叫んでみる。

 すると体から何かが抜けていくような感覚を受けた。

 同時にナイフの刃の部分がチリチリと音を立てる。

 試しに近くの草に当てると、焦げるようなにおいで焼け落ちた。


「火種のナイフってくらいだから、火を起こせるくらい熱が出てくる感じか、あとスキルを使うと心なしか気分が疲れる」


 とりあえず武器は使えなくもない。

 俺は電車の入り口にナイフを置いて、両手をじっと見る。


「次は魔法だよな、魔法が使えるようになっているなら確かめたい。書いてあったのは火風水土だよな、たぶん四属性みたいなのが使えると思うんだけど……ん~」


 俺は先ほどのスキルの感覚を思い出し、体内の感覚を探るように集中する。

 すると頭のほうから何かが流れるピリピリに気付いて、


「どうすりゃいいんだ……えっと火のことを考えろ……考えろ……」


 その感覚が首から肩に、腕を通って左手まで来ている間に火を意識する。

 すると、掌に意識していた通りの火が付いた。


「おおっ!」


 手のひら数センチ上に火の玉みたいなのが生まれて、かなり熱い。


「こっからどうすればいいんだ!」


 俺は舞い上がったテンションのまましばらくいろいろ思考してみる。

 が、手のひらにある火の玉は動かない。熱い。

 投げるのかと思って手を振ってみると、線香花火みたいに手から落ちた。


「あ、あれ? 訓練が必要とかか、それともスキルが必要なのか?」

「まー」


 頭の上にいるマーチャンが催促してきたので俺の頭ごと頭を撫でてみる。

 俺は地面に落ちて消えた火の玉の後をじっと見ていた。 


「すぐ消えたからいいけど下手したら火事になってたな、気をつけなきゃ」

「まぁまぁ……」

「とりあえず風水土もあるし全部やってみるか」


 水魔法を使ったら手のひらに水の球が出来上がった。飲むこともできた。

 風魔法を使ったら手のひらに風が起きた、そよ風くらいしか威力はない。

 土魔法は手のひらに出てこなかった。

 何度か試してみると、土の上に手をのせて土魔法を使うと土が掘れた。


「これは……俺一人じゃどうにもわからんな。誰かに教わらないといけないタイプか」


 魔法が使えることは分かったけど、どう使えばいいかわからない。

 とにかく気疲れした。たぶん魔法やスキルは精神的な体力を消耗するのだ。


「……ちょっと歩いてみるか」


 俺は荷物をリュックにまとめて、しばらく歩くことにしてみる。

 ナイフと鞭はベルトに引っ掛けられる革ひもがあったので装着した。


「太陽が地球と同じなのを信じて、東に進む」


 カバンに入れてあったメモ帳でこれからのことをメモしながら、歩き出す。

 会社でつけろと言われて買った腕時計は、午前7時を回っていた。


「スーツで森を歩くのってどうなんだろうな。道なき道を歩くのは結構きついんじゃなかったっけか。でもなんか体が軽いんだよな、ジョブに身体補正とかあるのかも」

「まー! まー!」

「ん、どうしたんマーチャン。ピリピリしてる?」


 林道なんてものじゃない。ただ森の中を歩いている。

 ざわつく木々は陽光から守ってくれるが、想定より体力が削られるだろう。

 もし近くに人里があったとしても――


「む……」


 森の中をかき分ける音がした。

 しゃがんで息をひそめる。

 ここが異世界だとするのなら、たぶんあれがいる。


「モンスター……」

「…………」


 マーチャンが、頭の上でくいっと右に寄る。

 俺はそれに習って、森の中に人影を見つけた。


「あっ……!」


 ちょっとだけ声を漏らして後悔する。

 視界の向こうにいたのが、人に似ているが人じゃないとわかった。

 子供と同じくらいの背丈、深緑の肌色、右手には武器の棍棒がある。


「ゴブリン……うっそ」


 俺は戦慄した。

 モンスターがいるとは思っていたけど、あれはまずい。

 だって、最初に会うモンスターといえばスライムとか芋虫とか。

 ゴブリンなんて最初のモンスターの中でも殺意の高いやつだ。

 あちらにも気づかれている。


「まずい……まずいまずいっ! ゴブリンなんて早すぎる!」


 動物とかと違って眼が人間より良くないみたいなイメージはない。

 目が合った不良が近づいてくるような、寒気に近い警戒心が沸き立つ。

 逃げるべきか、でも背中を見せたら――


「う……うぉおおおっ!」


 俺は自分の感覚をマヒさせるように叫ぶ。

 手探りで装備していたナイフを手に取り、荷物を放り投げる。

 ゴブリンは俺に対抗するように両手を広げて、


「ギャーッ!」


 完全に戦闘が始まる合図だった。

 ナイフを手に取ったが、もちろん近づいて刺すほどの度胸はない。

 投げるか、いやそれは馬鹿すぎる。

 もう片方の手で鞭のグリップを握りしめる。


「使い方なんてわからねぇぞ!」


 ただ鞭のほうが近づかなくてもいいと安直に考えた。

 俺は止めひもを解いて地面に鞭の先端、テールが落ちる。

 そのまま勢いよく横に薙いだ。


「ギッ!」

「はぁ……はぁ……」


 ゴブリンは俺の鞭にひるんで、距離をとる。

 俺はこの一連の動作だけでぶっ倒れそうなくらい疲弊していた。

 初めての戦闘でストレスが半端じゃない。


「くるなよ、来るなっ!」


 だが、この経験でひとつわかったことがある。

 俺は鞭を使ったことがないが、ステータスに鞭術という能力があった。

 それは鞭を持った瞬間に発揮される。鞭が自在に動くのだ。

 まるで腕の筋肉が延長されたように鞭が動かせるようになっていた。


「ギッ……」

「ふぉぉおっ!」


 長い鞭全体をしならせて、ゴブリンに向かっていく。

 ゴブリンは棍棒ではたこうとする。

 鞭はその棍棒に巻き付いて武器を奪い取った。

 

「ギッ……ァアアアッ!」

「返してやら!」


 そのまま鞭は波をうって、棍棒を高く上空にあげて落とす。

 ゴブリンの体に、鞭の巻き付いた棍棒が落ちていった。

 俺はひるんだすきに鞭をほどいて、ゴブリンの首に巻き付く。


「ギ……ガ……ァ」

「死ね……しねっ!」


 俺は興奮状態のままゴブリンの首を絞めつけるイメージを続ける。

 ゴブリンは苦しそうに歯を食いしばるが、まだ生きている。

 そして目標を俺に変えた。首の締まった体のまま俺に向かってきた。


「お……ぉおおおおおっ! 来るなっ、来るなよっ!」

「まーっ!」

 

 マーチャンが叫ぶ。

 俺はその耳をつんざく声が鼓膜に活を入れた。思考を再開する。

 このまま来るゴブリンをナイフで迎撃できるのか。

 下手すれば敵の突撃をうける。

 けがをして一人で森を抜けるのはリスクが高すぎる。


「なにか、なにか……」


 ゴブリンが迫る。衝突をよけられるほど冷静でいられない。

 

 皮の鞭 *スキル スマッシュ


「……っ、スマァアアアッシュ!」


 俺は震える手で偶然ふれた宝石から、チャンスをいただく。

 スキル名を叫ぶと、鞭全体に力が宿り、


「グ……ギ――」


 そのまま鞭はゴブリンの首を折る。

 目の前で、ゴブリンが膝をついて倒れた。

 俺は息のできない緊張感に縛られて、


「……はぁっ! あぁっ……はぁ……」


 糸が切れたように全身から力が抜けて、へたり込む。

 目の前に殺したゴブリンの死体が映る。

 俺が殺した。


「……うっ、……はぅ……はぁ」


 初勝利なんて思える気分じゃない。

 怪我こそしなかった。

 だが死ぬかもしれないという空気にさらされ、生き残った。

 そのストレスに体がへばったのだ。


「ま~」

「あぁ悪い……助かったよ……」


 マーチャンがバランスを崩しかけてゆらゆらしている。

 戦闘で役に立ったわけではないが、マーチャンがいなかったらやばかった。

 俺は頭の上にいるマーチャンを撫でながら、一息つくと、


「ぎ」

「っ! うっそ……っ!」


 またゴブリンの声がした。

 倒れたやつはピクリともしてない。

 俺は左右を見渡して、そこに新しいゴブリンが一匹いることに気づいた。


「あ、新手。まだやらなきゃいけないのか……!」

「ぎぎぃ……! ぎぎ!」

「ん、んん?」


 ゴブリンとの二度目の遭遇。

 俺は疲弊していて、先ほどと同じ動きができるとは思えない。

 そんな極限の状態で、俺は眉をひそめた。


「こいつ……俺が好きなのか!」

「ぎー!」


 ゴブリンは持っている剣を地面に置いて、めいいっぱい俺に手を振る。

 意思疎通の能力が、友好の意思をゴブリンから感じ取っていた。

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