第5話 旅立ち



 巨大な入道雲がもくもくとわきあがっていた。

空は深い青色をして、雲の白さがまぶしかった。

焼け付く日差しがギラギラと照りつけている。

トンボたちの下には大きな川が流れていた。


「谷戸を流れ出た水が、こんなに大きな川になるとはのう。クロモンも一緒に来れば良かったのにのう」

「言うな!」

サキグロがクロスジを睨んだ。

川を下り海を目指すのは三匹のトンボたちだった。



『よし。世界の果てへ行ってみよう!』

『ボクは行かない』

あの日、クロモンはサキグロの言葉を即座にさえぎった。

『なにッ!?』

サキグロがクロモンを振り返った。

『世界の果てなんて行ってどうする?』

クロモンは冷たく言った。

『知りたくないのか?』

『世界の果てが崖になっていようが、滝になっていようが、ボクには関係ない』

クロモンはキッパリとこう言った。



『ボクはもっとたくさんのトンボに会いたいんだ。あの山の向こうにもずっと田んぼが続いていた。きっとここと同じような池があって、トンボがいるに違いない!』

クロモンの言葉にみんな押し黙った。

『ボクと一緒に行こう。世界の果てなんて行ってもしょうがないだろう? それよりも、いろんな池や田んぼを回って、もっとたくさんの仲間たちを探そう!』

クロモンはクロスジとハゴロモの手をとった。

『あ、あたしは・・・』

ハゴロモは、ちらりとサキグロを見るとうつむいた。



『クロスジは?』

『ふむ。仲間を探してどうするのかのう?』

『それは・・・』

クロモンは言いよどんだ。

『ふむ。すまんのう、わしも知りたいんじゃ。世界の果てってやつをのう』

『そうか・・・。でも,ボクは、ボクだけでも行く!』

『おい、クロモン!』




 川の流れは、いつか広く、大きく、緩やかになっていた。

長い列車が走り抜ける大きな鉄橋を過ぎ、たくさんの車がビュンビュン走る高速道路をくぐり、広い川原をゆったりとうねる川は、巨大な流れに成長し、その幅は信じられないほどに広くなっていた。


「なあ、ここが海なんじゃないのかのう?」

「なんで?」

「だって、もう流れていないみたいだし、こんなに広くなってるし・・・」

「島がないぞ」

「ふむ・・・」

クロスジとサキグロはこんな会話ばかり繰り返していた。



 あやめの谷戸を出てから何日も経っていた。

谷戸を流れ出た小川は、滝を下り、谷をぬけ、どんどん大きくなっていった。

が、川の流れが緩やかになるにつれ、変化がなくなっていた。

今では、来る日も来る日も同じような川景色が続いている。

「どこまで続いてるんだろう?」

ハゴロモがつぶやいた。

「海までかのう」

クロスジが答えた。



 川はゆるゆると右に曲がった。

「あっ、あれを見て!」

ハゴロモが声をあげた。

「あれは・・・」

唐突に岸がなくなり、水だけが広がっていた。

「あれが海よ!」

ハゴロモが叫んだ。


 それはもう、海と言うしかなかった。

どこまで続いているのかさえわからないほどの水が、どれだけ遠いのかさえわからないほどずっと遠くで青い空と交わっていた。


「すげえ・・・」

「ああ・・・」

トンボたちは海と出会った。



「あれはなに?」

横一列に波が打ち寄せていた。

「もっと近くへ行ってみよう」


 砂浜はまぶしいくらいに白かった。

広がる海は穏やかだった。

青空に入道雲がそびえたち、日差しを受けて輝いていた。

トンボたちはわれ先に砂浜へと舞い降りた。


「あちっ!」

「うわっ!」

「なんだこれ! ものすごく熱くなってるぞ」

「こんなに熱くちゃ降りられないわ」

「あっちがいいかのう」

クロスジは波打ち際の濡れた砂浜へ降りて行った。

サキグロとハゴロモが砂浜に降りようとすると、サーと波が迫って来た。

「きゃっ」

「うわっ」

あわてて飛び上がるトンボたち。

彼らがいたところを波が洗い、波が引くと再び砂があらわれた。

「なんだよこれ!」

トンボたちが舞い降りると再び波がよせて来る。

「やだこれ、おもしろい」

「おっとっと」

「あはははは」

波を待ち、飛び上がり、波を待ち、飛び上がり、トンボたちは、はしゃぎ続けた。




「おもしろかったね」

砂浜の流木に、トンボたちは並んでとまった。

「サキグロがびしょぬれになったのが一番面白かったのう」

クロスジが笑った。

「おまえだって波をかぶってたじゃないか」

空でトンビが鳴いていた。



 あやめの谷戸を抜けてから、いったい何日経ったのだろうか?

ここまで来るのは大変だった。

最初の日は、田んぼを巡る迷路のような水路を追いかけ続けて日が暮れた。

「もーっ! なんなのよぉ~!」

「そういうこともあるさ」

怒り狂うハゴロモをサキグロとクロスジが慰めた。



「なんだこれは!?」

街に出た時、どこまでも続く不毛の大地にトンボたちは絶句した。


「こんなことって・・・」

森も田んぼも、どこにもなかった。

ただアスファルトとコンクリートが、見渡す限り続いていた。


「ねぇ、帰ろう・・・?」

ハゴロモはべそをかいていた。


「この水はあやめ池から来た水なんだ」

サキグロは懸命にみんなを励ました。

「でも・・・」

川の水は、いつの間にか汚れていた。

 


 来る日も来る日も川の上を飛び続けた。

「疲れたぁ~」

「風に乗るんだ」

川の上には穏やかな風が吹いていた。

トンボたちは風に乗り、黙々と川を下った。

何日も何日も・・・




「でも、オレたちは来た!」

「そうだの」

「うん!」

潮騒を聞きながら、トンボたちは頷き合った。



「クロモンにも見せたかったね」

ハゴロモがぽつりと言った。

「ああ」

サキグロもクロモンのことを考えていた。



「あいつ、どうしてるかな?」

「さあのう・・・」

それぞれが、袂を分かったクロモンを思った。



「きっとどこかの池にたどり着いたさ」

「そうだの」

「王様になってるかもね?」

「その通りだ!」

トンボたちは、クロモンの夢がかなうことを祈った。







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