029:名優涅夜様001

 一週間が終わる――金曜日の放課後、私は少し早めに部活を抜けて、染井寮そめいりょうに帰って宿題をしていた。


 桜来おうらいの授業進度は早いけど、なんとかついていけてる。


 週末に予定はないけれど、宿題は早々に終わらせておくに越した事はない。


 特に、部室から借りた本を読もうとすると結構時間がない。無期限に借りられるわけでもないし。


 私が数学の課題に一区切りつけた時、部屋の扉が開いた。


美青みおー! ただいまー!」


 いつになく……いや見た事もないハイテンションで、同室の琴宝ことほが帰ってきた。


 その手には、一つのCDケースがある。琴宝の部活(映研)を考えると、DVDだと思う。


「おかえり……どうしたの? 珍しくテンション高いけど」


 こんなテンションの琴宝は見た事がない。


 多分、手に持ってるDVDが関係するな。


 琴宝は後ろ手に扉を閉め、両手でDVDケースを示した。


「伝説の映像ディスクを手に入れた!」


 やっぱり。


「伝説のって……それが?」


 見た所、個人がPCで焼いた物だ。伝説の、って枕詞がついてもあんまり凄くは見えない。


「そう! なんと! 桜来映研に代々伝わる名優『くりや様』が映りこんでるビデオのDVD版!」


 ……待て。


 桜来映研に代々伝わる名優。うん、いいんじゃないかな。


『くりや様』……まあ気になるが置いておこう。


 なんで『演じている』とか『映っている』じゃなくて『映りこんでる』なの?


「その……くりや様って何?」


「あれ、知らないの? 結構有名だと思ったんだけど」


 琴宝は唐突にいつものテンションに戻った。


「知らない……少なくとも、文芸部ではその名前を聞いた事がない」


「映研では超有名だよ」


 琴宝は私より部屋奥の自分の席に腰かけて、いつもはしまっているPCとBDプレイヤーを取り出した。


「名前は『涅槃』の『涅』に『夜』で『涅夜くりや様』。桜来の昔の制服を着て、校内にいる人に食べ物を勧めてくる。その食べ物を食べた人は『連れていかれる』から、絶対に食べてはいけない」


 何を言い出してんだ私のルームメイトは。


 どう考えてもヤバい化物の類じゃん。


「でも、映研ができて以来、涅夜様はたまに映研の自主製作作品に映りこむようになった。その表情や場面への合わせ方が完璧で、映研の中では『名優涅夜様』って呼ばれてる」


 そんなヤバい物と共生できる映研も大概ヤバい人達の集まりだな……。


「……それが映ってるの? そのDVD」


「そうだよ?」


 琴宝は『何当たり前の事聞いてんの?』みたいな感じだった。


「えぇー……いや、見るのはちょっと嫌かな……呼び寄せても困るし……」


 流石にそんな露骨に呪われた映像みたいなのを見る気にはなれない。


「そう……」


 私が断ると、琴宝はテンションを落とし、そっと机の上にDVDを置いた。


「……『見る時は二人以上で見てください、その方が怖くないから』。映研の部長が言ってた」


 琴宝は深刻な顔で語り出した。


「たとえ怪異でも、それが『名演』なら私は研究したいと思ってる」


 珍しく、琴宝の顔に影が落ちている。


 悔しい事を飲み込むように目が細くなり、今にも泣き出しそうな表情だった。


「美青と一緒なら怖くないと思ったけど……美青が嫌ならやめるべきだよね……」


 つぅ、琴宝の目尻から涙が流れた。


 琴宝の泣いている顔など、今まで見た事もない。想像もつかなかったけれど、とても痛ましい気持ちになった。


 泣きながら笑みを浮かべ、琴宝は私に笑いかけた。


 ……そこまでされると、私の方の気も変わる。


「いや……その……見て呪われるとかないの?」


 でも、気になるには気になる。


「ないよ。涅夜様の映像を見てどうにかなった人なんていない……」


 琴宝は涙を流しながら、机の引き出しを開いた。


「でも、ごめんね、美青が怖がるなら、これは私が一人で――」


「分かったから! 見るからその顔やめて! 凄い調子狂うから!」


 泣き笑いでDVDをしまおうとする琴宝を引き留めて、私は叫んだ。


 琴宝は、制服のポケットからハンカチを取り出して、涙を拭いた。


「いいの……? 害はなくても、怖くはあるよ?」


 いつになく儚い雰囲気で、琴宝は尋ねてくる。


 最終確認という事だろうか。


 でも、琴宝は私なら大丈夫だろうって思って持ってきたんだろうし……。


 怖い物は怖いんだよなあ……。


「……今日じゃなくて、明日見るとかどう? ちょっと、覚悟決めるから」


 私は妥協点を出した。


 一日おけば、少し恐怖も紛れる……というか『そういうものを見る気持ち』に変わると思う。


「うん、美青が言うなら……ありがとう」


 琴宝は涙を拭き終えて、ハンカチを机の上に置いた。


「う、うん……」


 いつもの琴宝ならごり押ししてくるだろうし、多分本当に私と見たかったんだろうな……。


 それを無下にするのも悪いし、私は一晩かけて覚悟を決める事にした。


「ごめんね、急に」


「いや、まあびっくりしたけど、大丈夫」


 しおらしい琴宝ってこんなに可愛いのか……私は現実逃避的に考えていた。


 ……何事もなければいいけど。

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