第17話 曲芸と前世の記憶と懐かしい匂い③

 ――四百年ちょい前の、五穀御剣山。


 紅葉の絨毯が美しい季節。だが、今はあたりに薄い雲のような霧がかかって、見通しが悪い。空気はひんやりと湿っている。


 時刻は早朝のようだが、捕らわれて何度目の朝なのかは、もう数えるのも飽きて忘れてしまった。


 先日、山を散歩していたら、人間が仕掛けた罠にかかり、檻から出られなくなった。しかも罠を設置した人間のほうは、それをしたことすら忘れているのか、何日も姿を見せない。


 縦横に張り巡らされた細かい網目は、この細い身ですら、すり抜けることもできなくて。

 ときどき隙間から入ってくる小さな昆虫を食べたりしていたが、足りるはずもない。


 最初のほうはひもじくて苦しかったが、今では感覚もなくなってきた。一般的な蛇以上に長生きしてきた自分だが、ついにここまでか。


 死を覚悟したそのとき、怯えたような、か細い声が耳に届いた。


「どうしたの……?」


 声がしたほうへ視線だけ向ける。一匹のハムスターが木陰に隠れて、こちらを覗いていた。


 なんだ、いつも追いかけて遊んでやっている、団子ねずみじゃないか。

 はぁ、情けないところを見られたな。笑いたくば笑え。


 目を閉じて無視していると、いつの間にか小さな気配は姿を消した。


(どこかへ行ったか……)


 興味をなくして立ち去ったものと思っていたら、しばらくすると、そいつは身の丈以上もある木の棒を引きずって戻ってきた。


(なんだ、なにをする気だ?)


 檻には鋼の蓋ががっちりと下りているのだが、どうやらその蓋の下の隙間に、木の棒を差し込もうとしているらしい。


 無理だろうと思って様子を見ていると、団子は「うーん」と頭を捻り、今度は木の棒の先を齧って削り、杭のように尖らせた。そして、また檻への差し込み作業を始める。


 グイグイ、グイッ。


 杭の先がわずかにはまった……ような気がする。

 思わず、重たい顎を上げて様子を見守った。


 だが、それ以上、杭を打ち込むには力が足りないようだ。

 それでも団子はめげずに棒の反対側を押したり角度を変えたり体当たりしたりを繰り返す。

 やがて尖った部分が鉄柵の下に十分に差し込まれたのを見て、そいつは鼻息を荒くした。


「よーし、いっくぞー」


 なにをだ。


「蓋が開いたら、飛び出してね! じゃあ、いくよ!」


 だからなにを……。


 問いかける力もないこちらの意図も組まず、ハムスターは少し離れて助走をつけると、なんと走ってきて、中途半端に突き刺さったままの棒に向かってジャンプした。


 見事なダイビングプレス。

 ぼよーんと丸いものが棒の端に飛び乗ると、その反対側は上に持ちあがろうとして、蓋をわずかに押し上げる。テコの原理だ。


 さらには連続ジャンプ。蓋がガコンガコンと揺れている。


「は、早く~、外に出て~」


(……え?)


 我に返った自分は、蓋が持ち上がっている隙に残った力を振り絞り、するんと檻から抜け出した。後ろで杭が外れて、がちゃんと蓋が閉まる。


(やった……)

 脱出はできた。だが、限界がきて地面にへばりこんでしまう。


 もう力が出ない……瞼を上げる元気もないんだ。

 白蛇は目を閉じた。



 ──ぴちょん。

 頬が濡れたのに気づいて、うっすらと瞼を開ける。


 ハムスターが葉っぱの皿に、朝露を乗せてこちらに向けていた。


(水……)

 夢中で舌を出し、水滴を舐めとる。うまい。自然の気を感じる。


「はぁ……」

 落ち着いた、という風に、ため息をついた。もう大丈夫。少し休めば、なんとかなるだろう。


 尾を揺らして合図を送ると、ハムスターはそれを見て、安心したように目を細めた。

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