第39話 襲撃の夜⑤

       *


 公花のお守り袋を強奪し、日暮家を後にした黒尾と樋熊は、夜霧に紛れ、蛇ノ目家への道を急ぎ、移動していた。


 人っ子ひとりいない路地の街灯の下で、ふと黒尾が足を止める。


「……? どうしたの、クロ?」


 樋熊も立ち止まり、突然に静止してしまった相棒を振り返る。


 黒尾は、手の平に乗せたお守り袋をじっと見つめて、なにやら考え込んでいた。


「なぁ、クマ。俺たちが使った銀鱗、あれは本当にいいもんだったよなぁ」


「? う、うん、まぁ……でも、なんだかちょっと怖かった、かな」


 自分が自分じゃなくなったみたいで、という樋熊の言葉を軽く流して、黒尾は口元をにやりと歪める。


「蛙婆女様が回収してこいと命じた、この龍鱗。こいつは、銀鱗よりももっとすげぇ霊力を秘めているらしい。これさえあれば、もっと強くなれる。俺だって、神になれる――そう思わないか?」


「え~? 危ないよ……婆様に怒られる」


 樋熊はおろおろしながら制止しようとしたが、黒尾の赤い眼にはギラギラと、抑えきれぬ興味と欲望が渦巻いている。


「へへへ。使い方は、同じだろ?」


「ダメだって……あっ!」


 止める間もなく、黒尾は袋から龍鱗を取り出し、ひと息に口の中へと放りこんだ。


 細く長い舌の上で、性急に味わう。


「……ん~。味は……わかんねぇな。お、力が……みなぎってきたぁ!」


 ぐぐぐ、と背を丸めて、龍鱗が生み出す霊力を受け止めようとする。


 みるみるうちに膨れ上がる力が、体中を巡りだす。


「きたきたきたーーー! ……う、ぐっ!?」


 不自然に身体が痙攣した。体の中で、なにかが弾けて、強烈な痛みが走ったからだ。


「な……なんの、これしき、ぐほぁっ!!」


 大量の吐血。止まらない吐き気に膝をつく。


 駆け寄ってきた樋熊が、悲壮な顔をして叫ぶ。


「クロぉ! しっかりしてよぉ!」


「お#〇&▲*……ウギャアアッ」


 もはや言葉にならない。体内を超高速で暴れ回る霊力が、そこらじゅうの血管をぶち破り、暴れ狂っていた。

 視界が赤い。全身の穴という穴から血を噴き出し、倒れる――。


(死ぬ……? 俺はここで、死ぬのか……)


 もう、痛みは感じなかった。

 意識が、闇に吸い込まれるように、落ちていく……。


『――と、いう具合にな。おぬしごとき矮小な存在に、扱える代物ではないのだ』


 ピンと張った闇夜に、しわがれた声が響く。


「――っ!」


 瞬時に意識を取り戻した黒尾が、はっと息をのみ、目を見開く。


(え? 俺、死んで……ない……?)


 龍鱗は、お守り袋に入ったまま、変わらず手元にあった。手の平には、びっちょりと汗をかいている。


 体は――無事だ。血も吐いていない。

 じりじりと音を立てる街灯のそばで、心もとなげに立ち尽くす。


 少し離れたところに立っている樋熊が、きょとんとした表情で、「どうしたの?」と尋ねてきた。


「……今のは、夢……?」


 ――カァー! カァー!


 そう遠くない位置から耳障りな鳴き声が発せられて、びくりと震える。


 闇夜に紛れていて、気づかなかった。

 ハッと声のほうを見上げれば、塀の上に一羽の真っ黒いカラスが止まっている。


『見せてやっただけじゃよ。起こっていたであろう、ほんの少し先の未来を、な――。楽しかったか?』


 くぐもったような教祖の言葉が、カラスの鋭く尖った口から発せられた。

 すべて、読まれていたのだ。


「げ、幻術……」

「? えっと、婆様の声? ……あ、式神のカラスを通して、喋ってるのかぁ。婆様、どうかしたんですか?」


 事情をわかっていない樋熊が、カラスと黒尾を交互に見る。


『なに、ちょっとした余興をな。さぁ、早う報告に戻るがよい。夜遊びもほどほどにせぬと、家を閉め出してしまうぞ』


「……やだなぁ、冗談ですって。すぐ戻ります」


 額の汗をぬぐい、黒尾は薄い唇を歪めて笑った。

 本来、狡猾で慎重な黒尾は、これ以上の深追いはすまいと心の中でかたをつけた。なにごとも、命あっての物種だと──。


       *


 その後、蛇ノ目家に帰還した黒尾と樋熊は、蛙婆女に公花から奪ったお守り袋を手渡した。


 袋から取り出された龍鱗は、台座に乗せられ、地下神殿の祭壇に安置されている。


 黒尾たちを下がらせ、人払いをしてから、蛙婆女は祭壇で輝く龍鱗を舐めるように見つめ、ほくそ笑み、やがて大仰に笑いだした。


(ついに手に入れた。力を手に入れるための宝を)


 ――龍鱗を、喰らう。

 前世の記憶や能力を一時的に呼び起こしただけの雑兵とは違う、生粋の妖である蛙婆女をもってしても、龍鱗の力を取り込むには想像を絶する抵抗があるだろう。

 だが耐えてみせる。すべてを我が力とし、神として生まれ変わるのだ。


 手を組み合わせ、一心不乱に呪詛を唱える。


「……オン、ミワカミワカ、ナラクダジャラムダ……」


 怪しげな炎に包まれた龍鱗は台座から浮き上がり、耳元まで裂けた老婆の口の中へ、吸い込まれていった。


 我が野望、成就は目の前に──。

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