037:誰が生きている001

 着慣れないブレザーから、少し楽な夏服の季節になって少しのお休みの日だった。


 寮にいると結構な頻度でそうなんだけれど、私はその日も琴宝ことほと一緒に点呼に出て、一緒に朝食を食べた。


 休みの日、私は課題を解いて本を読んで、散文を書いて、余裕があれば予習もする。琴宝はその時その時で違うけれど、絶対に『映画を見る時間』を作る。


 この日、私は図書室から借りた本を読もうと思って琴宝と一緒に部屋に帰った。


 ドアの前まできた時だった。


「あれ」


 不意に、コツ、壁に音を立てて琴宝が寄り掛かった。


「どうしたの?」


 私は咄嗟に脇から支えた。琴宝は私に寄り掛かってきた。琴宝の低い体温が、私に接近する。


「なんか……くらくらする……」


 いつもはっきり物を言う琴宝にしては珍しく、戸惑ったように答えてきた。


「大丈夫? 入ろう」


「うん……」


 私は部屋の扉を開けて、琴宝と一緒に中に入った。椅子に座らせるのは危ないかなと思ったけれど、琴宝は私の腕を離れて、ふらふらと窓際の自分の椅子に座った。


「ちょっと具合悪そうだし、寮監先生に連絡するね」


 私は部屋に置いてある内線を取って、寮監室にかけた。


 部屋と名前、ルームメイトが不調である事を告げると、琴宝を寝かせて待っているように言われた。


「琴宝、横になってて。ベッド、私の段使っていいから」


 内線を置き、私は琴宝の方に歩み寄って、静かに立たせた。


「うん……ありがとう……」


 大分ふらふらしていたけれど、ちょっと触った感じ、熱があるようではない。体温は寧ろ低い。


 琴宝は二段ベッドの柵につかまりながら、ゆっくりと下の段(普段は私が寝ている)に横になった。


「……どうしたの? 何か、具合悪いのに心当たりある?」


 私は床に座って、琴宝に尋ねた。


「……いいにおいするね、美青みおは」


「え」


 答えになっていない答えが返ってきた。匂いとか言われて、私はどうすればいいんだ。


 その時、部屋の扉がノックされた。


「あ、多分寮監先生。待ってて」


 仰向けに寝転んでいる琴宝を置いて、私は扉を開けた。


 白髪を短く纏めた寮監先生が入ってきた。手に救急箱を持っている。


橘家たちばなやさんね。熱を測りましょう」


 救急箱から体温計を取り出し、寮監先生は琴宝に渡した。琴宝は、どこかとろんとした目でそれを受け取って、わきの下に挟んだ。


「具合が悪いという事だけど、どういう風に悪いか自分で分かる?」


「立ってると頭がくらくらして足元がふらついて、寝ててもふわふわする感じがあります……」


 琴宝はいつになくふわっとした声で説明した。


「昨日からですけど、咳とか鼻水はありません。さっき、部屋に戻った時に急にふらついて、具合悪そうで……」


 琴宝の言葉だけでは足りないと思って、私は見た感じの症状を寮監先生に説明した。


 体温計が鳴り、琴宝はそれを取り出して寮監先生に渡した。


「35.8度……発熱もないわね。しばらく横になってなさい。何か欲しい物はある?」


 寮監先生はすぐに、琴宝に指示して、尋ねた。


「特には……少し、横になっていたいです」


 琴宝はしおらしく答えた。


「そう……椿谷つばきたにさん、一緒にいてあげられる?」


「はい」


「なら、これ置いてくから、お昼前に体温測って連絡ね。それ以外にも何かあったらすぐに内線使いなさい」


「分かりました」


 寮監先生から体温計と、風邪薬を少し受け取る。


「じゃ、本当に何かあったらすぐ知らせなさいね」


 すぐに、寮監先生は出ていってしまった。


 心細いけど、琴宝がつらそうだから、頑張らないといけない。


 私の顔に心配が浮かんでいたのか、いまいち自覚していない。


「いつも通りでいいよ、美青」


 琴宝は、なんだか遠慮がちな言葉をかけてきた。


「でも……」


 琴宝の顔を除くと、綺麗に整った顔が眠そうに半分瞼を閉じている。


 寝不足? でも、琴宝がこんなになる程なら、私が気づかないって事……あり得るな……。


 なんにせよ、専門的な知識なんて少しもない私に判断できる事じゃない。


 できる事は、ただ傍にいて、気をつけて見守る事だけ。


 たったそれだけ。


 なら、それをしっかりするしかない。


「……つらかったり、何かほしかったら言ってね」


 私は琴宝に小さく言って、自分のスペースに置いたスマホを取った。今の琴宝の症状を検索して、何かできる事はないか考えようと思って。


「……暗くなる前に帰りつきたかったわ」


 琴宝の前に戻った時、明確に琴宝の声で、けれど、琴宝とは思えない声色で、琴宝がよく分からない事を言った。


「……琴宝?」


 私が声をかけても、琴宝は目を閉じていて、眠っているみたいだった。琴宝の寝顔は初めて見たけれど、彫刻のように整っている。


 そっと、手を取る。低い体温とゆっくり流れる脈の動きが伝わる。


 傍にいよう。


 私はベッドに寄り掛かって、琴宝の症状を色々と検索してみた。

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