(8) 理由

 三か月後。

 もう小説は終盤を迎えていた。

 小説が完成したら、当初の目的は果たされたことになり、もう会えなくなるのかと寂しく感じることが多くなっていた。そんな時だった。いつも通り、図書室に行くとひまりが小説を読んでいた。もうお決まりになっていて、ぼくが先に来たことは一回もなかった。

 ひまりに頼まれてある登場人物のセリフを考えていた時、ふとひまりがぼくの名前を呼んだ。目線を上げるといつになく真剣な瞳で見つめられた。

「ねえ」

 何を言われるのか全く見当もつかなかった。もしかして、このセリフじゃまずかったか、そう考えていたが的外れで意表を突かれた。

「かおるはさ、なんで私が君を選んだのか、答えは出た?」

 そういえば、完全に頭から抜けていた。

「あ、その顔。忘れてたな」

「い、い、いやあ? 忘れてませんよ?」

「やっぱ、嘘吐くの下手だなー。まあ、それはそうと、なんでだと思う?」

 駄目だしを食らいながらも考えるが答えは出なかった。すると、ひまりはやれやれと言った感じで話してくれた。ついでに「鈍感だな」と言いながら。

「かおるが一番“死”について話しやすそうだったからっていうのが一割」

「え、ええー」

 少し落胆していると、

「だから一割って言ってるでしょ。次は、かおるは他の人にない「安心感」があったからかな。言葉にできないけど、この人は絶対大丈夫だって。しかも近くにいると、心が和むし。だからかな、なんかかおるの前だと自分の感情とか本心とか包み隠さずさらけ出せるんだよね」

 そう言われると照れてしまう。

「それが二割。次は救いたかったから」

「――えっ」

「かおるはいつも楽しくなさそうで死んだ魚の目をしていた。だから助けたかった。これは一般的な人を助けたいという私のエゴや善意とは違う。上手く表現できないけど、鬱っぽくて同情したからってより、かおるだから救いたい、そう思ったからかな」

 急に言われ胸の中がかっと熱くなり喉の奥から何かがこみ上げてくる。

「ふふ、恥ずかしいけどね。それが五割。あとの二割はかおると近づきたかったから」

「えっ?」

 変な声が漏れた。近づきたかった? それって……。

「だってかっこいいんだもん」

 恥じらうように言うひまり。え? こ、こんなぼくが? 顔面偏差値最下位のぼくが?

「あ、もちろん顔じゃないよ。イケメンならいくらでもいるし」

 グサッとナイフの切っ先で刺されえぐられた気がした。

「かっこいいっていうのは自分の世界を生きているのに変なところで人に気を遣い、自分を犠牲にするところ」

「え? そんなところ、ぼくになくない?」

「ふふ、自分では案外分からないものだよね。ま、自分で振り返ってみなよ」

 そう言われ必死に探すが見つからなかった。教えてとせがんでも教えてくれなかった。

「ケチ」

「ふふ、かおるが鈍感でばかなだけだよ」

「あ! 馬鹿って言ったな」

 そう言って反論したけど、内心ものすごく嬉しかった。

 少しの間が空く。ぼくが作業に戻ろうとすると――

「ねえ、かおる」

 ひまりはぼくの目をじっと見て、


「――かおる、今、死んで、って言ったら?」


「は?」

 わけが分からず見つめ返してもただ真剣に見つめ返すだけ。ぼくは質問の意図を時間をかけて理解しゆっくりと答える。


「ぼくは死にたくない。だってもうひまりに逢って救われたから。絶対に死にたくない」


 そう言うとひまりは嬉しそうに「うん」と頷いて涙をぽろぽろと零した。

「やっと上を向けたんだね。でも、上を見ることも大事だけど、時々下も見ないとだめだよ」

「え? 上を向けたんだからいいんじゃないの? なんで下を見る必要があるの?」

「だって見落とすから。下にも大事なことがきっとある。つまり、下を向いていた頃、昔の自分を振り返る時も大切なんだよ」

 とひまりらしい少し遠回しの言い方をして、照れくさくなったのか、上を向いて歩こう、と鼻歌で歌っていた。


 ひまりがぼくを選んだ理由。あの時は分からないって言ったけど、本当は心のどこかで分かっていたのかもしれない。

 その理由を聞いたらさらにひまりのことが気になっていた。もう惚れているのかもしれない。それはそうだ。だって、ひまりはぼくの人生、全てを変えたのだから。惚れない方がおかしい。

 いつか、二人で一緒に人生を歩んでいきたい。そんなクサいことを考えていた――

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