035:剃刀の群れ

 その日、美術の授業で校舎の外に出て、外の物を描く授業があった。


 よく晴れていて、美術の先生は『とにかく描いてみましょう』楽しそうだった。


 ペアを組むとかでもないが、私は琴宝ことほと一緒に何を描こうか話しながら歩いていた。


 場所の指定は桜来おうらいの敷地からは出ない事、だけだった。下校時間でもないのに桜来の敷地から出るわけがない。


「あ、ういがいる」


榊木さかきさん?」


 二人で正門の桜の木の辺りにくると、クラスで隣の席の榊木初さんがその根元を凝視して筆を走らせていた。


 榊木さんは短い黒髪が癖毛で下端にいくにつれて広がっている。緑色の瞳はこちらに気づかない。クラスでも一番小さい体がしゃがんでいる。


「初ー。ういうい初ー」


 琴宝は遠慮する事なくその後ろ姿に声をかける。急にウザくなるじゃん。


「んにゃ?」


 本当に私達に気づかなかったらしく、榊木さんはそこで初めて私と琴宝に視線を送った。


 どことなく猫っぽい印象を抱く、身長の割に大人っぽい顔立ち。


「なんで桜の木の根元を――何これ」


 琴宝はいきなりいつもの調子に戻って、疑問を出そうとして気づいた。


 琴宝の視線の先に、答えがある。


 桜の木の根元に、幾つもの剃刀が刺されている。


 刺されているなら、勿論、安全剃刀などではない。


 両刃の剃刀の刃だけが、そこに幾つも刺されている。


「珍しいっしょ」


「うん。でも桜って傷みやすい植物なのにこんな事して大丈夫なの?」


「いや、私がやったんじゃないし」


「そっか。風文子ふみことか千咲季ちさきなら詳しいかな、桜の木の生態」


「その二人なら千咲季っしょ。園芸部だし」


「気にする所そこなの!? 剃刀が大量にある事を疑問に思おうよ!!」


 二人の会話が思いっきりずれているので、私は思わず叫んだ。


 桜の木の根元に剃刀の刃が無数に突き刺さっている光景は、とんでもなく不気味だった。


「ん-? まあ桜来なら生えてくる事もあるんじゃないの?」


 榊木さんはとんでもない事を言い出した。


 桜から金属が生えるってどういう事だ。いや、それはあり得るけど(桜来だし)、剃刀限定な意味が分からない。


「それはケヨザレだ」


 不意に、後ろから女子にしては低い声が聞こえた。


 そちらを見る。高い身長、細身の体、短い黒髪、美少年と言われても頷ける美貌……薊間あざま黒絵くろえさんがいた。


「ケヨザレ? 『禿げろ』みたいな意味?」


 琴宝は特に驚く事もなく、薊間さんに尋ねた。多分『ケヨザレ』が『毛よ去れ』になってつまり『禿げろ』だ。


「違う。『穢れよ去れ』の転訛と聞く」


 薊間さんはこういうものに詳しい。郷土史研究会に所属しているけど……まあ猿黄沢さるきざわの郷土なんて研究してたらそりゃこういうのも出てくるか。


「何か恐ろしいものに触れた時、両刃の剃刀を用意して桜の木の根元に刺すとその穢れが浄化される……そして穢れを受けた桜はどういうわけかいよいよ逞しく咲く、という噂が学園に伝わっている」


 私達三人と同じ所に立って、桜の木の根元を見た薊間さんは、解説してくれた。


「これそのものは危険な物ではないらしい。桜が枯れない理由は分からない。真面に考えると馬鹿らしいが、『桜来の桜は決して枯れない』などとも言うな」


 眉唾っぽく、薊間さんはしゃがんで一つの剃刀をじっと見詰めた。


 あれ、でも……。


「ねえ薊間さん、知らなかったらごめんなんだけど、入学式の時期にこんな大量の剃刀あった?」


「謝れ」


「ごめんなさい……」


 薊間さんも知ったのは郷土史研究会に入ってからだろうし、この話を知らなかったらまず分からないか。


「数はこんな多くなかったけど、あったよ」


 いや、分かる人はいた。榊木さんはしっかり見ていたらしい。


「よく気づいたね初」


「美術部に入る奴の観察力を舐めるな」


「うちの美青みおだって負けて……ごめんなさい」


 どうして琴宝は私(文芸部)が悲しくなる事を言うんだろう。


「榊木さんが気づいてたとして……定期的に減ってるの? これ」


 琴宝の謎の対抗心には後で文句を言っておく事にして、私は気になった事を尋ねた。


「あー、昔から伝わってるなら増え続けないとおかしいもんね」


「ごめん琴宝、たまに思うんだけど琴宝って目の前の事深く考えないの?」


「桜来で起きてる事は考えても大概無駄」


 元も子もない事を言い出したなマイルームメイト……。


「確かに気になるな……黒絵は何か聞いた事ない?」


「定期的に減る物だというのは聞いたが、そこが不可解な所でもある」


 怖くないといいんだけどな、薊間さんの話。


「誰もこれを片づける所を見ていない。学園中の掃除をする時にも触れるなと言われる。桜が剃刀を食っている説があるが、これは幾らなんでも眉唾だ」


 薊間さんは、視線を険しくして剃刀を見た。


「私達が『気づけない何か』が回収している説……どちらかと言えばこちらだろうな」


「へえ。見つけてみたいもんだね」


 榊木さんってこういうの得意だなあ……私は背後が気になってきた。


 何か……剃刀を回収するようなものがいるような気がしたので。


「……ところで、椿谷つばきたに橘家たちばなやは何も描いていないが、大丈夫なのか?」


「え!? ヤバ、忘れてた!!」


「丁度いいからこれ描こう!」


 薊間さんの助言に従い、私と琴宝は榊木さんに指南されながら桜の木の根元を描いた。

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