(5) 死生観
翌日の放課後。急いで図書室に向かう。すると――いつ来たのか疑いたくなるぐらい、もうすでに昨日と同じ位置に座っていた。
「こんにちは」
「こ、こ、こんにちは、は」
やっぱり昨日今日で慣れるわけない。すると、急にふっと笑い出した。
わけが分からずぽかんとして見ていると、
「いや、ごめん。つい笑っちゃって……。だって同じクラスなのによそよそしいし今さら挨拶してるし」
何が面白いのか尚更分からなかった。でもそんなぼくとは裏腹に彼女はお腹を抱えて笑っていた。多分ぼくは怪訝な顔をしてしまっていたのだろう。「ごめんね」と表情を変えて言った。でも、その後も堪えきれないのか「ヒッ」とか「フッ」とか吐息を漏らしていた。多分これ、ぼくのクラスのマセたエロガキ集団が聞いたら大変なことになっていただろう。そう思うぐらい少し
すると、彼女は目を丸くしながら頷いた。そんな変なこと言ったっけ。……ああ、敬語を忘れてしまっていたのか。動揺していたせいだな。
「いやー、ごめんね」
息を切らしながら謝る。
「いや、全然大丈夫です。それより本題は?」
「冷たいよ! そんなに急かさなくてもいいじゃん」
とあからさまに頬膨らませ拗ねているアピールをする。……こんなの小説以外で見たことなかった。いや、ぼくが知らないだけでみんなやっているのか。
「す、すいません」
「え? そんな謝らなくていいって。てか敬語やめにしようよ。同学年なんだしさ」
急に言われても……。
「分かりました」
「ほら、敬語」
彼女は少し呆れたように言う。だってどうしようもないじゃん。
「癖なの?」
ぼくは曖昧に頷く。いや、癖っていうか、そもそもため口で家族や親戚以外と話したこと余りないって。翼だってため口になれるのに三か月弱かかったのに。ましてや昨日会ったばかりの人とため口なんて無理に決まっている。恥ずかしくなったから話題を変えるようと試みた。
「なんで昨日は急に帰ったんですか?」
「え? そんなこと聞く? 女の子に?」
なんだ? わけが分からないがまずいことでも言ったのだろうか。
「ご、ごめんなさい」
普通に頭を下げて謝ると、彼女はさらに大きく目を見開く。
「い、いや、冗談だって。もう調子くるうなー」
ぼくもだ。彼女のことはよく分からない。
「ただ単に……両親が夜ご飯を作ってくれるからだよ。何かいけない?」
「い、いや、何も……」
「でしょ? まあ、いいや。それで今日の本題だけど、今日は君の死生観について教えてほしいの」
「昨日言ったはずじゃ……」
「昨日よりもっと掘り下げるっていうことだよ」
「……具体的にはなんですか?」
「そうだね。一つずつ話していこうか。まずは、死後の世界だ。君は死んだらどうなると思う?」
「……ぼくは死んだらどうもこうもないと思います。死んだらあるのは無のみだと思います」
「ええー。夢がないなー。かおっちは」
名前で呼ばれないことに少し落胆しながら、あだ名で呼ばれることに少し安心する。
「私は君と違って、死んだら天国に行けると思うなー」
「それなら地獄もあることになりますけど……」
「もー。そこは言わないの。本当に夢がないなー」
呆れを通り越して棒読みにまで近づいていた。
「もう。じゃあ次。死に方について、選べるとしたらどんな死に方がいい?」
言っていることが殺人者みたいだ。
「ぼくはなんでもいいです」
「えっ? なんでも?」
彼女は信じられないものを見るような目つきでぼくを見つめる。
「はい。なんでも……」
「やっぱり違うね。私はとにかく痛くない死に方がいい。痛いのは絶対に何があっても嫌。安楽死がいい。……でも君は痛いの大丈夫なの?」
「だって痛いなんて一瞬ですよ?」
「ま、まあ、そうかもしれないけど……」
彼女はどこか納得していないようだった。少し不満げに続ける。
「じゃあ、死に場所はどこがいい?」
「……どこもないです」
「うーん、やっぱり夢もロマンもないなー。なんかないの? 私は好きな人がいる所で見送られて死にたいな。君もなんかないの? こう綺麗な場所で……とかさ」
「ないです」
ぼくは即答した。
「だって死んだら全部終わりでしょう? だったら死ぬ前に何をやっても変わらないでしょ? なら何をやったって無駄でしょ?」
それを聞いた彼女の顔がみるみる萎れていったように見えた。
「大丈夫ですか?」
「えっ? あ、うん。大丈夫」
そう言った彼女の瞳は潤んでいた。声をかけようとしたら、
「でも、私はそうは思わないよ」
と、ひどく優しい声で言われた。いや、囁かれたの方が近い。
「死んでも終わらないんだよ。きっとその先には現世よりももっと良い世界が広がっているんだよ。だから、終わりじゃない、逆に始まりなんだよ。私はそう思う。それに無駄じゃないよ」
「……どうして……ですか?」
彼女の瞳は輝いていた。ひどく照り付けるように。ぼくの負の部分を正に変えるかのように。
「だって『私』がいるんだもん」
「――え」
「そんな顔しないでよ。恥ずかしいじゃん」
あからさまに顔を覆う彼女。しかし覆い切れておらずほのかに赤らんでいた。
「もう、だ・か・ら・私がいるから無駄にはならないって言ったの」
「え」
「あーもう。君の鈍感ぶりと言ったら日本一なんじゃない?」
そう皮肉って呆れたように手を曲げ首を振り「やれやれ」といったポーズをとる。
「私があなたを「現世にいて本当に良かった。無駄じゃなかった」って死に際に思えるように支えるから」
「えっ、え、えええ! 本当ですか?」
あの「陽舞梨」が?
「最初っからそう言ってる」
なぜかは分からないけど、泣きそうになった。無性に熱いものがこみ上げてくるが必死に堪える。でも溢れてきそうな時に、タイミングが良いのか悪いのか、彼女のスマホが振動した。電話だ。ごめんと言って彼女は少し離れて電話に出る。
よかった。うん、よかったんだ。いきなり泣き始めたらドン引きだし、彼女も困るだろうから。でも……欲を言えば慰めて――
「かおっち」
「ひゃ、ひゃい!」
「――えっ、ふふ」
変なことを考えていたせいで変な声が出てしまった。それにまたお腹を抱える彼女。相変わらず彼女の笑いの沸点が分からない。数分の後、治まった彼女が「今、両親から電話きて、雨降りそうだから早く帰ったらって言われたから帰るね」と言ってリュックを背負う。
少し寂しいなと思い、疑問に思っていたことを急いで口にする。
「あ、あ、あの」
「うん?」
上手く言葉にできないぼくを急かすでもなく促すでもなく、ただゆっくりと待ってくれた。お陰で口に出すことができた
「あ、ありがとうございます。そ、そのなんであなたはぼくを選んだんですか?」
彼女は少し目を丸くした後、何かを考えるように上を見て、
「それはね、ひ・み・つ。いつかは分からないけど私が言うその前にかおっちが当ててみてよ。何かいいことがあるかもね」
そう言ってケラケラ笑う。これはぼくをからかっているのか。それともはぐらかされたのか。はたまたどっちもなのか。分からない。
「あと、お礼なんていらないよ。だってこれから、私たちは会うんだもん」
「え? 会うって?」
すっと真面目な顔になって、
「香織君、君は、これから、毎日、放課後に図書室に来て私の小説を手伝うんだよ」
いいね、そう言って念を押される。
ドクンと脈打つ。それは名前を呼ばれたからか毎日という誘いからか彼女の優しい表情か柔らかい声か。きっと全部だろう。
ドクン、もう一回脈打つ。しかし、今回は呼吸は乱れなかった。
「はい、お願いします。えと、陽舞梨さん」
「うん! お願いね、香織君。あと、陽舞梨でいいよ」
そう笑う彼女はとても美しかった。
「あ、はい、じゃ、じゃあ、ぼ、ぼくも、か、か――」
その時、ポツポツと音がした。彼女は「やばい」と言ってぼくに手を振って図書室を出た。かと思ったがすぐに戻ってきて、ひょこりと顔だけ出して、
「じゃあね、香織」
そう言い残して、彼女の走る音だけが響いていた。
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