028:足首の痣

 もうすぐ体育祭がある。


 体育の授業ではその練習に入っていて、私はその日、出場する卓球の練習に励んでいた。


 卓球はダブルス一組で、ペアは部活仲間の牡丹座ぼたんざメロメさん。


 私は他の競技に比べるとまだできる、という理由で立候補した。メロメさんは趣味でやってたらしく、ちょっと練習すると割と息が合ってきた。


「いい感じだねー、ペンギン」


 ラリーの練習の合間に、メロメさんはタオルで頬を拭いながら褒めてくれた。


「ありがとう。メロメさんも上手だと思う」


「ありがとー。お水飲みにいかない?」


「うん」


 私達はタオルを首にかけて、体育館を出た。


 その時――。


「大変大変!」


 別の競技の練習をしていたはなが、血相を変えて走り寄ってきた。


「どうしたのアヒルちゃん」


 メロメさんは不動心甚だしく、動じた様子もなく尋ねた。


「屋内プールで灯理ともりが何かに捕まった!」


「え?」


 私は英が何を言っているのか分からなかった。


「いってみようペンギン」


「う、うん!」


 とにかく、副委員長の萩中はぎなかさんに何かあったらしい。


 桜来おうらいには体育館が幾つかあるけど、私とメロメさんがいた所は屋内プールのすぐ脇だ。すぐに着く。


 英は他のクラスメイトにも言っていたらしく、既に何人か集まっていた。


「萩中さん大丈夫なの!?」


 私は水着を着た白菊しらぎく委員長、綿原わたはら風文子ふみこさん、梅村うめむら毬子まりこさんに尋ねた。この三人と萩中副委員長が水泳リレーの参加者だ。


「大丈夫……ではないかな」


 銀のセミロングが爽やかな白菊委員長が振り返って、珍しく歯切れ悪く言った。


「ごめんなさい……でも無理……」


 プールサイドに足を伸ばして座っている萩中副委員長は、泣いているようだった。


 濡れた茶髪のボブカットは顔に貼りつき、年齢より上に見える整った顔立ちは涙に歪んでいる。


 その左足首に、何かにつかまれたような痣があるのを、私は見た。


 周りを見ると、プールに入っている人は他にいない。


「灯理、泳いでる途中で急に溺れたんだよ。私と白菊委員長が助けなかったらヤバかった」


 梅村さんが状況を説明してくれた。


「それは……」


 私はメロメさんを見た。メロメさんはプールの中に目を凝らしている。


「メロメさん、何か見える?」


「……なんだろう。見た事ない、大きな魚がいる。イトウに近いけど、黒く腐ったような……」


 メロメさんの視覚にはやっぱり、何かヤバい物が見えているらしかった。


「ぬるっとした人の手だった……」


 萩中副委員長はメロメさんの視覚について細かく知らないのか、訂正した。


「何かいるという事かな、メロメ」


「まあいいものではないかな、あれは」


「なるほど……」


「白菊委員長ぅ!」


 腕を組んで何かを考え始めた白菊委員長に、萩中副委員長が半狂乱で縋りつく。


「幾らなんでも無理! 他の不条理は耐えられるけど、水の中で助けもなかったら死ぬようなのは無理なの!!」


 水泳リレーの競技から下りたい、という含意を感じた。


「……君の意は汲もうと思う」


 萩中副委員長の頭をそっと撫で、白菊委員長は一年三組の方を見た。英が駆け回った結果、全員集合していた。


「みんな! 灯理が何かに足をつかまれ溺れかけた! この事について意見のある者!」


 私は何も言えないけど、薊間あざまさんとメロメさんが手を上げた。


黒絵くろえから」


「学園のプールで生徒を『呼ぶ』ものがいるとは聞いた事がある。一度呼ばれて助かったならば、しばらくそこには入らない方がいいとも」


「メロメは?」


「あの魚、まだ栗鼠ちゃん(萩中副委員長の事だと思う)を狙ってるから、本当に入らない方がいいと思う」


 薊間さんは知識から、メロメさんは実際に見えているものから、それぞれ同じ見解を出した。


 萩中副委員長は水泳のリレーを下りた方がいい、と。


「灯理は本人の希望もあり、水泳リレーから下りる。代理一名、今の話を聞いてそれでもという者がいればお願いしたい」


 白菊委員長はどういう感覚なのか、物凄く切り替えが早い。


「なら私が……」


 テンション低く声を上げたのは、菫川すみれかわけいさん。


「大丈夫なのかな、慶」


「水難の避け方は知ってるから、他の人よりは安全だと思う……早くはないけど」


 地元の民は言う事が違う。


「充分だ。順位など気にしなくていい。私が巻き返す」


 白菊委員長が言うと、本当にやるな、というのが分かる。


「ありがとう菫川さん!!」


「うん……」


 萩中副委員長は菫川さんを拝んで泣いている。


 ……そんなイメージなかったけど、萩中副委員長って結構怖がりなのかも知れない。


 そんな事を思った。

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