第46話 奪還②

 お香のような、嫌な感じの匂いが漂ってくる。

 頭の中をかき乱されるような感覚に悩まされながら、天井裏を出て壁を伝って廊下に降りた。


 ハムスターの姿は小さくとも、人間より機動力がある。

 なんだか忍者にでもなった気分。表情も勇ましげに、奥の間へと向かった。


 扉はなく、白紫ののれんがかかった入り口をくぐると、お香の匂いが強くなる。道場のような広い場所の最奥に宗教色を感じる台座があり、白く輝く小さな蛇が安置されていた。


『……剣くん!? ……ぎゃんっ!』


 一目散に駆け寄っていったら、台座の前で見えない壁のようなものにぶつかり、跳ね返されてしまった。よく見ると、彼がいるあたりの床に魔法陣のような紋様が描かれ、それを囲うように半透明のドームが形成されている。結界というやつだろうか。


 転げた公花はすぐに起き上がり、円の外側からキィキィと声をかけた。


『剣くんっ、起きて! 助けにきたよ!』


 すると、白蛇の尾がぴくりと動き、ゆっくりと瞼が開く。


『公花……?』

『剣くんっ』

『どうして……うっ』


 顔を上げようとした蛇は、小さく呻いて首を垂れた。

 どうやら、頭をもたげる体力も残されていないらしい。


『おまえ……その姿は……?』


『剣くんの鱗を使ったの。バッグの中に、一枚残しておいてくれたでしょう?』


 白蛇は、こちらの姿をふと懐かしそうに眺めると、思いを振り切るように一度瞬きをして、諭すように言った。


『よかった……。無事だったのなら……逃げろ……』

『ダメだよ! 剣くんを助けにきたんだから!』

『俺のことは、いいから……』

『絶対に嫌! 一緒じゃないと、ここから離れない!』


 白蛇は苦悶の表情を浮かべている。

 だが駄々をこねているばかりでは、状況を打開することはできない。

 公花は剣の力を封じている結界をなんとかしようと周囲を嗅ぎ回ったが、妙案は浮かばなかった。


 何度か透明な壁に体当たりをしてみたが、痛い思いをしただけで終わってしまう。どう考えても、無駄なあがきだった。


『公花……』


 もういいから敵に気づかれる前に逃げてくれという、剣の切実な気持ちはひしひしと伝わってきたが、これだけは聞けない。

 今逃げてしまったら、もうチャンスはない。八方塞がりではあるが、諦めるわけにはいかないのだ。


(はぁ、どうしよう……。あの透明な壁を破る方法はない?)


 体をぶつけると、結界はバチバチと薄光を放って、半球状の形がくっきりとあらわになる。

 明らかに床の魔法陣と連動しているから、あの紋様を消せれば結界も消える気がするが、それが描かれているのは結界の内側だ。

 中に入ることができない以上、発生源をつぶすことはできない。剣が動いてくれれば話は早いのだが、それができるなら、すでにやっているだろう。


『剣くん、この高級なお料理にかぶさってるカバーみたいなやつ、どうにかする方法はないの?』


『おまえな、その例えはなんだ……』


 すかさずツッコミが飛んできた。


『え?』


 きょとんと首を傾げる公花。ボケたつもりはないのだが。


 ホテルのルームサービスとか、高級料理店などでワゴンに乗せた料理を運ぶときに、埃よけに被せて運んでくる銀色のドームカバー。

 あれにしか見えないと思って、そう例えただけなのだが……。


 だが彼にもまだツッコミができるほどの気力が残っていることがわかり、安心できた。

 すると心を読まれたのか、『余計疲れるだろうが!』という叱責が追加される。


『うんうん、懐かしいこの感じ……』

『納得するな! ……うぐぐ』(ますます弱った声)

『ん? ……あっ!』


 慣れた刺激に浸りながら休憩を挟んでいると、頭の回転も速くなる。

 なにやら閃くものを感じて、公花は顔を上げた。


 ドームカバーが床の上に被さっているのなら、床の下から入ればいいのだ。

 要するに、地面を掘る。そして、結界の内側に出るようトンネルをつくる。時間はかかるかもしれないが、それしか方法は思いつかない。


 うろうろと周辺の様子を確かめ、床板に歯を立てたりしている公花を見て、剣は言った。


『おい待て、なにをする気だ?』


 カツカツカツ! ガーリガーリガーリ……。

 

 自慢の前歯で擦り取るように動けば、つやつやだった床の表面が鰹の削り節のように削げていく。

 いける! 木造だからこそなせる業!


『いや待て……公花』


 焦るような声が聞こえたが、構っている暇はない。

 夢中になって作業に没頭していると、ふいに首根っこを摘ままれ、四つ足が宙を舞った。

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