(2) からかい

 そんなこんなで今も気を紛れさせようと奮闘しているが、ふと視線の先に彼女の姿が入ってしまった。彼女は生真面目に先生の話を聞いてノートを取っていた。

 もうこれは発作だ。

 昼休みは弁当が喉を通らず食べれられなかった。五時間目、六時間目……と続き、そして、やっとホームルームが終わり、放課になった。するとすぐに彼女は周りの取り巻きに何かを言い教室を出て行ってしまった。

 やっぱり……何かを企てているんじゃないのか。

 そう思いながらもトイレに行き少し時間を空ける。リュックを背負いながら図書室がある別館まで行く。ぼくの高校は珍しいのかよく分からないが、校舎と図書室が別になっている。でも、別になっているからって広いとか豪華とは限らない。この高校はその典型的な例で校舎は立て直したりと綺麗なのに対して図書室は一切立て直しなど行われることなくひっそりと佇んでいる。だから中も古いし少しかび臭い。それにこの高校は図書館司書も図書委員もいない。これらのせいかここの生徒の教養が低すぎるのかは分からないが、図書室の利用者は全くいない。

 ぼくは本が好きで一週間に一回は図書室に通っている。もう一年間も通っているのに誰一人として来なかった。

 とにかくそんな図書室だから呼び出すにはもってこいだ。

 気付くともう図書室の目の前にいた。

 逸る心臓を抑え硬い戸を引き中に入る。目の前には小論文コーナーがありそこを左に曲がると無人の受付カウンターとパソコンがあり、またそこを回れ右すると長テーブルと両側に木製の椅子が十脚ずつ、それが左右に一セットずつあり真ん中に通路ができている。そこを通ると奥に大きな本棚が幾つもある。そんな構造になっている。

 いつものように受付カウンターを回れ右すると――いた。右の長机の一番奥にぽつんと座って本を読んでいた。ぼくの足音に気付かないのか、近づいても顔も上げなかった。どうしようか迷っていると、ぼくの気配に気づいたのか読んでいた本から顔を出すと、一瞬だけ、ほんの少し瞳が大きくなった気がした。だがすぐにいつもの温和そうな表情に戻った。

「こんにちは」

 朗らかに挨拶された。ドクン、と心臓が高鳴ったのは気のせいだ。ぼくはそんな邪な男じゃあない。決して。

「こ、こ、こ、こん、にち、はは」

 余りにも緊張しすぎて不自然で気持ち悪い挨拶になってしまった。しかし彼女はそれに気を留める様子はなく、座りなよ、と促され彼女と対面で座った。

 ふと彼女を見ると、やっぱり噂通りだなと思う。今までは彼女の顔をしっかりと見たことはなかった。いや、彼女だけではない。クラス全員だ。もう二年になってから二か月は経つが未だに顔も名前も覚えていない。そもそも覚える気すらないから。いや、違うか。自己紹介の時も、こんなぼくに見つめられて嫌だろうな、とか、見ていたら後で陰で言われるんだろうな、とか邪推してしまい、まともに顔も見れなかったのだ。だから、「覚える気すらない」という強がりではなく、「覚えるまで見ることができない」と言った方が正しいのかもしれない。

 観察は噂、会話通りだからやめておくか。

 でも……なんだろう……なぜか引き込まれていくような――

「どうしたの? 君、大丈夫?」

 いきなり呼ばれて体がビクッと震え彼女を見る。何をやっているんだ、ぼくは。

「い、いや、大丈夫です」

「そう」

 彼女の返答は心なしか素っ気なかった。

 いや、それより彼女、「君」って言ったよね? 名前も憶えられていないんだと、少し肩を落とした。もしかしたら、名前を憶えてくれていたら、告白もありかもと思っていたのに。そう上手くはいってくれないよな。でも、まだ分からない。本当は覚えててくれているかもしれない。二人称なんて使う人はいくらでもいる。そう希望を強くもつ。

「じゃあ、本題ね。私が君をここに呼んだ理由」

 ぼくはごくりと生唾を呑み込む。彼女にも聞こえてしまうんじゃないかと思うほど心臓が暴れていた。

 ぼくが彼女の言葉を待っていると、彼女は何かを思い出したのか少しだけ真上を見た後、口を開いた。

「それでね……ああ、えと、君の名前なんだっけ?」

 そう言われた瞬間、時が止まった気がした。落胆を通り越して絶望していた。そっか、完全に覚えていないんだ。それもそうか。こんなぼくだもんな。

 ぼくには人に自分の名前を任意で呼んでもらうという願望があった。呼んでもらいたい人とは特に親友つまり、自分を理解してくれる人だ。親友である翼からは呼んでもらっているからそれでもう十分だけど。でも、邪な気持ちだけど、一回でいいから女子に名前を呼ばれたかった。そんなキモイ陰キャのぼくらしい願望があったのに。それを粉々に打ち砕かれた。

「ねえ、大丈夫? 

 ――え? 今なんて……?

「えへへ、君の友達の翼君に聞いちゃった。ごめんね」

 はにかんだような笑みを見せる彼女。

 ぼくはどう反応していいか分からずに目を丸くするばかりだった。

 それに絶望の淵からいきなり喜ぶなんて無理だ。

 まって、今、翼って言ったよね? 翼と彼女に接点があったのは初耳だ。それよりもなんで彼女はぼくのあだ名である「かおっち」と言ったのだろうか。ちなみに「かおっち」は翼がノリと雰囲気で気軽に決めたものだ。ふざけた時はそれで呼んでいて何気に気に入っているあだ名だ。

 ――もしかして彼女はぼくをからかったんじゃ……。

 いや、そんなはずはない……よな?

 改めて彼女を見ると頬がほんのり赤い気がした。いや、きっとそう見えているだけだろう。

 もう何がなんだか分からない。混乱するぼくに「ごめんごめん」と手を合わせてくる彼女。ぼくにとっては全てが新鮮だった。けど、彼女は陽キャで人気者なのだから、これが彼女にとっての「普通」なのだろうか。

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