030:名優涅夜様002
寮に備わっているバスルームから部屋に戻る途中、私は見慣れた影を見た。
セミロングにした銀髪が印象的だ。私から顔が見えないけど、あの後ろ姿は間違えない。
ただ、その人――
黒髪を長くまっすぐに伸ばしていて、深い赤い瞳を持っている。背丈は平均よりも高い。
おかしいのは、着ている物が黒いセーラー服だという事だ。
桜来の制服はベージュのブレザーだし、夏服もブラウスにベージュ色のサマーベストだ。あんな制服ではない。
黒セーラーの誰かは、委員長と何かやり取りして、ちら、私を見た。
まずい。
何か、危険なものだ。
いつかクラスメイトに『桜来にいればその内、危険が分かるようになる』なんて言われたけど、私の危機管理能力は確かに磨かれていた。
逃げ出したいけれど、どこに?
寮の中を当てもなく走るの?
寮の外はどう考えても危険が多い。
私が決断できずにいると、委員長の青い目が私を振り返った。
「あの子も食べないよ。お風呂帰りという事は、もう夕飯は食べているから」
白菊委員長が、私を庇うように立って決然と告げる。
すると、黒セーラーの誰かは落ち込んだ顔で俯き、すたすたとどこかに歩いていった。
「大丈夫?
黙って成り行きを見ていた私に、白菊委員長は優しく声をかけてくれた。
「うん……まあ、怖かったけど、怖いだけだと思う……あれ、人間じゃないよね」
寧ろ、会話していた委員長の方が心配だった。
「伝わっている話の通りならば――」
委員長は私から視線を外して、黒セーラーが去っていった方を見た。
「
ドクン、私は自分の鼓動が強く脈打つのを聞いた。
さっき、琴宝から聞いた話。
『桜来の昔の制服を着て、校内にいる人に食べ物を勧めてくる。その食べ物を食べた人は『連れていかれる』から、絶対に食べてはいけない』
今、白菊委員長は狙われていて、私も狙われそうになったのを、委員長が助けてくれた……恐らくそうなる。
「寮には誰かが連れてこない限り出ないとも聞いたが……誰かが連れてきてしまったようだ」
別に、今始まった事でもないけど、化け物に命を狙われてこんなに冷静を保てる委員長は本当に、どういう豪胆の持ち主なんだろう。
誰かが連れてきた――琴宝じゃないか?
そんな考えが頭をよぎる。
「涅夜様に食べ物を勧められても、絶対に食べないように。これはクラスのグループでも周知しておく」
委員長はいつもの穏やかな顔になって、私に改めて注意してきた。
「うん……話は聞いた事あるし、今のでどういうのか分かった……あれ、昔の制服だよね?」
「そうだね。昔は黒いセーラー服が冬服だったらしい」
「なら、どういう見た目かも分かったから、無視できる」
「琴宝にも伝えてくれると助かる」
「うん……助けてくれて、ありがとう」
「気にしなくていいよ」
そんな会話をしながら、私と委員長は一年三組のエリアで別れた。
「あれ、なんか妙に遅かったね」
部屋に入ると、琴宝がお風呂にいく準備をしながら声をかけてきた。
琴宝が呼んだんじゃないかなんて、言えるわけがない。琴宝にも、委員長にも。
「うん……委員長から連絡くると思うけど、寮内に涅夜様が出た……っていうか、さっき涅夜様と話してる委員長に鉢合わせたから……」
でも、琴宝には隠せない。
私が涅夜様と会った事を話すと、琴宝は不思議そうに目を瞬かせた。
委員長は『誰かが連れてきてしまった』と言っていたけれど、それを琴宝に言うのはなんだか、責めているみたいで、できなかった。
私は上手く琴宝を見れなくなって、自分の机に座った。
「そっか」
琴宝は、特にいつもと変わらない様子で立ち上がった。
「私お風呂いくけど、涅夜様がきても相手しちゃダメだよ、
琴宝が部屋を出る時、すぐ傍で声をかけられて、私は思わず琴宝を見た。
優しさが滲む表情で、私を見ている。
すぐに、何かを悲しむような顔で俯いて、部屋を出ていく。
答えを返せなかったのは、不意打ちだったからじゃない。
琴宝がいつもはしない表情で私を見ていて、その顔に対して私の中から何か、未知の感情が湧き上がってきたからだ。
なんて返せばいいのか、多分、いつもなら『気をつける』って言えたけれど、それだけじゃ済まないような、もっと深い感情が、私の中にある。
……考えてみると、琴宝が何を考えているのかとか、深く考えた事はない。
『徹底して観察し捕食し咀嚼し嚥下し分解し吸収し己の物として再構築し壊し嘔吐してようやく何かが生まれる』
文芸部に入部してすぐに、部長から言われた言葉を思い出す。
私はまだ、飲み込めない物ばかりだ。
少し、琴宝の表情の意味を考えたくなった。
読みたい本を読みたいと思う気持ちも失せて、私は二段ベッドの下の段に入った。
白菊委員長に『琴宝が涅夜様が映った物を持ってきました』と言えなかったのは、どうして?
琴宝に申し訳ない……以上の物もある。
自分の心、誰かの表情、考える事は多くて、私は明るい部屋の影の中、静かに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます