第47話 奪還③

『ぴやぁ!』


 高い位置にぶらーんと垂れ下げられて、ジタバタと短い手足を動かす。

 首の後ろを掴んだ人物が、くるりと手首を返したので、自分を捕まえている相手と正面切って顔を合わせる格好となった。


(だっ、誰!?)


 公花を掴み上げているのは、妖艶な大人の女性だ。ウェーブした長い黒髪に、細面の顔つき。長いまつ毛に縁取られた黄土色の瞳は美しかったが、肌の色は異様に白くて、触れる指は寒気がするほど冷たかった。


 赤く塗られた唇が、てらりと光って動く。


「あら、ねずみが入り込んだようね」


 じっとりと覗き込まれて、ゾクゾクと背中の毛が逆立つ。

 まるで蛇に睨まれた蛙。きゅっと喉も締まって、声も出せずに固まっていると、


『蛙婆女……公花に手を出すな!』


 背後から、少し上擦った感じの鋭い声が飛んできた。結界の中から剣が叫んだのだ。


 蛙婆女と呼ばれた女性は、ゆっくりとした動きで結界のほうを見やり、瞳を細めた。


「まだそんな力が残っているなんて、さすがは御使い様。魔法陣に力を吸い取られて、無力で可愛いお人形ができあがっているかと思ったのに……。魅縛の香も、もっと焚き足さねばなりませんね」


 公花は理解した。

 目の前にいる女性、おそらくは普通の人間ではない邪悪な妖──彼女こそが、剣の力を利用し、苦しめている張本人。この事態を引き起こした元凶なのだ。


 蛇ノ目家を裏で牛耳る宗教組織の教祖、蛙婆女。その目がぎょろりと動き、再び公花を捉えた。


「おまえが、剣様が大切にしていた金魚のフンね。黒尾め、捕まえておくように言ったのに、いい加減な管理をして……」


 言い回しに悪意を感じて、公花は憤慨した。金魚のフンって……最初に絡んできたのは、剣のほうだというのに!

 とはいえ、今ではもう……大切な、失いたくない相手だという認識はしているけれど。


『……そいつを離せ。公花には手を出さない約束だ』


「約束? した覚えはありませんね」


 しれっとした返事に、空気が怒気をはらむ。


『貴様……!』


 剣が、絞り出すように唸った。

 焦りもあるのだろう。いくら強気を装っても、絶対的に不利な状況。その表情は、見たことがないほど張り詰めている。


 蛙婆女は、わざと煽るように意地悪な高笑いを響かせた。


「その結界はすべての神通力を跳ね返す。あなたはもうそこから出ることはできない。無力な者の命令を聞く必要が、どこに?」


『くっ……』


 万事休す。

 公花がせめてひと噛みでもしてやれればと思うのだが、とにかくハムスターの体では手足が短くて、ぶら下げられている体勢ではどうにもならない。


「……そうだわ。いいことを考えました。このねずみの体内から、神通力の欠片を感じます。鱗を飲んだのでしょう? それならば……私がおまえを丸呑みにして、取り込んであげる。ね、名案でしょう。私の一部として生きられるのだから、満足よね」


(全然満足じゃありませんからーーー!!!)


 ひょいと空中で持ち替えられて、今度は尻尾をつままれ、逆さ吊りにされる。

 目下にはあんぐりと開けた大きな口が……。蛙婆女の口が大きく裂けて、赤い舌がのぞいていた。


「キィーーーッ!! キッキィー!!」

(食べないで! 私なんて美味しくないからーっ)


 ――そのとき。背後でドーンと雷のような音が轟いた。

 地面が震え、長くカタカタと揺れて、音が部屋中に反響している。


「な、なにごと!?」


 蛙婆女が音に驚き、指を離した。地面にポテッと落下した公花は、素早く起き上がり距離をとる。


 移動しながら音のしたほうを見れば、剣が閉じ込められている結界ドームが輝きを放ち、明滅を繰り返していた。


(あれは……!?)


 結界の内側で、龍のような形をした稲妻が荒れ狂っている。

 どうやら壁を破ろうと、神通力を放出したらしい。


 しかし……。

 雷は壁に衝突するも、それを破るには至らず。めちゃくちゃに反射して、剣自身の体をも傷つけている。


「愚かな……そんなことをしたら、黒焦げになってしまいますよ?」


 蛙婆女が苦笑した。


 公花は結界の壁に駆け寄った。


『剣くん!』

『公花……待っていろ、すぐに助ける』


 蛇の体は自ら放った刃に傷つけられてボロボロだ。

 ただでさえ、ほとんど力を使い果たして弱っていたのに、このままではただでは済まない。

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