第18話 曲芸と前世の記憶と懐かしい匂い④

(こいつの顔を見ていると、妙に気が抜けるな……)


 しばらくして、団子ねずみは去っていった。しん、と静けさが訪れて、なぜか物寂しいような、物足りないような、妙なもどかしさに包まれる。


(今はともかく、休もう……)

 全身にかかる重力に身を任せ、吸い込まれるように意識を手放した。


 そうしてぐっすり飽きるほど眠って、すっきりとした気持ちで目を覚ましたのは、数日後のこと──。


 見れば、体には落ち葉の布団がかけられて、たくさんの木の実やキノコが、そばに山積みにされていた。


       *


 ――暖かい手が額に触れて、瞼を開いた。


 夢から醒めて、靄が晴れたような視界の中で、こちらを覗き込んでいるのは、制服を着た人間の女の子だ。


「……公花?」


 姿は変わり、体は大きくなったけれど、どんぐり眼はあの頃のまま、透き通った湖面みたいな純粋さをたたえている。


「わっ、剣くん、起こしちゃった? ごめんなさい!」


 ばんざいの姿勢をとって、公花が身を引いた。

 公花の手の平、温かかったな。別に、もっと触れていても構わないのに。


「熱でもあるのかと思って……でも、剣くんのおでこ、冷たいね?」

「基礎体温が低いから、熱はほとんど出ないんだ」


 周囲を見回して、ここが保健室だと状況を確認する。


 自分はさっき、教室で倒れたのだったな。


 といっても、立ち眩みがしただけで、あの場では、すぐに意識を取り戻したのだ。救急車か家の者を呼ぼうかと問われたが、少し休めば大丈夫と言って断った。


 保健室に来てから深く眠り込んでしまったようだが、体育をしていた公花が体操着の格好のまま目の前にいるということは、そんなに長い時間は経っていないらしい。


 公花が首を傾げて、尋ねてきた。


「保健の先生はいないの?」

「外せない会議があると言っていた……おまえは? どうかしたのか」


 上半身を起こしながら、こちらも問いかける。


「足をくじいちゃって」

「……あぁ、大玉に乗って転がって落ちた、あれか」

「な、なんで知ってるの……? え、起きて大丈夫!?」


 顔を紅潮させたり青ざめたりと忙しい公花。素直だからリアクションが大きいのだ。


「気分は……悪くない」


 自分でも信じられないほど回復していた。いつもなら気怠さが残って後を引くのに。


 先ほどまで見ていた夢が、関係しているのだろうか?

 また過去のことを少し思い出すことができたし、なんだか体も軽い気がする。


「……足、くじいたって? 見せてみろ」


 まだ、神通力を使うのは難しそうだが……怪我の具合をみてやるか。

 薬箱を取るために、立ち上がった。


       *


 ――時間は数分、さかのぼり。


 校庭で足を捻挫した公花は、ひとりで保健室へとやってきた。

 体育の先生には保健委員に付き添ってもらえと言われたのだが、あいにく今日は該当の生徒はお休みで。

 それなら歩けないほどでもないし、と単独で授業を抜けてきたのだが……。


「先生、すみません〜……あれ? 誰もいない?」


 最初は軽傷だと思った足の怪我は、歩いているうちにだんだんと痛みだして、体重をかけるとズキリと響くようになっていた。


 ひょこひょこと片足メインで歩きながら、目的地に到着するも、室内に目当ての先生がいないなんて……困った。


 ひとまず中に入って待たせてもらおうと奥に進むと、誰かがベッドで眠っている気配がする。


「あれ? 剣くん……?」


 カーテンの隙間から見えた横顔は、最近すっかり見慣れてきた美しいご尊顔。

 だが、どう見ても具合が悪い様子だ。真っ青な顔をしているけど、大丈夫なんだろうか。


 何気なくベッドのそばに寄り、傍らから見守る。

 整った顔にいつもの覇気はなく、額には汗の跡……目の下のクマも深く、心持ちやつれている気がした。


(大丈夫なのかな?)

 じっと見つめる。本当に死んだように動かない。

 なんでもできるように見える彼だけど、無理をしているのかもしれない。

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