第49話 奪還⑤

 戦意喪失した老婆は、もう剣の敵ではなかった。


 それよりもといわんばかりに剣が体の向きを変え、公花の肩に手を置いた。

 頭のてっぺんから足の先まで見回しながら、しつこいほど公花の無事を尋ねてくる。


「公花、怪我はないか?」

「うん、大丈夫。ありがと……うっ」


 次の瞬間、かき抱くように引き寄せられて、懐に抱きしめられて――。


 背に回された彼の手はかすかに震えていて、胸元に寄せた頬に伝わる心臓の音は、駆け足のように速かった。

 それだけ心配をかけていたのだと実感する。


 腕の中は温かくて、お日様のいい匂いがする。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、懐かしくてほっとするような気もした。

 ぎゅっと抱きしめられたまま、彼の気が済むまで、身動きもせずに待っていると――。


「蛙婆女様~~~っ!」

「た、大変です~! 急いでここを離れ……あれ?」


 慌てた様子で神殿に駆け込んできたのは、赤眼の青年と大柄な熊男。蛇ノ目家の使用人で蛙婆女の部下でもある、黒尾と樋熊だ。


 焦げた床、ところどころ破損した壁。そして小さくなって泣いている老婆――。

 室内の惨状を見てとって、ふたりは愕然とした。蛙婆女の元へと駆け寄って、助け起こす。


「マジっすか……負けちゃったんすか? 蛙婆女様」

「ババ様ぁ……」


 公花は、黒尾と樋熊が老婆のかたきをとろうと動くのではないかと身構えたが、ふたりはそうはしなかった。本来の家の当主である剣が、世にも冷たい目をしてふたりを睨みつけていたからだ。


「おまえたち。俺にまず言うことはないのか?」


「「も、申し訳ございませんっっっ」」


 床に額を擦りつけて震えている様子を見て、公花はぷっと吹き出してしまった。妖の家系だけに、力こそすべてみたいなあっさりしたルールがあるのだろう。


「おまえらは減給六か月。一ミリでも俺の機嫌を損ねたら、生まれてきたことを後悔させてやるからそう思え」


 室内に響く泣き声が、三人分に増えてしまった。

「しくしくしく……」

「うぇぇ、勘弁してくださいよぉ……」

「うぉーん、うぉーん……!!」

 まさに蛙の大合唱……。


「あの~……さっき大変だーって駆け込んできたと思うんだけど、なにかあったんじゃ……?」


 公花が冷静につっこむと、黒尾がぱっと涙を止め、顔色を変えて言った。


「そうでした! 大変なんです、すぐ逃げないと、この建物――倒壊します」


「……は?」


 剣の乾いた声が、虚しく響いた。


 詳しく問いただした剣に、黒尾が早口に説明する。


 それによると、この建物の重要な礎である「通し柱」が壊滅的ダメージを受けていて、この神殿全体が、倒壊寸前なのだという。

 今は、数少ない念動力系の能力の持ち主が屋根を支えている状況で、長くはもたないから早くここを脱出してほしいと。


「そういうことは早く言えっ!」


 冷静さをかなぐり捨てた剣が、部下を叱り飛ばす。

 けれど黒尾は実はまだ納得がいかないという風に、首を傾げた。


「だって不思議なんですよ。こないだの白蟻検査でもなんともなかったのに、なんで急に……なぁ?」


 同意を求められた樋熊が、うんうんと頷く。彼もまた、もたらされた情報を信用しきれていない様子で、眉を下げながら言った。


「なんでも、ねずみに齧られたみたいに削られてたって……」


「……ねずみだと?」


 剣が沈黙した。

 ちらりと公花のほうを見る。まさかという目で。


「え?」


「公花。おまえ、ここに来るまでに……どこを通った?」


 それはまぁ、縁の下から入って邪魔な柱はばっさばっさと噛みちぎりながら、どうにかこうにかたどり着いたけど……。


「ん?」


 なんで、全員が公花こっちを見ているんだろう。しかも、そんな感情の失せた目で。


 ――ゴゴゴゴゴゴ。


 念動力の持ち主たちの限界がきたのか、建物が唸りを上げ揺れ始めた。


「ひとまず……逃げろ!!!!」


 剣が公花の手を引き、黒尾と樋熊が老婆をかついで、全員はその場から逃げ出した。

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