050:裏返し
そろそろ夏休みの話題がクラスの中に出だす頃、体育前の着替え時間だった。
「ヒッ!」
私は左斜め前の席から短い悲鳴が上がるのを聞いて、そちらを見た。
「どうしたの
前の席の
ボブにした茶髪が綺麗な
「な、なんでもないわよ……?」
萩中副委員長はノーフレームの眼鏡をかけた顔に汗を浮かべて、琴宝に首を振った。
「またあれ? 灯理ちゃん」
前の方の席から声がかかる。いつもはお団子にしている髪の毛を解いた平均的な身長に穏やかな顔の持ち主、
「ま、まあ気のせいだと思うわ。ほんとになんでもないの」
萩中さんは遠慮がちに答えたけど、何かありそう。
私にも分かるくらい様子が違うなら、勿論。
「どうかしたのかな、灯理は」
私の列の一番前にいる
「覇゛子゛さ゛ん゛ん゛ん゛!!」
その瞬間、萩中さんは普段は出さない……いや、聞いた事がない声を出して自分の体操着に顔を埋めた。
クラスの中が騒がしくなる。何か萩中さんに起こってる。そして、千咲季は……確かルームメイトだから知っている。その異変が『今』起こった。
「昨日からおかしいのよ!! ノートとか教科書とか!! 服とか!! きちんと置いておいた物がいつの間にか裏返しになってるの!! 体操服だってきちんと畳んで入れておいたのに裏返ってる!!」
どうやら萩中さんはかなり無理をしていたらしく、堰を切ったように話し始めた。
「え……ヤバ……」
信じられない事を聞いた、みたいな顔をしたのは白菊委員長と琴宝の間の席で話を聞いていた
「何か知っているのかな、慶」
「そのまま『裏返し』の仕業だと思う……」
菫川さんは、言いづらそうに白菊委員長の視線から顔を逸らした。
「身近な物を裏返しにしていく『何か』で、最後にはその人が『裏返し』にされる……」
「キョワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
菫川さんの話に、萩中さんは絶叫して自分の椅子に倒れ込んだ。
「幾らなんでも眉唾じゃないのー?」
私の左隣の
「確かに実際に裏返しにされた人は知らないけど、私が小学校の頃に裏返しに憑かれて、神社で祓って貰った事があるから、『そういう事』だと思う……」
でも、その言葉はすぐに菫川さんに否定される。
「神社でお祓いを受ければ助かる、という事でもあるのかな」
白菊委員長は菫川さんに尋ねた。
「少なくとも、いかないよりはいった方がいい。それもすぐに。私はそれで何も起きなくなったし――」
菫川さんは紫色の瞳で萩中さんを見た。
「お祓いを受けに神社の鳥居をくぐった瞬間、耳元で舌打ちが聞こえた」
「ヒョッ」
萩中副委員長は変な声を上げて、体操着を取り落とした。
「先生に言えば車は出して貰えると思う……」
「なるほど。灯理」
「覇゛子゛さ゛ん゛一゛緒゛に゛い゛っ゛て゛ぇ゛え゛え゛え゛!!」
菫川さんと白菊委員長の会話が落ち着かない内に、萩中さんは泣きながらとる物もとりあえず白菊委員長の所に駆け寄って、その体に抱き着いた。
クラスの中には、危険な物が身近にいる恐怖感……以上に、普段はクールに白菊委員長を支えている萩中さんがギャン泣きしている事へのドン引きしたみたいな空気があった。
「分かった」
白菊委員長は嫌な顔一つせず、そっと萩中さんを抱き締めた。
「千咲季、その間何かあったら私と灯理の代わりを頼む」
「え!? う、うん……」
千咲季は多分、話を振られると思っていなかったんだろう、困惑したように頷いた。
その時感じる、白菊委員長が鋭く視線を向ける人物。
黙って見守っていた琴宝だ。
「いざとなれば助けもいるからね。では、私と灯理は失礼する」
萩中さんの背中を抱きながら、白菊委員長はクラスを出ていった。
「ねえ琴宝……」
「ん?」
私が琴宝に声をかけると、琴宝は不思議そうに振り返った。
「最後の委員長がこっちの方見てたのって……」
「ま、千咲季は優し過ぎるから、毒を持てって事じゃないの」
やっぱり、琴宝は気づいてた。
千咲季をまとめ役にすれば角は立たないけど、鋭い事を言う子じゃないから、琴宝が助けて、って事らしい。
アイコンタクトでそれだけできる二人の関係には本当に、何があったらこうなるのかと思う。
「じゃ、じゃあみんな、着替えて体育いこうか……」
千咲季は私と琴宝のやり取りに気づかずに、全員に控えめに言った。
琴宝は別に何を言うでもなく、ただ着替えを置いて、私の方を見た。
「……何?」
妙に悪戯っぽい顔なので、私はからかわれるな、なんて思いながら尋ねた。
「嫉妬しないのかなって」
「今そんな場合じゃないでしょ……」
かなりぶっ飛んだ反応してたけど、萩中さん命の危機に瀕していたし……。
その後、白菊委員長と萩中さんの二人は給食前に帰ってきた。
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