好きの感情

 正直、あの日から、頭の中は鍋倉のことでいっぱいだ。

 格好良かった。エロかった。逞しかった。上手かった。

 全てが、俺の好みだった。

「ああ、やばい。会いたい。したい……」

 今までだって、セフレで相性の良い男はいた。でも、基本的にスポーツ感覚でしていたから、とりあえず、勃たせて挿入して終わり……で十分だったんだ。

 キスとか、愛撫とか、あんな気持ちの良いもの、今まで知らなかった。

 昨日あったばかりの相手に、また会いたいなんて連絡したことないし、言えない。

 交換した連絡先を見つめていたら、携帯電話が鳴り出した。

 鍋倉からだ。

『佐々木? 今仕事おわったんだ。会いたいんだけど、出てこれる?』

 ――会いたい、とか言えちゃうんだよな。あいつは。

 同窓会でも言ってくれた。

 今、自分の顔がにやけているのがわかる。

 急いで用意して、指定された場所へ向かうと、そこは、居酒屋の個室だった。

 先に入っていた鍋倉が出迎える。

「急にごめんね。夕飯一緒に食べたくて」

 垂れ目で笑う顔が、更に緩む。可愛いと思った。

 居酒屋から出た後は、ホテルへ行った。

 昨日、求め合ったばかりなのに、また新鮮な気持ちのまま、体を重ねた。


 別の日には、加藤とか阪本とか他の友達と一緒に飲むという誘いもあった。

 体の関係なしで会うこともあったが、二人きりになると、お互いを求めるように、くっつき合うことが当たり前になってきていた。

 お互いの家は、やめようと言ったが、家まで送り届けたいという鍋倉の強い意志に負け、部屋にあげることもあった。

 でも、部屋では、セックスはしない。

 鍋倉から家に誘われることもあったが、断っていた。

 結婚していた家にいくなんてこと……できない。

 それに、最初に体を重ねた日から、鍋倉の好きという言葉を聞いていない。

 やっぱり、勢いで言っただけだ。

 とても寂し気持ちになるが、ここで押さえておかないと、気持ちがあふれそうで怖い。

 

 鍋倉と関係をもってから、1か月が経った。八月の空はまだまだ高いが、日陰でそよぐ風が気持ちよく感じる。

 たびたび、外に出ることが増えて、こんなふうに風を感じる日がくるなんて思いもよらなかった。

 先週、編集者の知り合いから、ゲームのシナリオを書いてほしいという依頼を受け、その話を聞きに出かけた。何度かの打ち合わを進め、ようやく具現化できそうな内容となった。

 初めてやる試みだったが、なんか面白そうで、わくわくした。

 ――早く、鍋倉に話したい。

 なんだこれ……。こんなんじゃ、付き合ってるみたいじゃないか。

 でも、いつでも、一番を考えるのは、鍋倉だ。

 美味しいものを食べた時も、面白い話に出会った時も、いつも一番最初に伝えたくなるのは鍋倉だ。


 会員制のバー、髭ママ英子が、佐々木の目の前にお酒を出してくれる。

 自分の気持ちに気づいたけど、それをどうしたらいいものかわからず、とりあずこのバーに駆け込んでしまった。

「うちは、駆け込み寺じゃないわよ」

 タバコの煙をため息とともに吐き出した。

「中学生の方が自分の気持ちに素直になれてるわよ。その鍋くんのこと好きなんでしょ……さっさと告りなさいよ」

「……無理だ。鍋倉は、将来有望なエンジニアだ。結婚してた過去もある。再婚の可能性だって……だから本気になるわけにはいかないんだ」

「そんなことでセフレにこだわってたの? 馬鹿ね……気持ちがなきゃ、体なんか重ねるわけないでしょ。しかも鍋くんは、ノンケでしょ。とにかくさ、あんた、鍋くんのことなにも知らないんじゃない? ちゃんと聞いて、自分のことも話して、それから関係を築いていくのも有りなんじゃないかしら」

 英子の言う事は、もっともだった。

 確かに、高校の告白のことすら聞いていない。

 結婚して、なんで離婚したのか……とか、今までどういう恋愛していたのか……も知らない。

 鍋倉の口から出ることは、いつも俺のことばかりだった。

 俺の小説が好き、全部読んでるって。

 嘘だと言ったら、本棚にある本を見に来てと言っていた。

 家には行かないと言ったら、本棚の写真をみせてくれた。

 信じない俺に、ムキになって、「本当にずっとファンなんだ」と言ってくれた。

 ――あいつのこと、なにも知らないや。

 告白しよう。アイツにその気がなくても、恋人になりたいって伝えよう。

 英子の店を出て、帰ろうとしたときだった。

「落とし物ですよ」と後ろから声を掛けられた。今さっき、店のドアを開けたばかりで声を掛けてきたのが、一瞬妙だなと感じたが、遅かった。

 振り向いた時には、頭に痛みを感じて、意識が遠ざかっていた。

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