第44話 強奪されました⑤

 妖気の質で、すぐに持ち主を察したが――ふと首を傾げた。見知った気配なのに、なにかが違う。


「お目覚めですか? 剣様」


 艶のある声を発したのは、腰まで届く黒髪に、なまめかしい白い肌、赤い口紅が目を引く絶世の美女だ。


「……? 蛙婆女か?」


 老いた体から見違えるように若返った彼女は、瑞々しく妖艶で、異様な威圧感を放っている。


「はい、蛙婆女でございます」


「……おまえ、龍鱗を飲んだな」


「ご明察。このときを待っていたのです。私がすべてを手に入れる日を」


 蛙婆女の野心は、もとより剣の知るところだった。力を取り込んだ彼女は、自分に成り代わり、神として君臨するつもりだろう。


 だが、それには気づかぬ振りをして、尋ねる。


「それで、当主をこのように扱って、どういうつもりだ?」


「無駄話は私も好みません。単刀直入に言いましょう。あなたをね……飼って差し上げようと思っているのですよ」


 以前の面影を残す、耳まで裂けたような笑みが、壮絶に花開いた。


「……なに?」


 想定の範囲内ではあったが、言っている意味が曖昧すぎてよくわからない。眉根を寄せて聞き返す。


 蛙婆女はクツクツと特徴のある笑い声を漏らしながら、得意げに言った。


「殺しはしません。あなたには利用価値がある。私は龍鱗を生み出すことはできませんからね……また必要となったときに、生きていてくださらないと困るのです」


「……」


 そういうことか、と即座に理解する。

 蛙婆女は龍鱗によって力を得た。体を若くよみがえらせるほどの霊力を……。けれどそれは、一時的なものに過ぎない。外部から摂取したものはいつか底を尽き、元に戻ってしまうのだ。


「欲張りな女だ」


「先見の明と捉えていただきたいですね。そういうわけで、あなたには生き続けてもらいます。霊力を生み出す私のお人形となってね」


「そんなことを俺が許すとでも?」


 屋敷にいれば、いずれ自分の力も回復する。そうすれば、魔法陣を破ることなど造作もない。


 すると、蛙婆女は彼女の呪術道具である水晶玉を取り出し、剣の前にかざした。


「ご覧ください。中にはなにが映っていますか?」


「……?」


 訝しげに眉をひそめ、警戒しながら視線を動かす。


 水晶玉は、はじめ濁ったように色を曇らせていたが、やがて雲が晴れたようにクリアになる。そこに浮かび上がったものは――。


「……公花!?」


 小さな玉が浮かび上がらせたものは、檻の中に閉じ込められたハムスターの姿だった。

 水晶玉の中に彼女がいるわけではない。屋敷内のどこかを、遠隔で映し出しているのだ。


「そう、あなたが大切にしているあの子は、我々の手の中にある……。あなたが逆らうなら、あの者に代わりに罰を受けてもらいます」


「貴様……」


 剣の奥歯が、ギリギリと音を出す。

 射殺さんばかりの勢いで相手を睨みつけたが、どこ吹く風だ。公花を人質に取られては、手も足も出ない。


「ご自分の立場がわかりましたね? さぁ、それでは始めましょうか。大丈夫、ただ頭がぼうっとして、気持ちがよくなるだけですからね……。いい香りがするでしょう? あのお香も、呪いの効果を高めてくれる特別製なんですよ」


 蛙婆女は水晶玉を懐にしまうと、呪詛の用意に入った。精神暗示――彼女の得意とする技だ。


 どうする――迷う余裕は与えられなかった。どちらにせよ弱点を握られてしまっては、どうにもならない。


 むせるような香りが、体を包む。紡がれる呪文が耳から流れ込み、やがて意識を押し流していった――。

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