第21話 猪突猛進なあの子は省エネを許してくれません①

 蛇ノ目家、地下の祭壇。

 最奥の本殿では、祈祷が行われていた。


 儀式用の装束を身につけた蛇ノ目剣は、血文字のような赤で描かれた魔法陣の中に横たわり、指を胸の前で組み合わせて、瞳を閉じている。

 その周囲を蛙婆女と五人の祈祷師が星を結ぶように囲み、呪文を奏上していた。


 呪詛にまみれた剣は、死んだように動かない。彼の体から立ち昇るのは、霊気か呪力か、彼自身の生命力か――。



 本殿の手前にある拝殿では、今回の祈祷を依頼した者が、落ち着かない様子で正座し、待機している。


 奥から響いてきていた不気味な奏上が、いっそう盛り上がりをみせたと思うと、ぴたりと止んだ。


 するとしばらくして、本殿のほうから、教祖である蛙婆女が足音ひとつ立てずに姿を現す。


兵頭ひょうどう様、お待たせいたしました」

「いえ……」


 依頼人の男・兵頭は、軽く頭を下げた。

 彼はブランド物のパーカーのフードで顔を隠しているが、見るからに体格のいい、現役のスポーツ選手だ。

 緊張しているのか、口元は引きつっている。


 蛙婆女が、男に向かって告げた。


「お望みの件は、つつがなく達成されました」


「そうですか……あの、本当に大丈夫なのでしょうか。疑っているわけではないんですが、なにぶん初めてなもので……」


「ご不安のようですな」


 老婆のじっとりとした目つきが、兵頭を射る。


 底なし沼に引きずりこまれるような嫌な沈黙に、男の額は汗ばんだ。

 得体の知れないカルト組織……思い詰めていたとはいえ、自分は騙されているのではないか。そんな不安が顔に表れてしまう。


 老婆がフッと薄く笑い、張っていた空気がわずかに揺らいだ。


「我らの神は信者の誠意を裏切りはしません。すぐに、吉報がもたらされると思いますよ」


 そのとき、兵頭のズボンの後ろポケットに入っているスマートフォンが振動した。

 彼はすぐにそれを取り出して、耳に当てる。


『おい兵頭、ニュース見たか? おまえと五輪出場を争っていたライバル選手、いただろ? さっきそいつの飼い犬が突然暴れ出して、よりによって足に噛みついたって。命に別状はないが、出場資格に関わる次の大会への出場は絶望的だってさ。相手は気の毒だが……これでおまえが代表に選ばれるのは、ほぼ確実になったな!』


 それを聞いて、静かに通話を切り、スマートフォンをしまう。


 男の口角が、上がった。


「……おっしゃる通りでした」


 兵頭は、狡猾な笑みを浮かべながら、脇に置いていたトランクケースを、教祖の側へと丁重に押し出す。


「偉大なる神の恩恵に感謝いたします。今後も、なにかの折には、ぜひ頼りにさせていただきたく……」


 教祖は静かにケースを受け取り、蓋を開けて中身を確認する。びっちりと敷き詰められているのは一万円札の束だ。


 能面のような笑みを貼り付けて、教祖は言った。


「……今後ともご贔屓に」


       *


 ──ある日の教室。


 十分間の休憩時間中、クラスメイトがそばに来て、話しかけてきた。一緒に学級委員をやっている女子生徒だ。


「蛇ノ目くん、体の具合は大丈夫? 顔色がよくないみたいだけど……」


「大丈夫だよ。ありがとう」


「本当に無理はしないでね。委員の仕事も、私にできることはするから……」


 会話の途中、ちょうど次の授業を担当する教師が教室に入ってくる。

 女子生徒はまだ話し足りなそうな顔をしながら、自分の席へと戻っていった。


(顔色、か……そんなに顔に出ているか……?)


 皮膚の色素が薄いから、目のあたりに不調が出てしまうのだ。


 だが、最近の疲労の溜まり具合、疲れやすさは、たしかに異常だ。

 単なるスタミナ切れだと思いたいが、頻繁に眩暈、貧血を起こしていては困るので、しばらくの間は省エネを心がけたいところ。


 無駄な神通力は使わないようにしよう、と心に決めたのだが──。

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